空き時間ができてゆったり行動できる、という時間帯をいつだって待ちすぎなんだよな~。自分の人生観・習慣での問題点のかなり上位にあると最近は認識できている(でもまだ甘々なかんじ。直そうという危機感ないし。このあたりって危機感がすべてじゃんという説もあるし)。
こういう日記も、一日のあいだでの「ゆったりした時間」をただぼーっと待っていて、結局そんな時間は訪れず、慌てて書くということを繰り返している。いいかげん学んでもよいのでは?
そして、この待ちの姿勢が、仕事などでもちょっとマイナスに働いており、評価とかが下がっている可能性がある。
ただ、人生観の問題というふうに書いてはみたけど、人生全体への影響をちゃんと考えたときに、この感覚によってなんとなくゆったりできている(平和的な心境を保てている)という一面もある気はする。何事も一面では判断できない的な問題ではあるが。
Twitterが完全にサードパーティクライアントを排除して、そのやり口も悪辣だったので、だいぶ微妙な空気になった。Twitterがこのまま凋落するということでもないと思うが、依存度は極力下げたい。ひととの繋がりが切れるのも嫌だしな~。振る舞いが面倒だ。その面倒さも面倒だ~。