search.worldcat.org/ のどこかにいていいはずの猫のマスコットキャラクターが見当たらない問題

「姫」と「男子」の埴輪が同じようにみえる

髪を後ろのほうで束ねているとか、目鼻のバランスが幼形だとかで、女の子っぽい、ということなのか。それとも専門家が見れば装身具に決定的な違いがあるのか。bunka.nii.ac.jp/heritages/deta sankokan.jp/selection/antiquit

方言を方言に翻訳するには、ステレオタイプを2回通過しなければならない。

たとえばスコットランド風の英語を「田舎者」というステレオタイプで解釈し、「田舎者」というステレオタイプに基づいて日本語の東北方言のどれかに翻訳する、など。

問うべきことはたとえば、著者が戯画的にステレオタイプを投影しようとしているのか、それともそこに自然とあるものとして登場させているだけなのか。前者の場合、翻訳にステレオタイプを分かりやすく表すことがむしろ求められるが、後者の場合は日本語の役割語的表現だと「翻訳者が勝手に」「翻訳者独自の主張を追加して」やっていることになってしまいがちである。

翻訳でだじゃれや韻をうまいこと作り直すのとは、ちょっと違った繊細さが求められると思う。

ポット🫖 さんがブースト

earlier in the morning って日常的な日本語に翻訳しにくくないですか

「今朝がはじまってから今に至るまでの時間」「その朝のもっと早い時間」
↑分からなくはないが、長すぎるか少し考えさせられる

Turingとtuningは1字違いだが、発音では最初の母音も異なる
Turingはむしろtouringに近いらしい(同じ発音にするのも多分あり)
en.wiktionary.org/wiki/Rhymes:

中国の地名や中国人の名前をカタカナ表記にする件は、考えてみると、英語圏の人と日本語圏の人が会話するとき便利だから、という理由があるのではないかという気がしてきた。

中国語的にはまちがってる発音でも、2人の外国人のあいだで通じれば意義はあるので。

ポット🫖 さんがブースト

「精強」って自衛隊関係くらいでしか聞かないなと思って調べてみたら、戦中(1942年-1944年)にピークがあった lab.ndl.go.jp/ngramviewer/?key

ハッシュタグでも、防衛省傘下の公式アカウントが「」を愛用している。
facebook.com/hashtag/精強

スポーツや武道にはほとんど「精強」は使われない。

軍以外では、警察関係でも「精強な執行力」というフレーズがよく見られる。

なので実力行使に関係があるのではないか。

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「精強」って自衛隊関係くらいでしか聞かないなと思って調べてみたら、戦中(1942年-1944年)にピークがあった lab.ndl.go.jp/ngramviewer/?key

「9割がたワタシだろうけどワタクシの可能性もゼロとはいえない」「コッキョウかもしれないしクニザカイかもしれない」と非決定的に読む派

ポット🫖 さんがブースト

よく言われるけど、『雪国』の冒頭、「国境を抜けるとそこは雪国だった」、「くにざかい」だと思う?「こっきょう」だと思う?

アメリカのアジア研究ではいまだに日本研究プログラムが多くあるが、実は韓国研究のほうが多い。この差の原因には、k-popもあるけれど米国特有の事情もあるかもしれない。(ただし2010年の論文に引用されている表なので、今はもっと差がついてそう。) そのどちらよりも、東アジア研究、アジア研究のほうがずっと多い。
jstage.jst.go.jp/article/aiugr

Googleは最近(ここ1年くらい)のあいだに、キャッシュ(ウェブ検索のやつ)をなくし、マップの移動履歴のクラウド版をなくした。これはどちらも規制回避、訴訟対策の意味が大きいのではないかと思う。マップはプライバシー、キャッシュは著作権侵害やプライバシー(本体のページが削除されている場合など)。利用者にはあると便利なのだが、大金を払ってまで提供してもらいたいかというとうそうでもない程度(そのため提供者にとってはリスクに見合わない)のサービスなのかもしれない。

現代の漫画は原作力が強い - 江戸の浮世絵は芝居(歌舞伎など)の二次創作で売り出していたのに対し、現代の漫画は逆に原作となってテレビドラマが二次創作として作られたりする、という話を読んだ(出口弘「絵物語空間の進化と深化」)

ポット🫖 さんがブースト

上田としこ『フイチンさん』

『サザエさん』のような終わりのない日常ものかなと思って読みはじめたけど、全体を通じた筋があり、ちゃんと完結している。ハルピンを本拠地としながら、山奥を探検したり、寄宿学校で生活したり、色々な世界が見られます。日本人キャラクターはおまけ程度に出てきます。

shogakukan-comic.jp/book?isbn=

ポット🫖 さんがブースト

借り集めている本たち。ヨーロッパの、公教育以前の(庶民の、労働者階級や農民の)読み書き教室の歴史、知らないことばかりで目鱗 アイルランドは石垣の陰で青空教室やってたらしい

日本語を教えるほうからすると、アナウンサーのように一定の決まった発音を正しいものだということにしないと話が進まないのだが、実際に聞かれる日本語には方言や話者の個人差もある。(とくに、外来語のアクセントは全般に平板化が多いと思う。)

大人が大人に教えるなら、教えるがわは規範的にはこうですよと教える、学習者がそれをどこまで無批判に追従するかは学習者自身が判断する、というところか。

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ポット🫖 さんがブースト

これめっちゃわかる。hibachiの意味にも腰抜かしたことあるけど、ニポン語の「ふ」ってfともhとも言えないオトなので外国語での音写無理〜ってなる。

なのに、ニポン語教育界では、ニポンの外来語(カタカナ語)理解への強要が強すぎるんだよね。

例えば cake を英語の /keɪk/ や、母語の音写で捉えてる非ニポン語話者に対してわざわざ /kēki/ のオトを覚えさせるって、教授優先度としてどうなんだろうっていつも思ってる。

あれは、せめて初学の時期にはニポン語由来のオトに寄せて発音はだいぶ変わります、という知識だけじゃあかんのかね。音写や発音の強要、初学段階でどこまで必要なんだろ?

必須の頻出語以外は当面ルー語的にそこだけ「英単語」でもええやん。初学段階でギュウギュウ矯正しようとして躓かせるのはホントに阿呆らしい。

その上、本家には存在しない和製英語もあるわけで、むしろそれこそ異国で意味がズレはじめた hibachi 的なヤツだよね。

和製英語に関しては外国語由来の「ニポン語」として覚えといた方がよいとは思うけど、それでも、必須の語って学習基本単語にどこまで含むべきかっていうと、そんな膨大でもないと思うんだよなあ。


QT: fedibird.com/@pot/113410775200
[参照]

ポット🫖  
北米英語のfutonとhibachiの意味を聞いてから、日本語学習者の外来語(カタカナ語)が苦手だという気持ちが分かるようになったような気がする。 https://en.wiktionary.org/wiki/futon#/media/File:Futón_Matrimonial.png ht...

北米英語のfutonとhibachiの意味を聞いてから、日本語学習者の外来語(カタカナ語)が苦手だという気持ちが分かるようになったような気がする。
en.wiktionary.org/wiki/futon#/
en.wikipedia.org/wiki/Hibachi#

日本語学習者はよく、外来語(カタカナ語)が難しい、という。しかし音声的にも外来語が和語より複雑だということはないと思う。おそらく、(元の単語を知っているのだから)簡単なはずだという期待があるのに、和語とあまり変わらない程度に難しいから、余計に難しく感じるのではないだろうか。あと、発音や意味が「歪められている」ことや、「真の日本語ではない」ことから抵抗感があって学ぶ気が薄れるのも原因かもしれない。なんで「まちがってるほう」に合わせなきゃいけないんだか、という不満があるのではないだろうか。

日本語の生物名(和名)には、オニは大きい、ヒメは小さいという法則がありますか?

例:
ヒメオコゼ
オニオコゼ
ヒメオニオコゼ(←?)

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