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『韓国の今を映す、12人の輝く瞬間』

映画『国際市場で逢いましょう』を観た時に、号泣しつつも朴正熙の軍事独裁政権の暴力と横暴には全く触れずに展開する物語にはモヤモヤしたのだけど、この本でチェ・ヒョンスクさん(韓国の「老害」と言われる人々のオーラル・ヒストリーを書き歴史を振り返る、作家であり老人福祉士として働いている方)のインタビューを読んでそのモヤモヤを思い出した。
私もチェ・ヒョンスクさんと同じく、感動と涙の成功譚として描かれることの弊害のほうをどうしても考えてしまう。

それと同時に、少し前に読んだ『韓国映画から見る、激動の韓国近現代史』で著者の崔盛旭さんが、この映画への「歴史の美化」との批判には頷きながらも、亡き父の姿がドクスに重なり涙が込み上げてきたと書いているのを読んで、私は朴正熙の死に嘆く高齢世代の人々を全然見ていなかったんだなとハッとしたことも改めて思い出した。

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これまで読んだ韓国のいろんな本や文章で「ハンギョレ新聞の、イ・ジンスンのインタビュー」がちょくちょく言及されていたけれど、この連載のことだったのかと、ようやくハッキリと認識できました。

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『韓国の今を映す、12人の輝く瞬間』イ・ジンスン/伊東順子 訳

ハンギョレ新聞で5年間連載されていた、イ・ジンスンによる122人へのインタビューのうちの12人。

美しい輝石が配置された表紙や、タイトルから感じていた読む前の印象とは全く違う本でした。
韓国社会の中でそれぞれの想いから行動する各人の、偉大な成功ではなく生々しい痛みの声、これまでの日々と続いてゆく人生についてを聴き取った凄まじく濃い内容で、本当に読んで良かった。

「挫折と傷と恥辱にまみれた日常の中で最善を尽くし、自分だけの光を放つ平凡な人々の特別な瞬間を記録したかった」と、著者がまえがきに書いていました。

セウォル号の犠牲者を海から引き揚げ続けた後に亡くなった、ボランディアダイバーの妻。
癒着に目をつぶらなかったために、朴槿恵に更迭され職を追われた公務員。
障害者施設で18年間離れて暮らしていた妹と、同居を始めた姉。
ベトナム戦争における韓国軍の加害を暴き、ベトナムで被害者の聴き取りを続けた女性。
クィアの若者を支える「父母の集い」で活動する、レズビアンの娘さんを持つ母親など、12人の方が紹介されています。

今朝のテレビ各放送局での、能登の水害の被災状況の情報(死者や安否不明者や孤立状況の数字)が遅れているのがすごく気になった。今朝の現物の朝刊よりも情報が遅いって、納得がいかないのだが。
石川県に系列放送局が有るチャンネルでも、昨晩の情報から更新せずに流していて、何で?となった。
これは私が地元だから気づいただけで、他の地域のニュースでも同じようなことはたくさんあるんだろうなと。

少し前の秋田や山形の豪雨災害も同じだったけど、数日後には、自分から地元ニュースを確認しにいかないかぎりその後のことは分からなかった。
継続取材がほとんど無いまま全国に向けては報道されず、伝えられないことばかりで嫌になるよ。

「各々の正しさは分かり合えない」「どっちもどっち」という冷笑的態度が蔓延り、道徳教育で「公正・公平」を個々人が努力して養うべきものと教えられているような今の日本社会で、あの記事を「分かる、まさしく正義依存だ!」と持ち上げることは、やはり害としか思えない。

朱喜哲『〈公正(フェアネス)〉を乗りこなす 正義の反対は別の正義か』を読みました。

「正義」や「公正」といった「正しいことば」に対して冷笑的な態度が向けられている現状のなか、そうした言葉の使われ方を丁寧に解きほぐしながら言葉の意義をとらえ直してゆく本で、すごく良かった。

少し前の朝日新聞の「リベラルは正義に依存している」の記事にモヤつき、その後の波及にも暗い気持ちになっていた時に、記事を受けてこの本をオススメしてくれた方たちのおかげで手に取ったが、読んで本当に良かったです。

そしてあの記事では、組織やグループにおける同質性や硬直化によって対話ができなくなっている実感について話しているはずなのに、その問題意識を「正義」という言葉を持ち出して語ることで、その言論が結局、周縁に置かれている人や苦しみながらも行動している人への害になってしまっていると改めて感じる。

そのほかの8月に買った本。

『喉に棲むあるひとりの幽霊』(デーリン・ニグリオファ/吉田育未訳)は、250年前の詩人の姿を捉えようとしてもがく著者の、痛みと切迫感に満ちた破滅的とさえ感じる語りが凄かった。
奈倉有里さんの『文化の脱走兵』も素晴らしいエッセイ。『群像』の連載を読んでいたけれど改めて通して読むと、タイトルに込められた言葉に胸が詰まる。

◆『ナイルの聖母』スコラスティック・ムカソンガ/大西愛子 訳
◆『喉に棲むあるひとりの幽霊』デーリン・ニグリオファ/吉田育未 訳
◆『スイマーズ』ジュリー・オオツカ/小竹由美子 訳
◆『万両役者の扇』蝉谷めぐ実
◆『テヘランのすてきな女』金井真紀
◆『文化の脱走兵』奈倉有里
◆『マザリング 性別を超えて〈他者〉をケアする』中村佑子

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8月に読んだ本。ミステリとホラーばかり読んでいるうちに夏が過ぎてしまった。

◆フランス革命前後のヨーロッパの小国が舞台の、潮谷験『伯爵と三つの棺』が面白かった。最初はすごくくだけた調子に驚いたが、時間と時代の移ろいによって明かされていく真相の描き方が最後まで良かった。

◆オーストラリアミステリの『ぼくの家族はみんな誰かを殺してる』(ベンジャミン・スティーヴンソン/富永和子訳)は、それまでの章立て手法がにわかに活きる最終盤の構成が好きだった。

◆話題のホラー、上條一輝『深淵のテレパス』は、重要なことから些細なことまで全ての会話やシーンにさり気なく仄めかしが盛り込まれていたと分かり、デビュー作なのに上手いなあと。
それと日本の会社員たちが毎朝作り出す葬列、暗澹たる日常の書きっぷりがスゴイ。辛い。

◆松原タニシさんの本を初めて読んだのだが、私がこれまで想像していた「賃貸物件としての事故物件」の様子とは違いすぎたし、相当にエグかった。「怖い話」の意味が違う、妙に迫力のある話もバンバン出てきて、唖然としてしまう。

梯久美子『戦争ミュージアム ──記憶の回路をつなぐ』

戦争の災禍の記録、その時代を生きた人々の記憶、戦争の被害と加害を伝え継承する資料館や記念館など、著者が足を運び取材した日本各地の博物館が紹介されています。

国内各所で起きた様々なことを端的に学べるので、子供たちにも分かりやすくてオススメだと思う。特攻隊をはじめ戦争について歴史認識が歪んでいっているのが恐ろしいが、子供たちには事実を事実のまま知ってほしい。
などと言っている私も沖縄の戦争マラリアの甚大な被害など、知らなかったことも多くあり恥ずかしくなった。

◆沖縄県石垣島「八重島平和祈念館」
マラリアの有病地を避け長年暮らしていた八重島諸島の住民が、軍令により有病地へ強制移住させられ、総人口の53%が罹患し多くの犠牲者が出た

◆広島県大久野島「大久野島毒ガス資料館」
日本軍の毒ガス製造に、学徒動員された子供1,100人を含む 6,700人が従事し、事故や健康被害で多数の死傷者が出た

◆茨城県「予科練平和記念館」
予科練出身者が特攻任務に就くことが多く、戦地へ赴いた8割が戦死

◆山口県大津島「周南市回天記念館」
人間魚雷として製造された特攻兵器「回天」の基地があった

他にも各地に建つ14ヶ所の「戦争ミュージアム」が載っています。

ある初読み作家さんの連作短篇ホラーを読んでみたら、怪異の発動条件のところがちょっと……昨今の出版界でちょくちょく見るアレコレを思い出してしまい(版元編集者をはじめ出版関係者による、読者の古本屋や図書館の利用を否定するかのようなSNSでの苦言)、妙に引っ掛かるというか、作者の意図以上の意味を含んで読んでしまって、微妙な気持ちになった。

それとメタ構造として登場するKADOKAWA担当者の「呪いの本でも何でも売れれば良いんですよ♪」的なめちゃ軽薄な態度も、昨今の同社の姿勢からはネタとして軽く流せないものがあるぜ……ってモヤモヤしちゃうよ。

こういうタイプの小説を読むたびに、数年前の横溝正史ミステリ&ホラー大賞の選評で辻村深月さんが「近年、田舎を田舎というだけで何が起こっても許される装置として乱暴に描いてしまう応募作が多い」と書いていたのを思い出す。

澤村伊智さんも以前から「土俗的な風習を持つ人々を異物として描かない」と意識していることや、「異文化を恐怖の対象として扱う作品を無邪気に楽しんではいられないという意識」について語っていたし、田舎や異文化を「ホラー」的に面白がる態度について読者に冷や水を浴びせる『予言の島』のような作品もあるし。

ホラー小説は、こういう問題意識が大前提になっていてほしい。

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ホラー小説が好きなのだけど、人の営為による願いや祈りを描かずに怪異だけポンと出されたり、その土地の民俗をちゃんと描いていない「土俗ホラー」はすごく苦手。
特に「因習村」系がイヤなのでそう謳っている本は買わないようにしているけど、今読んだ新作ホラーアンソロジーの中にド直球の「因習村」話が入っていて、読んだがやっぱり苦手だった〜。

舞台とするその「田舎」の風習は見えないままに悍ましい因習と怪異だけを創り出して、「外」から来た人間が「田舎」とその村人たちをジャッジする構図、というのは私的には一番嫌いな「土俗/因習村ホラー」だ……。

街の本屋さんの苦境の訴え(新刊本が配本されず客注の申込分すら入荷してもらえない)に向かって、同じ業界で働く書店員さんたちから「客注品が数通り来ないのは常識なんだから/ウチはこうやって先回り対応している/それをしないのは怠慢」という感じのチクチク発言が出るのを今回に限らずこれまで何度も目にしてきたけど、その度にめちゃくちゃ辛くなる。
いち客の私からしたら、そうした工夫と努力で対応せざるを得ない「業界の常識」とやらが何十年も変わらないことのほうが変だとしか思えないのですが……。

書籍の流通における取次の問題や課題には触れず棚上げにしておきながら、問題提起する店主のやり方だけをただ非難するのは、自己責任論に絡め取られてしまっているように見える。

お年寄りの病院受診を医療費の無駄だと決めつけるような言説とかも、目に入るのが本当にしんどい。
高齢者を十把一絡げにして語る人たちは、怒りの対象が何故そこにいくの?高齢者みんなが「楽な・良い生活」なんて全くしていませんよ……。
そういう怒りを表明する人ほど何故か、現政権によって巨額の税金が利権にまみれた事業に無駄に費やされることには無関心・無批判だったりするのが、本当に意味が分からない。
コロナ禍や東京オリンピックや裏金事件を経たこの数年間だけをとって見ても、ハッキリと衆目に晒された悪事がそこにあるのに、それは擁護しながら高齢者を攻撃するって何なんだ。

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SNSで可視化されるものが最悪すぎて日々気持ちが削られてゆく。
ネットの言説と実際の世界は絶対に違うものだしそう思いたいけど、しかし最近はもうSNSや各媒体に溢れる冷笑的な空気が日本社会そのままを表してるのかなと思うことばかりで、本当〜に気が滅入る……。
とりあえずTwitterはなるべく見ないようにしているけれど、それも罪悪感を覚えてしまう。

アンソロジーと言えば、『MONKEY』の「ニュー・アメリカン・ホラー」特集で柴田元幸さんが書いていたが、ホラー・アンソロジーが次々に出たり文芸誌でもホラー特集が組まれるなど、ホラーはいま「旬」とのこと。
ジョーダン・ピール監督が編者の一人の黒人ホラーアンソロジーや、先住民族作家たちによるホラーアンソロジーとか、絶対読みたい!邦訳が出てほしいなあ。
今号での掲載作品も、ネイティブ・アメリカンやアフリカン・アメリカンである作家のエスニシティから生まれた「ホラーと政治が溶けあったような」物語で、すごく良かった。

ところで今回の『MONKEY』、うちの最寄りの大型書店ではかなり早く売り切れていた。普段はもっとジワジワと減っていくのに。
海外ホラー特集の需要が実はめちゃくちゃあるのか、みんなブライアン・エヴンソンが大好きなのか(私も『ウインドアイ』が好き)、ヒグチユウコさんの表紙に惹かれた人も多くいたのか。

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『BRUTUS』のSF特集も面白かった。294作品を紹介する「現代SFキーワード辞典」がすごいボリューム。
それと「海外SFの現在地」で橋本輝幸さんが紹介していた、アフリカ各国や南アジアの作品がどんどん日本で訳されてほしいな。挙げられていた未訳作品の中では特に、32人のアフリカ系作家のアンソロジー『Africa Risen』が気になる。
世界各国のアンソロジーをもっと読みたいよ。

『文藝』秋号の世界文学特集でも、粟飯原文子さんが「様々なアフリカ人作家によって様々な場所、様々な言語で書かれるアフリカ文学作品が翻訳されてほしい」と書いていたけれど、ほんとうに、同時代を生きる現代作家による「今」の作品をもっと読みたいし、広く出してほしいな。

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7月に買った本。『星の時』が忘れがたくて発売を心待ちにしていたクラリッセ・リスペクトル『ソフィアの災難』、最高な短篇集でした。
どんな本なのか何も知らずに開いた柴崎友香『百年と一日』は読みながら様々な感情が去来して、いてもたってもいられなくなった。

◆『歩き娘 シリア・2013年』サマル・ヤズベク/柳谷あゆみ 訳
◆『約束』デイモン・ガルガット/宇佐川晶子 訳
◆『ソフィアの災難』クラリッセ・リスペクトル/福嶋伸洋、武田千香 訳
◆『感情のアーカイヴ』アン・ツヴェッコヴィッチ
◆『お砂糖ひとさじで』松田青子
◆『バトラー入門』藤高和輝
◆『戦争ミュージアム ──記憶の回路をつなぐ』梯久美子
◆『なぜ難民を受け入れるのか ──人道と国益の交差点』橋本直子
◆『強迫症を治す』亀井士郎、松永寿人
◆『百年の孤独』ガブリエル・ガルシア=マルケス/鼓直 訳
◆『生贄の門』マネル・ロウレイロ/宮崎真紀 訳
◆『モルグ館の客人』マーティン・エドワーズ/加賀山卓朗 訳
◆『風に散る煙(上・下巻)』ピーター・トレメイン/田村美佐子 訳
◆『フェミニズム』竹村和子
◆『百年と一日』柴崎友香
◆『double 彼岸荘の殺人』彩坂美月
◆『映画とポスターのお話』ヒグチユウコ、大島依提亜

橋本直子『なぜ難民を受け入れるのか 人道と国益の交差点』

◆日本の向き合い方

2021年タリバンがアフガニスタン全土を制圧した際、各国がアフガニスタン現地職員とその家族を大規模に自国へと退避させる中で、日本は差別的で非人道的な対応を取り、長年日本に協力した多くのアフガニスタン人を見捨てた。

2022年、ロシアのウクライナ侵攻から一週間も経たずに日本政府は避難民受け入れを発表。
来日希望のウクライナ人は身元保証人無しでパスポートが無くとも無条件に短期滞在査証が発給された。
入国後は就労可能な在留資格、住民登録、国民健康保険への加入、滞在場所、食事、生活費、カウンセリング、日本語教育、保育、学校教育、職業相談、通訳・翻訳機が提供された。

「日本との繋がりの無いウクライナ人に対しては簡単にできたことを、長年日本のために働いたアフガニスタン人には拒んだ。」

ウクライナ避難民への対応は日本が「やろうと思えばここまでできる」ことを実証したものであり、著者は「今後の庇護政策は全てウクライナ避難民を最低基準としなければならない」と。

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橋本直子『なぜ難民を受け入れるのか 人道と国益の交差点』

◆世界での難民の受け入れ方
① 「待ち受け方式」
難民受け入れ国へ自力でたどり着いた人が庇護申請を行う方法。

難民条約の批准国は、自国で庇護申請を行った人を難民認定審査を経るまで迫害を受けるおそれのある出身国に絶対に送り返してはならない「ノン・ルフールマン原則」を遵守せねばならない。
そのため多くの国で、庇護申請の責任を負わずにすむように難民が自国にたどり着かないよう必死で策を講じている。(地中海でボートピープルをたらい回しにするなど)

②「連れて来る方式」
最初に一時庇護された国から別の第三国へ難民として受け入れられ定住する「第三国定住」が、UNHCRの支援で行われている。

第三国定住は、難民の選定から定住プロセスまでを受け入れ国が主導権を握り秩序だって実施できるため、「先進国」政府に好まれている。「都合が良く、かつ人道的」だから。
この「連れて来る方式」を拡充する代わりに、「待ち受け方式」での受け入れを厳しくする傾向がある。
ボートピープルの拒否などで非人道的との謗りを免れるために、厳格な国境管理という国益と、脆弱な難民の受け入れという人道が複雑にねじれた政策。

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