これもまた再放送なんやけど、好きだった教科書の小説ナンバーワンは「たぬきの糸車」(え: むらかみ ゆたか バージョン)ですよ。
かわいい!圧倒的かわいい!
https://blog.goo.ne.jp/kitasyou20blog/e/d2cf43367168c4a6c05ee4e2be756819/
『ゼーロン』から話がそれてしまったんですが読み返したらめちゃくちゃ面白くて、小田原の大地や森を悪漢が潜む中世の森に擬えて、主人公が昔は賢かったのに今は怠惰になってしまった馬ゼーロンに自分のブロンズ像を載せて処分するために運ぶ話で、とにかくゼーロンが全然歩かなくて主人公がイライラしてるのも面白いし、なんか見るたび「あああそこでトラブル起こして俺の命が危ない」って話ばっかりしてて、風景描写は美しいけどなんかぬるっと終わる。現代に蘇ったドン・キホーテとロシナンテの話みたいで、ちょっと危なっかしいようなユーモアがあって、逆にスタージョンはそれほどグッと来なかったが『ゼーロン』読めたからよかったなくらいに思っている。
しかし昔の人のあだ名が適当でなんかギリシャっぽいから「ギリシャ牧野」って呼ばれてたのほんと意味わかんなくていいな、私「イスタンブールじゃん子」とか呼ばれたいな(行ったことある海外がトルコだけ)
国語の授業で『山月記』をやった記憶がないんだけど牧野信一の『ゼーロン』は読んだ覚えがある、けど調べても高校生の国語の教科書に『ゼーロン』が掲載されてたことはないっぽい。馬が登場する小説で安岡章太郎の『サーカスの馬』とごっちゃになっているのか。内容は全然違うけど。でも国語の授業でもないと牧野信一の名前に触れる機会ってそうそうない気がするんだよな……。国語便覧で名前を知ったんだろうか。
なぜゼーロンにこだわってるかというとこの間シオドア・スタージョンの『ここに、そしてイーゼルに』という短編を読んで、これは現実と『狂えるオルランド』の世界をシームレスに行き来する技巧を凝らした小説なんですけど(あれ『ゼーロン』もこういう話じゃなかったっけ)と思って青空文庫で読み返したからです。全然違った。正直スタージョンの小説のほうは技巧も着想も素晴らしいんですけど主人公の男性に都合の良いドリームが展開されていて、ギャグみたいな感じで女性が殴られる描写もあるしで(わー全然好きじゃない)と思ってしまった……というかこの小説が掲載されている『時間のかかる彫刻』という短編集の、男女の機微が描かれた作品がもう全然自分の琴線に触れなくなっていてそれがショックだった。同短編集はSFより現代劇のがキレが良かくてそっちは好き。
『1987、ある闘いの真実』(2018、チャン・ジュナン)
おもしろかった、っていう言い方は変だけど面白かった。説明なしに医者が連れてこられて心肺蘇生をやらされるところから始まって何かが感染するみたいに人から人に話がつながっていって関わる人が広がって最後の大群衆まで行くの大きな流れがあってすごいね。
半分過ぎたあたりでやってきたうちの高校生が、あ、この人『タクシー運転手』に出てた人、とか言いながら最後まで見ていた。
授業で『山月記』を読んだはずなのに、みくのしんさんみたいに自分の感情を受け止めたり、李徴に感情移入して読んでなかったな……。
文章の意味と話を理解して試験を受けただけだった。李徴に全く共感しなかったし、何なら「李徴(笑)」とか思ってた。
今も小説を読むときは、感情移入せず、感情を動かすこともなく、話を理解するだけで終わったり、「教養」とか「コンテンツ」として触れている自分がいる。
「山月記」を読めなかった男が1年半ぶりにもう一度読む日 | オモコロ https://omocoro.jp/kiji/462699/
おのれの間抜けさを見抜かれるのが怖くてたまらないのはある程度誰でも同じだけどさ、女の人相手になったとき特に何かしつこく言い訳したくなるんだとしたら、自分が無意識のうちに相手を見下してること、それが客観的にいかに気持ち悪くて終わってるかって事実をもうちょっと噛み締めて胸のうちに留めておいても損はない、むしろ良いことしかないんじゃないすか、とは思うよ。頻繁に。
来年度の予算概算要求が公表。軍事費は、8兆5389億円。これは11年連続で過去最高を更新、ついに文教費の2倍に達しました。
しかも、その内容はと言えば「敵基地攻撃能力の強化」として極超音速誘導弾の開発に3161億円、「衛星コンステレーション」(宇宙戦争用)に、3232億円、小型攻撃用ドローンに30億円、と憲法はおろか、完全にかつての政府見解の「専守防衛」はかなぐり捨てられている。
その上、米軍再編に伴う経費は金額を示さない「事項要求」としており、総額はさらに膨らむ。
これで、年金・社会保障は削減ありき、大学には税金を突きこんでゴールドマンサックスに投機を運用させる、というのだから、市民の「生活安全保障」は崩壊の一途である。
消費税増税は政治的に当面不可能だが、社会保険料負担や高齢者医療負担は増え続けているのだからたまらない。
この上、物価上昇、賃金は上がらない、預金金利ゼロと来て、ついにNISAをきっかけに家計の貯蓄から投資へと流れが始まったのだろう。
実際、2000年くらいから頻りに「貯蓄から投資へ」の掛け声はあったのだが、長く「笛吹けど踊らず」。
政府・銀行、マスコミの大広告キャンペーンでついに決壊した、というところか。
すごく良い山月記の感想である。泣いた。
「それでもだよ。「あいつ辞めちゃったけど、今も続けてたらな……」って誰かが絶対思ってるもんなんだよ。だから続けるんだよ」
「トラだから。はいおしまい」みたいに切り札みたいに使うなよ。まだ何が起こるか分からないのに、可能性を閉じたらもったいないよ」
映画と読書と漫ろ歩きを愛する氷河期世代