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2023年1月25日(水)

風は昨日よりすこし弱まった。気温はむしろ低かったが、なんとか耐えられた。耐えるという言葉からの連想だが、そういえば子どもの頃、体力と耐久力という概念の違いがわからなかった。体の強さ、くらいの目の粗い認識しか持てていなかったのだと思う。似ているところも重なるところもあれど、かなり違う、とは次第に理解した。

そういえば、という言葉を用いるのって、ちょっと反則だと感じている(この文の冒頭にもそういえばを付けようか迷った)。言葉尻を追うだけの連想ゲームになんとなく違和感や忌避感を覚えるせいだ。あんまり勢いだけであちこち飛ばれてもなあという経験的な感覚がある。ただ、飛躍しまくり文章にも楽しいものはある。ひとつひとつがしっかり深掘りされてたら楽しい(逆に、まだ聞き足りないうちに次の話にいかれるのが嫌っぽい)。流麗に話題を転換させられるのも楽しい(そういえば連発は流石に芸がない)。みたいな感じだ。

水曜日なのでマガジンを読んだ。あと、勇者辞めます、というアニメを見始めた。タイトルだけ見て気軽に見始めたが、たぶんかなり面白い。

黒ノ岸シン さんがブースト

Mastodonへの参入はずいぶん思い切ったアクションだなと当時は思ったもんだけど、他鯖との交流が生まれるたびにVivaldiの文字が出てくることを考えると、なかなか小さくない宣伝効果のような気がする

好き嫌いどちらも見かけるけど、mastodonという名称、かなり好き派だ。

黒ノ岸シン さんがブースト
黒ノ岸シン さんがブースト

「持つに値しない感情を意図的に揺さぶろうとする企てからは、身を守らなければなりません」とのこと。メディアリテラシーと総括すると途端に味気ない感じになってしまうが、言い換えるならばそうなるのだろう。

ただし、真贋を問題にしているようで、必ずしもそれだけでもなさそうであることに注意とも思う。創作物はフェイクではない。物語的な「真実」は現実ではないが、持つに値する感情を生む、と読む余地はあるだろう。

文脈から判断する限り、共感を生むような感情が、その「持つに値する感情」なのでしょう。

カズオ・イシグロ「物語には“分断”に対抗する力がある」 | ノーベル賞作家が語る「創作の意義」と「次世代への期待」 | クーリエ・ジャポン
courrier.jp/news/archives/3103

「現在のように分断された世界では、感情を揺さぶる物語を作るときに気をつけるべきことがあります。その感情を常に『真実』に結びつけることです。さらに、持つに値しない感情を意図的に揺さぶろうとする企てからは、身を守らなければなりません。そのためには、映画、本、テレビなどのコンテンツに批判的になることが求められます。」


2023年1月24日(火)

仕事で面接を2件おこなって、帰りはすこし遅くなった。大寒波が近づいてきているようだ。風も強くて、おかげで激サムだし電車も遅れているし大変だった。面接ですぐに答えられなかった質問があって反省している。上司に頼ってしまった。初歩的な質問だったので後悔もひとしおだった。改めて把握しておきたい。

読書メモ、取るようになったら、明らかに動きが鈍くなった。おっくうになっている。うーん。楽しくないわけではないんだよな(やり始めたらむしろ楽しい)。ただ初動のハードルが上がる。短時間だと、数行読んで、メモ取って、というアクションだけで終わってしまうからだろう。些細な読書をしづらく思い始めた。どうしようかな。読書量が減るのは困る。メモを取らないと決めた読書も平行して行うかな-。でもそちらばっかりになりそう。

音声配信はメモしづらい。だから記録としても残りづらくて嫌だ、と思うことも最近はあるのだけど、そこを活かし、気軽な媒体として、Podcastやオーディオブックを活かせばよい気もする。

今週はやることがけっこう多めだ。充実はしている。

黒ノ岸シン さんがブースト

BT Nature誌のSF掌編コーナーFutures、ウェブで過去分を読めます。昔は2回ほど電子書籍としてまとめが出たりもしていました。

2005年から2014年までの見やすいアーカイブ
nature.com/collections/swmfrlf

それ以降の一覧
nature.com/nature/articles?typ

途中からは新進作家の掲載が増えて、アジア系作家もよく取り上げられています。

黒ノ岸シン さんがブースト

医学書院で小川公代先生が連載している「他者理解を促すためのブックガイド」、めちゃくちゃ良いよ。難しい哲学的な主題を扱いながらも抑制の効いた書き方なので、「なるほど…」と、じっくり読み進めることができる。

igaku-shoin.co.jp/paper/series


2023年1月23日(月)

動作が先で、意識の動きは後追いだ、という話も聞く(いろいろ問題の切り分け方もあるようだが)。感情の動きにも似たところがあったりするのかなとも考える。ある出来事を思いながら嫌だなーと思うんじゃなくて、嫌だなーみたいなモヤモヤがまずあって、それに合わせるように、なにか「そういうシーン」を想像している気がする。

曖昧な認識、印象だけで、あるいは惰性で、まず感情を作りあげていて、そのあとに、それに似合う具体的なシーン、エピソードを捏造している気配だ。

というような考えを一回書こうと思って挑んでみたけど、うまく書けなかったので、書き殴るくらいの気持ちで再度シンプルに書いてみた。

言語化するときに視野が狭まってしまうのか、なんだかどんどんごちゃごちゃしていってしまうパターン、かなりある。全体像を見る余裕がないまま目の前の整理だけしていくと結局おちいってしまうやつだろう。びっくりするくらい問題意識が混線してるときあるんだよなー。因果も連想も近場にあっただけのものも順番混ぜこぜで抱えてしまっているときがある。


2023年1月22日(日)

最近また音楽を聴くようになった。すこし前まで聞かなくなっていた。Podcastも聞いているので気分で切り替えている。耳の酷使ぐあいが増したけど、そのぶん目が休めるようになっている。音楽はかなりよい。日常とか生活とかにべったり貼り付いた意識を、きれいに剥がしてくれるものとして昔から見つめている。よくいえば視野が広くなる。悪く言えば夢見心地な空想家になる。ただいまこうして書いてて明確に思ったけど、ここで、後者を「悪い」ものだとしてしまえる心性が、そもそも、現世にべったりしている感覚だよなーたぶん、と思った。

意識がこの世にべったりしてるかんじは昔からあんまり好んでない。ほんとうは広いのに狭いところに貼り付かされる感覚があるからだ。そして、言葉も、このへんにうまく作用して、よい気持ちにしてくれるところがあるな。ただ、音楽の作用と言葉の作用は一緒なのかな-。芸術の効果みたいにひとくくりにしてしまいそうになるけど、細かく見ると違うとか、プロセスは違うとか、別物だと楽しい気はする。楽しさの種類が細分化してくれるのはよい。

黒ノ岸シン さんがブースト

じみじみ進めてる洋ゲーに出てきた爬虫類人女性に胸があったんだけどいくらなんでも哺乳類としての驕りが過ぎるだろ


2023年1月21日(土)

空き時間ができてゆったり行動できる、という時間帯をいつだって待ちすぎなんだよな~。自分の人生観・習慣での問題点のかなり上位にあると最近は認識できている(でもまだ甘々なかんじ。直そうという危機感ないし。このあたりって危機感がすべてじゃんという説もあるし)。

こういう日記も、一日のあいだでの「ゆったりした時間」をただぼーっと待っていて、結局そんな時間は訪れず、慌てて書くということを繰り返している。いいかげん学んでもよいのでは?

そして、この待ちの姿勢が、仕事などでもちょっとマイナスに働いており、評価とかが下がっている可能性がある。

ただ、人生観の問題というふうに書いてはみたけど、人生全体への影響をちゃんと考えたときに、この感覚によってなんとなくゆったりできている(平和的な心境を保てている)という一面もある気はする。何事も一面では判断できない的な問題ではあるが。

Twitterが完全にサードパーティクライアントを排除して、そのやり口も悪辣だったので、だいぶ微妙な空気になった。Twitterがこのまま凋落するということでもないと思うが、依存度は極力下げたい。ひととの繋がりが切れるのも嫌だしな~。振る舞いが面倒だ。その面倒さも面倒だ~。


2023年1月20日(金)

一週間あっという間だった。やることがあった。昨年、ちょっと暇だなあと思う瞬間があったのだけど、あれはなんだったんだと思った。勘違いだったのかなと疑ったが、まあやることはまあまあ増えた。

文章校正で、どの漢字を開く(ひらがなにする)かは、ある程度ルールがある。漢字が好きなので、極力閉じるルールを好き勝手に採用していたのだけど、最近はすこしだけ、開く側に気持ちを寄せている。滑らかに見える文章のよさも認識した。

副詞、形式名詞、補助動詞は、漢字にしなくても気持ちよく思える習慣は身についた。
・副詞(少し、大変、時々)
・形式名詞(その上で、という時)
・補助動詞(して行く、して貰う)

まあ、癖で、ふつうに漢字にしてしまっているときもあるけど。

読書中にメモをとるようにしてみた。昔に同じことをやって廃れた習慣だった気もする。めんどうだけど記憶への定着はまちがいなくこちらのほうがよい。思い出せる感触が強め。思い出せて楽しいという感覚も出せる。読書中の楽しさと読んだあとの楽しさ、どちらを優先するか(速度も落ちるので読める量の問題)、優先順位どうしようかな。手間もかかるし。

『紅蓮戦記』2巻が出たが1巻の記憶が消えていた。ので読みなおしを始めた。

黒ノ岸シン さんがブースト

これめっちゃおもしろい…

『世界は終わっても生きるって楽しい 1 (ガルドコミックス)』(鳥取砂丘 著) a.co/czyW3gG

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「多くの命が奪われる場面にあって、もっとも傷つきやすい人たちが、どんな表情を見せているか、子どもはどんな表情を見せているか。そこを正確に淡々と伝えるメディアならば、 SNSだろうと、テレビだろうと信用できるものです。」

—『プロパガンダ戦争 分断される世界とメディア (集英社新書)』内藤正典著
a.co/8bRFKzG

内藤先生のこの言葉は、本当に刺さった。勝手に邪推するなら、研究者、学者という、客観的な事実やデータを尊重すべき立場からこうした発言をすることには、きっと、相当な勇気と覚悟が必要だったのではないだろうか。

黒ノ岸シン さんがブースト

2023/1/19(木)
夜いつものように駅から歩いているとスーパーの駐車場にパトカーが赤ランプつけて止まってた、何か事件かもと心配になる。食事制限して4日目。1日500g体重が減っている。太ってるので痩せてるよりは体重、減ってくと思う。高血圧や肝脂肪とかになってるので治ればいいな。家に帰り鼻水出たからティッシュで拭いたら鼻血だった。疲れてるのかも。来週の水曜、有休を取ることにし上司の許可を頂いた、午前中病院行ってあと何をしようか。お台場とか行ってガンプラでも買おうかな。それとも新橋行ってタミヤによりラジコンを買ってみたり。なんて、想像はお金かからない、自由だ。実際お金はそんなに無く家でゲームがいいところだろう。そう言えばゲームは買うんだけどもやってなかったりする。もったいない。風呂に入る。寒さで震え上がっていたので風呂はありがたい。風呂から上がると眠くなる。しばらくしたら寝ようと思う。この日記、スマホから書いている。なるべくPCから描きたく思ってるけどたまにはいいだろう。プログラムでもするかと思いPC新調したけども日記しか使ってない。これももったいない。起きたら元気だといいな。#日記


2023年1月19日(木)

Mastodonで日記を書く習慣、そして日記タグで遊ぶ(読む)のが最近はとても楽しい。ブログが楽しい、TwitterやMastodonが楽しい、とかよりも範囲が狭くてそこもなかなかよいところだ。「日記を読んでもらえる幸せ」という気持ちのフォーカスの狭さもかなりよい。

社会にのっぺりへばりついた価値観のようなものを持たないようにしたい(というか、持つとしてもそれも一視点としておきたい)と、昔は思っていたけど、その影響がおおきくなってきているなとは思う。
油断するとすぐそのあたりに乗っかる。まわりのひとがその土台の上で話していることが多いから(それをよく耳にしているから)、それを土台にする癖が自分も自然と持ってしまっている感じだ。ここの改善のことを昨日に引き続き考えていた。最近のテーマだな~。

『友達の後ろで君とこっそり手を繋ぐ。誰にも言えない恋をする』の1巻を読み終えた。思った方向性と違ってよかった。これはほどほどの巻数で綺麗に終わるパターンかなー。続けて欲しい感じもあるけど。変に長引くよりよいこともあるからなあ。ドロドロと見せかけてそういうことにしていきたいわけでもなさそうなところがよい。たぶん話作りが上手い書き手なんだと想像する。


2023年1月18日(水)

若い頃もっと元気だったのは視野が狭かったからだ。最近すこしげんなりして弱気になっているのはいろいろな事柄をより知ったからだ。精神とか身体の強弱の変化で考えたくなるけど情報量の影響おおきそうだなとは考える。若い頃とくらべて弱ったという考えかたはあやうそう。

もうちょっと前向きで快活な気持ちになれる理屈を最近は再構築しようと頑張っている感じがある。
昔はもうちょっと「なんでも解釈しだいである」ということを思えていたはずなのだけど、情報量が増えた結果、解釈コントロールにまわすリソースというかエネルギーを減らしてしまっている気がする。

暗いところばっかり見てるのもなんかそれが癖になっちゃうんだよなー。ここのところそれも続いているのでなんとか制御したい。

人真似が問題かなあ。無意識な人真似ってものすごくしている気がする。朱に交われば赤くなるじゃないけど、まわりの生き様には影響を受ける(同じ挙動を取るようになってしまう)。思った以上にまわりの人たちは暗めの振る舞いやことばを出していて、それをそのまま、「自分も同じように出すよう振る舞ってしまっている」気がしてきた。立派で優秀そうな人がやっているとなおさらだ。権威的な人って希望的に見えるけど逆な気がする


2023年01月17日(火)

睡眠不足を続けてしまった気がする。元気も失われるのでさすがに意識的に寝るようにしたい。文字数ぎりぎりまで書こうと基本思って書いているけどつらくなるならやめてもよい。ただ、つらいのをどれくらい我慢するかは難しい。なにがつらいのかも実はよくわからない。仕事がつらいとか思うことは多々あるけど、ほんとうに無一文ギリギリになって空腹も限界、といった中で、今の仕事を与えられたら歓喜してやるはずなんだよな。この手の想定はする。突拍子もないシミュレーションもあるけど、これくらいのシミュレーションは突拍子もないとは言えない気もするし(フィクションに足を踏み入れる思考実験よりはまだ現実的)。コテンラジオなどの歴史的な話を聞いていて、奴隷制や、シンプルに戦争に見舞われた人々がいたことを聞いたりして、それを比較して考えてしまうところもある。現代日本にいるだけで(だいぶ微妙になりつつある感じにはなっているけど)十分幸福であるというのは未だにあると思う。そういうのって比べるものではないと言ってしまうのは簡単だけど、むしろ比べるものなんじゃないのという視点も想像できる。そしてこういう話を書いたのは今日もちょっと嫌な空気があったからだ。職場~。安定しないな~。まあいいけども


2023年01月16日(月)

まもなく日が変わる。日が変わるという概念も極めて自然に受け容れるようになってしまったけど、最初は謎だったんじゃないかなあ。夜が来て朝が来るだけでなにが変わってるんだという視点のほうがやや好きだ。まあでも人間は区切りが好きなので、区切れそうなところは区切っておきたい。まあそれはそれで。

週末にすこし模様替えをしたので月曜日の可燃ゴミが多かった。早めに起きて出しに行った。前に住んでいたところは深夜に出してもよい場所だったので、今は不便になっている(引っ越した)。通勤距離が長くなって睡眠を比較すると削っているところはある。睡眠時間が寿命に直結すると最近は思えているので、ここの調整には悩む。世の中けっこう楽しいので眠る時間がもったいない派だ。

数日前に読み始めたVTuberをテーマにした人気WEB小説、すうっと飽きてきてしまった。同じことをずっと繰り返しているだけだ、と感じてしまったせいだ。人間関係が進まない(変わらない)ところに感じていそうだ。ハラハラを求めるか否かという好みの話はあるけど、同じ感じかな?少し違う気もする。

日常系的なゆったり感、苦手なところもあるけど、気に入るものもある。そういった細かな違いにはたいへん興味が引かれる。

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