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『ETV特集 塀の中で手にした“鏡”』女性受刑者更生用プログラムとして、受刑者自身が絵本を音読する音声を録音してそのCDを彼女たちの子供向けに送付する試み。その一環として受刑者たち同士で会話しながら絵本を読み理解を深める、それ自体は興味深く見たのだが。普段は私語が禁止されている中でプログラム中だけ自由な発言が許されているというナレーションを聞き、刑務所特に日本でのそれの在りようはなんと非人間的な場なのかとあらためて思う。そんな状況下プログラム中だけ自由な発言が許されているから意味があるのだとは理解してはいても、日常生活の中である程度自由で充実した会話を許可した方が人間性回復を通じた再犯防止という点で有効そうだし、まやかしとまでは言わぬがハイプな匂いが拭えないなーという疑問符を脳内から消せないまま視聴。プログラムそのものには意味があるしその疑問符が付いたのは番組の所為じゃないとはわかっちゃいるが。
nhk.jp/p/etv21c/ts/M2ZWLQ6RQP/

いつの日にか人民によって引き倒されるべきものとしての存在意義。

客層としては重なってると思われるので主にどこに出費しているかで微妙に色分けされそうですね。全方面的に活動してる余裕のある方は少なそう。

田端信太郎、汚染水放出の件でYouTube使って宮台真司にも噛みついてるらしいが、電気グルーヴに対するのと似たようなコンプレックスの在りようを感じる。90年代サブカル的なものへの愛憎入り乱れた過剰な感情。 mastodon.social/@comecaML/1111 [参照]

特になし さんがブースト

石野卓球相手に田端信太郎がスベっているのを見ると、イキりビジネスインフルエンサー的ムーブを選んだ人間のなかには、サブカルヒエラルキーのセンス競争のなかで自分が上手く勝てなかったことへの屈託がある人も、結構多かったのかなあと改めてちょっと思った。

70〜80年代のある種の日本サブカルチャーが、それまでの知の体系を破壊し水平化することを試みていたとして。90年代終わり頃にはそういう水平革命的な試みは既に、センスエリートを生む新たなコードと化していた。ゼロ年代には、そういうコードに対する攻撃が各所において出現する。

「右も左も同じだ」的な事を各種SNSで言い出したアカウントを見ながら、トランスフォビア的な言説だけが突出して問題なのではなく各方面的に薄っすら陰謀論的世界観を有していてその一端に過ぎないのかなとか思ったり思わなかったりで様子見というか経過観察。

腕は立つが癖の強い職人が集う、時代小説に出て来る長屋というか横丁みたいですね。粋な町だ。

武芸百般の看板を掲げる無士官の浪人みたいで腕が立ちそうですね。

とはいえELO、ヒット曲が有って内実も伴ってるがそれに比して音楽的な影響力も絶大だったみたいな話はあんまり聞かないので過小評価もやむなしとは思う。特に後世への波及力はベタなフォロワーが居ないのを考えると小さそう。ロックンロールとしてのベースはともかくあのギンギラなシンセとか打ち込み色濃いサウンドがあの頃“最先端”だった時代色が刻印され過ぎていて難しいのでは。

巨額を投じて夢洲に建てた砂上の楼閣を1年後に地盤沈下で跡形も無くすというお金持ちによるバーニングマンに似た奇祭

松本明子が25年誰も住まぬまま放置というか保持した実家でトータル1800万円出費した話を昨日見たばかりなので軽く戦々恐々です……

7/12フジテレビ『超個人的フルコース』松村沙友理の強力な人見知りとそれを防御すべく「さゆりんご」というキャラが構築されたのがよくわかった。年齢相応の幼さを抱えたまま上京し一人で暮らす結果後々ちょっとしたスキャンダルに繋がったのも納得。一歳若い高山一実のようにスタートが他のメンバーと一緒に寮生活であったりしたらああした事態は迎えなかったかもしれないが、逆にあのキャラも存在せずタレントとして大勢していなかったかもしれないしグループとしての共同生活に馴染めずもっと早く卒業して芸能界には残らなかったかもなと。白石麻衣とか橋本奈々未とか深川麻衣とか他の乃木坂年長組は本当にしっかりしてたんだなと今更ながら思う。それに比べればデビュー時の松村沙友理は18歳なりにしっかりもしていただろうが精神的にはそれなりにぐらついてそう。

一度騙された詐欺被害者の顧客名簿みたいですね。そんな岩盤支持層が4000万人いる国……

特になし さんがブースト

「言論封殺と名誉」

 この一月、麻生の「戦時の覚悟」に始まり、原発汚染水放出、東浩紀の「言論封殺」・「大学解体」のファシスト宣言、そして、その「痴愚神」を「礼賛」する祭り、と続いて慌ただしく、すっかり「どわんご」問題を忘れていた。

 ところが、今日大学に行ってみると、事務の方から「東京地裁から郵便が届いています」と声をかけられた。

 はて、と思って開けてみたら、「どわんご」さんが私に対して訴えを起こしたらしい。

 7月に内容証明が来た際は「すわ」と勇んで、同僚の実定法の人やメディア関係者に相談したら、「いや、これで名誉棄損ということない」とあっさり言われ、「あらら」、となってほとんど「忘れていた」のである。

 しかし、地裁からの文書を見ると、確かに「どわんご」さん、私を「名誉棄損」で訴える、と仰っている。

 これは勿論受けて立つ。
 何と言っても、これは「21世紀のファシズム」による「言論封殺」のスラップ訴訟である。

 20世紀のファシズムは滝川事件、天皇機関説と大学への攻撃で完成した。

 フランス語で「名誉を救う sauver l'honneur」という表現があり、私は好きではあるが、簡単に使えるものでもない。

 しかし、今の時、「名誉」に賭けて言論封殺を粉砕すると宣言しましょう。

特になし さんがブースト

mainichi.jp/articles/20230829/
作品自体は見てないから何とも言えないけど、ここで連発されている「平凡な日常の尊さ」「当たり前の日常が失われることの悲劇性」という語り方がテンプレ化していることにすごく気持ち悪さを感じる。
こういう対比は、平穏な日常を送っていたらいきなり天災のように戦争が始まって、あとはどうしようもないというイメージに根差していないだろうか。でも実際には戦争を止められたかもしれない戦前の期間や、お国のための異常な日常である戦前と戦時中が存在する。そういうものを透明化した語りのように感じる。

特になし さんがブースト

 「鈴木寛さんの豪華すぎる肩書」

 今日の新聞広告、「日経ソーシャル・ビジネスコンテスト2023」という怪しげな一面があり、そこに見覚えがある名前が写真入りであった。東大教授、慶応SFC特任教授、鈴木寛とある。

 あのZ大学の総長就任予定の鈴木寛さんである。しかし、告知動画での鈴木さんの「法律は守りますよ、守りながら・・・」という意味深な発言には驚いた。
 これを論評したら、当然鈴木さんもメンバーである筈の笹川財団ドワンゴ学園から「法的恫喝」の内容証明が送られて来たのにも多少驚いたけれども。

 ところで、鈴木さん、慶応SFC教授であるのは、人脈上当然だとして、東大教授も兼ねているとは知らなかった。一体どこの部局かと思って調べてみたら、「公共政策連携研究部・教育部」という、学部はなく、修士からのみの所だった。ここにはかの三浦瑠麗氏が通っていた。

 一体何を教えているのかと思ったら、ベンチャーや社会的企業家の育成らしい。「起業」に一番必要なのはコネ。どうりでSFCと公共政策から、「起業家」、「ベンチャー」が次から次へ飛び出してくるわけだ。

 それにしても鈴木さん、この上「法律を守りながら」Z大学総長にもなろうとは、ちょっと「欲張りすぎ」では?

 古来、「足るを以て知る」という言葉もありますよ。

『BS1スペシャル 女性兵士たちのアフガン~米帰還兵と特殊部隊FTP~』
「2021年の米軍撤退により8万人余りのアフガニスタン人がアメリカに逃れてきた。なかでも命の危険にさらされているのが、米軍がアフガン女性で組織した特殊部隊FTPの隊員だ。その救出・支援に取り組むレベッカさんは米軍の文化支援部隊の元兵士。テロリストの掃討作戦等にアフガン女性を動員し過酷な体験からPTSDに苦しんだ。自らのモラル・インジャリー(道徳的負傷)に向き合いながら、支援に奔走する元兵士を追う。」(番組紹介ページより)
アメリカに亡命して来た元アフガン女性兵士にはタリバンから殺害を匂わせる脅迫メールが届き、元米軍女性兵士は政策転換により自らの労苦が水泡に帰した精神的ダメージに苦しむ。バイデンのアフガン撤退敢行が生んだ歪みは他にも沢山あるのだろうが、こうした“アフガン帰還兵”については全く知らなかったので非常に衝撃を受けた。
nhk-ondemand.jp/goods/G2023129

特になし さんがブースト

 岸田首相や東浩紀などはまるで「アルプス汚染水」を流すことが廃炉につながるかのような悪質な印象操作を行っている。

 実際は廃炉の目途は全く立っていない。現在1-3号機に全体でデブリは約880トンある。

 このデブリの取り出しは遠隔でのロボットアームによるとされているが、1回目で取り出せるのは数グラム。しかし、これさえ可能かどうかはわからない。廃炉検討委員会でさえ、「廃炉計画に具体的見通しがあるわけではない」と述べている。
 要するに、万能感を演出しているIOTとAIと組み合わせても、全く「廃炉」の目途は立たないわけである。

 ところで今日の日経コラム「春秋」は「海容」という言葉と汚染水「海洋」放出について語っている。

 「原子力発電の事故という人間の大きな過ちを、海は受け容れてくれるだろうか」

 これ、得意の「一億総懺悔」語法である。原発事故の責任は東電と原子力ムラにあるのであって、立ち退かされたり、漁業に携わる人々にはない。

 「少しづつ流すご海容を願う姿勢」を「海は見ている」とコラムは終わる。

 しばし絶句である。
 ここには汚染水を流される側の韓国、中国、台湾、香港、マカオの人々への責任は全く登場しない。

 これで「一国平和主義」の限界などと宣うのであるから笑止千万である。

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