三木那由他『言葉の風景、哲学のレンズ』を読みました。
日常で直面する、言葉やコミュニケーションに感じた違和感を「今、何が引っ掛かったんだろう?」とスルーせずに見つめ直すこと。
三木さんが哲学のレンズを通して行う丁寧な思索をこうして読んでいると、自分自身の日々の景色もクリアになっていくような興奮があり、めちゃくちゃ面白い。
昨年、母に三木さんの前作『言葉の展望台』を読んでもらって読後にたくさん話をしたのだが、それ以来、クィアな話題を何でも共有して話せるようになった。
元々母とは倫理観も社会問題の認識にも齟齬が無く、これまでもSNS上の差別言説への怒りを聞いてもらったり、一緒にドラマ『POSE』を観たりしていたけれど、それでもすごく変化があった。
自分が以前にもまして「安心できる食卓」と感じられているのは間違いなくこの本がキッカケだったことを、「一緒に生きていくために」の章を読んだ時に思い出した。
自死の幇助をめぐる討論を描いた戯曲、フェルディナント・フォン・シーラッハ『神』を夏に読んだすぐ後に、ちょうどこの児玉さんの『安楽死が合法の国で起こっていること』が出ることを知り、合わせて読みたいと思い発売を待っていた。
『神』では人間の自由意思と生き方が議論の中心にあったけれど、シーラッハが俎上に載せて交わされた意見や懸念(ドイツでは2020年に自死幇助禁止が裁判所により覆され、具体的な法整備の議論はこれからという状況)は、他の国々ではすでにそれらを遥かに通り越した実態が出来つつあり、更に加速しようとしていることが分かり恐ろしくなった。
『神』での、「あなたはこの自死の幇助に賛成か?反対か?」と読者が結論を下すコンセプトが、もはや問題に思える。
児玉真美『安楽死が合法の国で起こっていること』を読みました。
医師の幇助による自死が可能な国々で起きている、私が安楽死というものへのイメージとして持っていた「耐えがたい痛みに苦しむ終末期の人が救済策として望む選択」とはかけ離れた現状と、様々な実態についての懸念がまとめられています。
法的要件のルールがどんどん緩和され、社会的弱者への圧力とならないように設けられていたセーフガードが取り払われながら安楽死の対象者が拡大してゆく中、医療現場では安楽死容認の指標が「救命できるか否か」から「QOL(生活の質)の低さ」へと変化し始めている実情などが示されている。
そして安楽死対象者の拡大と指標の変質は、「障害がありQOLが低い生には尊厳が無い」という価値観が世の中に浸透していくことに繋がり、命の選別と切り捨てへ向かうという強い懸念も。
医療や福祉の支援があれば生きられる人たちへ、社会福祉が尽くされないまま自死を解決策として差し出す恐ろしい現実がすぐそこにある今、児玉さんの「安楽死は「賛成か反対か」という粗雑な問題設定で語れるものではない」という言葉が重く響きました。
ブルハン・ソンメズ『イスタンブル、イスタンブル』
(最所篤子 訳)
10代の学生から老人までを含めた政治囚たちが地下の牢獄で過酷な拷問を受けながら、互いに物語を語り合う。
人権を剥奪された彼らが苦痛の中で見せる他者への優しさや労り、人間の営みへの理想と矜持の語りが凄まじかった。
作中では具体的な時期も政治状況も明言されないけれど、クルド系トルコ人の著者が描くこの物語はトルコにおけるクルド人への弾圧と拷問の歴史であり、それは遠い過去の出来事ではなく現在も続いている。
そして読んでいる間、この日本にあっては、入管施設で起きていることを重ねて考えずにはいられなかった。
クルド人への激しい弾圧については、舟越美夏さんの本『その虐殺は皆で見なかったことにした』も、とても苦しいのですがぜひ。
2016年にトルコ南東部にあるクルド人の町ジズレで起きたクルド人虐殺についての取材記録で、自分たちとは異質な他者とみなした者の生命に対して、人間はこんなにも無関心で冷酷になれるということを突きつけられます。
今また全世界が目の当たりにしながらも国際社会で黙認されるイスラエルの暴虐の状況と重なりとても苦しい。いつまでこんなことが続くのか。
10月は気持ちがしんどすぎて小説が全然読めず、研究書やノンフィクションばかり読んでいた。
数年ぶりに岡真理さんの本を手に取りましたが、『ガザに地下鉄が走る日』は今の必読書でした。
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◆サラ・ロイ『ホロコーストからガザへ パレスチナの政治経済学』
◆岡真理『ガザに地下鉄が走る日』
◆サイディヤ・ハートマン『母を失うこと 大西洋奴隷航路をたどる旅』
◆ジェフリー・フォード『最後の三角形』
◆ブルハン・ソンメズ『イスタンブル、イスタンブル』
◆クラウディア・ゴールディン『なぜ男女の賃金に格差があるのか』
◆牧野百恵『ジェンダー格差』
◆デイヴィッド・グラン『花殺し月の殺人』
◆アラスター・グレイ『哀れなるものたち』
◆ドニー・アイカー『死に山』
◆イーユン・リー『千年の祈り』
◆『シャーリイ・ジャクスン・トリビュート 穏やかな死者たち』
在日本韓国YMCA編『交差するパレスチナ 新たな連帯のために』、すごく良い内容でした。
2008年からパレスチナ映画の上映会「オリーブ映画祭」を開催してきた在日本韓国YMCAが2021年〜2022年にオンラインで実施したティーチインをまとめた本で、自分が断片的に知っていた出来事や情報が整理され、とても勉強になりました。
アメリカの黒人解放闘争とパレスチナの連帯の歴史や、ガザや西岸地区の流通と移動を徹底的に管理することで生から価値を略奪し続けるイスラエルの占領のあり方、イスラエルが自国をLGBTフレンドリーで先進的な国であると戦略的に宣伝するピンクウォッシングの問題(そして反対にイスラーム社会=同性愛嫌悪で後進的な社会と表象する意図)など、多様なテーマによる8人の論考が収録されています。
図書館で借りた3冊、読みました。
イラン・パペ氏の研究書2冊は、パレスチナ問題の過去から現在までを掴むなら、『イスラエルに関する十の神話』が分かりやすいと思いました。
◆『イスラエルに関する十の神話』は、
イスラエル側が公的な歴史として表明している、イスラエルとパレスチナの過去と現在に関して事実がねじ曲げられた「神話」を、実際の「歴史的事実」と並置して分析・否定しながら、イスラエルの嘘で固められたプロパガンダを解体してゆく本でした。
(例えば第一章のタイトルは、「パレスチナは無人の地であった」で、各章ごとに“神話”の虚偽を分かりやすく説明しています。)
◆『パレスチナの民族浄化 イスラエル建国の暴力』は、
1948年のイスラエル建国という出来事の前後に起きた、パレスチナ住民が虐殺・追放された「大災厄(ナクバ)」と呼ばれる民族浄化(イスラエルは決して認めない)について、そして1949年以降から近年に至るまでの、国連も含めた「和平プロセス」の失敗の歴史が非常に詳細に記されていました。
SNSでいろんな方が、信頼できる内容として挙げてくださっているパレスチナに関する文献、品切れで手に入らないものも多かったので図書館で何冊か借りてきました。
◆在日本韓国YMCA編『交差するパレスチナ 新たな連帯のために』2023年
◆イラン・パペ著
・『パレスチナの民族浄化 イスラエル建国の暴力』2017年
・『イスラエルに関する十の神話』2018年
キャサリン・レイシー『ピュウ』
(井上里 訳)
言葉を発さず、外見からは年齢も性別も人種も読み取れない人物が町に現れたことで住民たちが見せる、様々な反応。
人間とそのコミュニティの、自分が安心するために・自分にとって分かりやすい形で他者を理解しようと躍起になる姿、善意でコーティングされた暴力的なまでの理解の押し付けが滑稽でもあり、とてつもなく恐ろしい。
いかようにも解釈できるラストも含めて、私は全体に諦念を持ってかなり悲観的に読んでしまったが、しかしどこか晴れやかな気持ちにもなった。
めちゃくちゃ好きでした。
9月に買った・読んだ本。
キャサリン・レイシー『ピュウ』 は、今年のベスト本の一冊になるほど好きだった。
好きというか今の自分のムードにめちゃくちゃマッチしていて、どこまでも静かな語りに反して自分の感情のザワつきが圧倒的だった。
同じ意味で、斎藤真理子『本の栞にぶら下がる』 や、クリスティーナ・ハモンズ・リード『ザ・ブラック・キッズ』も今読んで本当に良かった。
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◆斎藤真理子『本の栞にぶら下がる』
◆ザキヤ・ダリラ・ハリス『となりのブラックガール』
◆キャサリン・レイシー『ピュウ』
◆ベアトリーチェ・サルヴィオーニ『マルナータ 不幸を呼ぶ子』
◆クリスティーナ・ハモンズ・リード『ザ・ブラック・キッズ』
◆フェルディナント・フォン・シーラッハ『神』
◆夕木春央『十戒』
◆背筋『近畿地方のある場所について』
◆M・W・クレイヴン『グレイラットの殺人』
◆マーティン・エドワーズ『処刑台広場の女』
◆ケヴィン・ウィルソン『地球の中心までトンネルを掘る』
◆フランシス・ハーディング『影を呑んだ少女』
◆アンソニー・ホロヴィッツ『ナイフをひねれば』
8月に買った・読んだ本。
『慣れろ、おちょくれ、踏み外せ』がめちゃくちゃ素晴らしい対話本で、読んでる間ずっとワクワクしていました。
ロビン・ディアンジェロの本が『ホワイト・フラジリティ』に続きベストセラーになったことや、フランスにおけるホロコーストとユダヤ人差別の過去と現在を描くノンフィクション小説である『ポストカード』が高校生たちに支持されていることには、希望を感じられる気がして嬉しくなりました。
◆アンヌ・ベレスト『ポストカード』
◆キム・ソンジュン『エディ、あるいはアシュリー』
◆蝉谷めぐ実『化け者手本』
◆宮部みゆき『青瓜不動』
◆小川公代『世界文学をケアで読み解く』
◆森山至貴×能町みね子『慣れろ、おちょくれ、踏み外せ 性と身体をめぐるクィアな対話』
◆ロビン・ディアンジェロ『ナイス・レイシズム なぜリベラルなあなたが差別するのか?』
◆周司あきら 高井ゆと里『トランスジェンダー入門』
◆ピーター・スワンソン『8つの完璧な殺人』
宮部みゆき『青瓜不動 三島屋変調百物語九之続』
今作はまるまる、富次郎が自らの来し方行く末について思い巡らせる一冊だった。
表題作は虐げられ居場所を失った女性たちが身を寄せ合い助け合って暮らす、江戸時代版DVシェルター!
ただシェルターの庵主となったお奈津が、父親と相容れなかったことを後悔して「父には父の苦しさがあったのだ」と自分を責めるのには、父親の仕打ちをそんなふうに許さなくてもいいのにな……とモヤモヤ。
そんなお奈津だからこそ彼女のもとに不動明王(うりんぼ様)が顕現したのだろうとは思うけども。
四篇目は、里の大人たちの行動に泣けて泣けて……。展開は分かっているのに、こういうのに本当に弱い。
陳思宏『亡霊の地』(三須祐介訳)を読みました。
7人きょうだいの末っ子である陳天宏が、ベルリンで恋人“T”との間に起きたことを追想しながら、台湾に帰郷する。
視点は天宏から5人の姉たちや父母へと次々に移ってゆくのだが、誰も彼もがめちゃくちゃ辛い。
田舎の驚くほど狭く逃げ場のないコミュニティの中で、家族という一番近しく濃い関係性から生じる、容赦のない様々な形での抑圧が生々しく描かれており、ものすごく苦しい。
家族は体験を共有していながらも、立場も違うし見たこと知っていたことも自分ひとりだけのものであり、何を感じどうやって生き延びてきたのかもみんな違う。
多視点によって語られる、家族それぞれの痛みと苦悩にまみれた過去と現在とを追いながら、密接に絡み合って最後に立ち現れるものに胸がつまる圧巻の群像劇でした。
ケイセン・カレンダー『フィリックス エヴァー アフター』(武居ちひろ訳)を読みました。
こんなに瑞々しくて、眩しいほどに真っ当な青春小説を初めて読みました!
家族や友人への複雑な感情と関係、将来への不安、そしてジェンダー・アイデンティティに葛藤しながら、答えを探すフィリックスに胸が熱くなる。
アウティングを受けたフィリックスの苦しみ、そして無知との衝突に心抉られるのだけど、「人は誰でも過ちから成長できるはずだから許すべきなのかもしれない、しかし差別者を許さない」ことを選ぶフィリックスの決断が描かれており、ここは本当に重要だと思う。
自分の尊厳を犠牲にするべきではないこと、自分を守る選択も、絶対に尊重されるべき。
主人公をはじめ、非白人のクィアの登場人物がこんなにも当たり前にたくさん出てくる物語が読めて、すごく嬉しい。
ハリー・ムリシュ『襲撃』(長山さき訳)読了。
解放間近の第二次世界大戦下のオランダ。
ナチス協力者の警視が殺害された報復で、全く無関係にもかかわらず家族を殺された少年アントンの半生を、その後けっして消えない複雑な葛藤の中で巡らせる善と悪についての思索を静かに見つめる傑作でした。
「襲撃」があった夜に、何が起きていたのか?
起こってしまったことは変えられない、事実は事実であり、自分はそれ以上のことを知りたくはないと考えるアントンが否応なしに過去を見つめざるをえない時、13歳の日に確かに交わした会話や体験への強い感情は記憶の底に沈みすでに遠く、掬い出したくとも伝えるすべがないことが哀しい。
デイジー・ジョンソン『九月と七月の姉妹』(市田泉訳)を読みました。
姉セプテンバーに支配される妹ジュライの視点で、10ヶ月違いの姉妹の歪な関係が紡がれてゆく。
もっとも身近な者から受ける支配が、被支配者の心身にどのような影響を及ぼし続けるのかが、もっとも惨い形で余す所なく描写されており、めちゃくちゃ辛い……。
高まり続ける不穏な切迫感と、心理描写が尋常ではない。
体調の悪い時に見る悪夢のように掴みどころがなくモヤがかかったようでいて、しかし迸る生命力に引き込まれる。
帯の裏側にある本文からの抜粋はこの物語の核心でもあるので、読む前に知らないほうがいいのでは……?と思った。
姉妹の歪さとこの本の雰囲気が瞬時に理解できるので魅力が伝わりやすいとは思うけれど、しかし2人の約束について事前知識を持って読んだのは少しもったいなかった気がします。
読んだ本のことなど。海外文学を中心に読んでいます。 地方で暮らすクィアです。(Aro/Ace)