「ありがとうー」と大きな声で挨拶をする主演の上原謙(バス運転手役)が印象的な「有りがたうさん」(清水宏監督・1936年)という映画があります。
(私は、以前ネットでレンタルして見ました)。
主人公が伊豆の山道でバスを運行するなかでいろんな人が出てくる、全体的にのんびり進んでいくお話です。
その中で、朝鮮半島から働きに来ている父娘のエピソードがあります。その人たちは、バスに乗ることはありません。(たぶんお金がないからでしょう)。そして、そのお父さんの方は、工事中の事故で亡くなってしまいます。工事の終了後、娘さんは、お父さんのお墓を手入れしてくれるように主人公にお願いしてから、「あたしたち、自分でこしらえた道、一度も歩かずに、また、道のない山へ行って、道をこしらえるんだわ」と呟き、次の工事現場に旅立ちます。
今、BTした投稿を読んで、はっとしました。あの映画は「お話」じゃない、と。
今日はね、熱海駅からすぐの来宮駅から梅園方面に登る道の脇から、ちょっとそれた所にひっそりと佇んでいる、丹那トンネル殉職者慰霊碑に行ってきましたよ。
地元で仕事がなかった曽祖父が海をわたり出稼ぎにきて、丹那トンネルを掘っていた際、落盤事故があり。
遺骨を引き取りに来た曾祖母と祖父は、結局地元では食べてゆけないので、日本で暮らすことになったそうで。
あるとき落盤事故と曾祖母、祖父の歳を調べてみたことがあって。
そうしたら、曾祖母は30代後半、祖父は12,3歳だったんですね。
大酒飲みだった祖父は私が生まれる前、肝臓を悪くして50代前半で亡くなっていて。
いっぽう、曾祖母が亡くなったのは私が中学1年生だったかと思うので、1990年代はじめくらいまで存命で。
ただまあ、最後の数年は認知症で徘徊と妄想が酷くなってしまったので、施設に入ってもらう事になってね。
今から考えるともう少しマシな方法があったんだろうとは思うのですが。
さておき、私が小学生3,4年だったかと思うので、亡くなる2,3年前、施設に入る前だと思うんですが、曾祖母が大磯の線路脇を歩いていたらしくて、保護されたんですが。
夜中に父が運転する車で迎えに行ってね。
その当時は訳もわからず、わー夜のドライブだーなんつって無邪気なものだったんですが
アニメ『とんでもスキルで異世界放浪メシ』感想
実は日本では定番のジャンルである「異世界転生モノ」は「植民地主義」の視点で批評されることが英語圏ではあります。今回はこの作品を題材に、どういうことなのか軽く説明しています。自分が普段は意識したことがないような視点を知る…多角的な見え方を提示することで、新しい作品の一面に気づける。そういうのもたまには面白いのではないでしょうか。
2週にわたって取材を受けたワシントン・ポスト紙の記事が公開されました。
私たちはこの国にいる事を、認められていません。
多くの嫌悪感に何重にも取り囲まれています。
特に政権の座にある人たちによって。
その結果、私たちは制度の上でも排除されています。
この記事を読んで頂きたいです。
拡散して頂きたいです。
私たちはここにいるんです。
https://www.washingtonpost.com/world/2023/04/12/japan-lgbt-rights-same-sex-marriage/