今日オットとディナーを食べながら、ふと思った。息子たちが今の私たち位になった頃、自分の人生を振り返って「自分は恵まれていた、ありがたい」と思えるようになったらいいな。恵まれている、と思えるということは、本人なりに満足のいく、幸せだと思える状態にリーチした、と言うことだし、その状態にリーチ出来たことを、全て自分の努力の結果、自分だけの手柄だと驕っていない、と言うことでもあると思うから。

BT < そう…円安になれば、大半の日本人は国内に留まるし、外に行けない分、日本が一番、日本凄い、クールジャパンという洗脳が都合よく浸透して、外に行こうという意欲もなくなる。外への興味は失せ、皆が内向く。海外なんかよりともかく日本が一番と思わせておいた方が、与党的には非常に都合が良い。そういうことなんだろう。彼らにとっては、情報通のレベル高い国民ほど扱いにくいもなはないだろうからね。

ヴェネツィアという都市国家には、歴史的にも立地的にもとても興味があるのだけども、最近の状況を聞く限り、私が実際にその地を訪れることはないだろう、と改めて思うなど。ただでさえ外国人観光客で溢れて困っているところに、わざわざ行く必要もないよね。私はね。

基本無記名投票なのだから、社長に頼まれようが上司に頼まれようが、私は自分の思う通りに投票するし、なんならそんなことを言い出した時点でその会社辞めるだろうな。私ならね(誰もが簡単に出来ることではないのは承知の上で)。

映画とかだと、確かに人類は愚かで過ちも犯すけど、でも実は素晴らしい美点も持ち合わせていて、生き残る価値がある、「私たちには価値があるから✨」みたいなレトリックで救われて大団円になるけど、私はそうは思わない。人類は絶滅すべきだよ。私たち人類に、救われる価値なんて、ねぇよ 🤬

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ダメだ。世界の現実を知れば知るほど、自分たち人類がどれだけおぞましい生き物か、が見えてしまう。見えれば見えるほど、希望が無くなる。とはいえ、頭を土中に埋めて「見ざる言わざる聞かざる」で知らぬ存ぜぬを貫きとおすような図太さもない。恐ろしい。恐ろしすぎる。

アメリカのサービスを日本で販売するビジネスはなかなか大変だろうなぁ今…(他人事

ハッキリ言って、これまで全くアンチではなかったのだけれども、去年からの展開で、ぐるっとまとめてアンチとまでは言わずとも、はっきり言って「全く信用できない」とネガティブな方向に、思い切り傾いてきている事実は否めない。

思うところは数多くあるし、色々読み漁って、自分なりの考えを(改めて)構築しつつあるけれども、結局私には完全な真実はわかり得ないし、学んだことと現状の時差はどうしようもないし、自分自身が経験している訳でもない現状について、蚊帳の外の安全圏から誰が悪いの、何がどうだの、こうすべきだっただの、口を出せる立場でもない。なので、もう何も口にしないことにした。「口にしない」「意見を言わない」イコール「他人事」「何も考えていない」「何もしない」ではない。ただ、こういう状況で私は「声だけ大きい外野」にはなりたくない、というだけのこと。引き続き、観察と勉強、そして私に出来る支援に勤しむつもり。

最近、意図的に1時間早めに前倒し操作してるシンガポールの時間帯が軽くストレス。実際より1時間早めにしているから、朝7
時を過ぎないと明るくならず、それより早めに行動が開始できないため、朝の時間を思うように効率よく使えない。一人暮らしだったり、オットと別寝室ならそれでもいいかもしれない。朝日を浴びないと体が起きないわー、というのはあるかもしれないけど、暗い中活動開始しても問題はない。

最近諸事情から朝5時半前に目が覚めるのだけど、オットの睡眠の邪魔をしないために明るくできないし、バタバタ動き出すのも無理。まだ外真っ暗だから、朝散歩に行くのも難しい。

私にとって、朝はがっつり色んなことがこなせる貴重な時間帯なのに、朝7時を過ぎないと1日を開始出来ない!つまり正午までたったの5時間しかない!というのが、小さいことながら積もり積もって、ストレスになってきているのです…。本来ならまだ午前6時のはずなのに…そしたら正午まで少なくとも6時間あるのに……😓😓😓

「ガチャ」という言葉も表現もあまり好きではないが、いわゆる「ガチャ」の結果は自分の責任ではないので何とも思わない。単に運が悪かった、良かった、だけの話だ。それは本人の、自分自身の功績でも失態でもなんでもない。私が気にかけるのは、自分自身の意志と力で選び取ったものや事柄だけだ。何故ならそれは、それを選んだ自分自身の、自分自身だけの責任だから。

リアルな知人・友人でも、リモートでメッセージやり取りする際の距離感って難しい。50代になってもこれは変わらない。忌憚なく何でも言い合える悪友とかなら、気が向いたら深夜でもメッセージ送れるけど、正直そういう「悪友」は1人か2人くらいしかいない。いや、厳密には1人だけか 🤔 元々友人、知人+(知人以上、友人以下)の数が極端に少ない私だから余計にそう感じるのかもしれないけども。

何事も、内側から見るのと外側から見るのとでは、見え方が違う。ベストは両方からの視点を持つことだけど、全知全能でもないのに、この世の全てにおいてそんなことができる訳がないので、少なくとも「自分の視点は限られている」という認識を常に持って物事を眺めるようにするのが、最低限私たちにできることなのではないだろうか、と思う。

今読んでる本に「自分に甘くではなく、自分に優しく」とあった。これ、似ているようで全く異なることなのよね。そして、自分を甘やかすことは簡単だけど、意図的に「自分に優しく」することって、とっても難しい。

私は自分の父と母には結構手厳しい。でもそれもこれも、彼ら自身が、私が子供の時に教え指導し、躾仕込んだものだから、ある意味「自業自得」だと思っている。

そういう意味でも将来、自分が教え躾けたものにブーメランされないよう、いや、されてもちゃんと受け止めて立っていられるよう、今から根性と覚悟入れて歳を重ねるつもり。

自分が言った言葉もやったことも、その意図の善悪は関係なく、何もかもすべていずれは自分のところに戻ってくるものだから。

生きている、だけでなんでこうもしんどいのか。年をとって、元気に黄金の引退生活を満喫している人々を見ると、とてもかなわないと毎度思わされる。

『AIに負けない子どもを育てる』というタイトルの書籍を見かけたけど、そもそも AI に対抗しようとするのは無理があるんじゃなかろうか、と思ったり。AI に出来ないことをやるのが人間では。

何かを「買う」というのは、コミットメントする、ということなのよね。と、突然思ったなど

「(自分たちにとって)都合の悪い、見たくない事実・現実は、ありとあらゆる手段を使って無かったことにする、その為ならどんな努力も苦労も犠牲も惜しまない」のよねぇ。

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