“生活保護利用者が就職し、保護廃止となった場合、1人当たり6万円がパソナに「成果報酬」として払われる”
“各行政区の保健福祉センターに派遣されたパソナ職員が、利用者への就職アドバイスを行い、パソナ保有の求人を紹介。”
コメントのしようがないからリンク先読んで。
大阪市 生活保護利用者「就職サポート」/半年で離職7割超/パソナなど大手派遣のもうけ口に| 「しんぶん赤旗」
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik24/2024-11-21/2024112101_02_0.html
李琴峰さんが、トランスジェンダーであることをカミングアウト(させられた)note…
https://note.com/li_kotomi/n/nb528f09024cb
若者も、いま行われてる政治が「よい政治」じゃないってちゃんと分かってるんだよね。だから、今そこに関わってない人を選ぶの、理にかなってる。
若いもんはあんなのにだまされてバカだとか言われても、今やってる人を選んできた大人たちが悪いんじゃねーの。だってそのころ選挙権なかったし。もっと言うと、あんたたちも「だまされてた」とか言うんじゃねーの。あんたたちがバカだったから今こうなってんじゃねーの、
って言われたら、大人はごめんなさいするしかない。
この調査読んでると、ほんとに申し訳なくなってしまう。
こども家庭庁『我が国と諸外国のこどもと若者の意識に関する調査(令和5年度)』(PDF)
https://www.cfa.go.jp/assets/contents/node/basic_page/field_ref_resources/d0d674d3-bf0a-4552-847c-e9af2c596d4e/3b48b9f7/20240620_policies_kodomo-research_02.pdf
» 立花氏と斎藤氏、「実質2馬力」の兵庫県知事選 専門家は疑問も [兵庫県]:朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/articles/ASSCM3FGGSCMPTIL003M.html?ref=tw_asahicom
”稲村和美氏の陣営関係者は、「こちらが1馬力、あちらは2馬力で走った選挙戦だった」と表情を曇らせた。
公職選挙法は、選挙の公平性を担保するために候補者1人あたりのポスターや選挙カーの数などを制限している。総務省選挙課は「法解釈上、候補者は他の候補者の選挙運動ができない」と説明。立花氏の活動については、「違反しているかどうかはわからない。警察が事実に基づいて判断していくものだ」とした”
いっちょ公職選挙法を読もうかなと
公職選挙法 | e-Gov 法令検索
https://laws.e-gov.go.jp/law/325AC1000000100
なるほどなあと思った
» 兵庫県知事選でおきたこと https://anond.hatelabo.jp/20241118092831
選挙
『ストーリーが世界を滅ぼす』というタイトルの本があるけど(未読)、今そういうことが起きているんじゃないのかなと思う。
SNSは人々に物語を吹き込むのに適したツールで、その使い方をいち早く確立したのが右派だった(だけ)。物語を受容して、それに当てはまらないものを拒否してしまうのは、右派も左派も知的レベルも関係なく、人間てみんなそうではないのかな。
「正義は勝つ」「正義だから勝つはず」という物語にとらわれていたんだな、と思ったのが都知事選。
正義は勝つという物語で選挙を捉えてしまうと、
>こっちが正義 ”だから” 勝つはず
>なのに負けた
>あっちは全員 敵/バカ/知的レベルが低い/話通じないモンスターで怖い
>もう民主主義は死んだ
とかって他責したり絶望したりしてしまう。
今回選挙に勝った側にも、「こっちが正義だ」「正義は勝つ」という物語が与えられていた。「正義と正義の戦い」の土俵に乗っかって、「相手を叩きのめしたい」「縁を切りたい」に発展したらダメなんだと思う。
@sethgodman わたしは小さいころから、「仲間はずれするのやめなよ」って言って返り討ちにされるような少し「正義感の強い」タイプでしたが、それは同時に、学級委員として「ちょっと男子静かにしてー!」ができてしまう素質でもあるわけです。
どちらも、自分の中のなんらかの「正しさ」に基づいて、正義感の発露として声を出してたと思うんですけど、その正しさはどこから来ているのか、誰かに与えられたんじゃないのか、何を批難しているのか、押し付けているんじゃないのか、みたいなことを常に意識していないと、簡単に踏み外してしまうなと思っています。
16日午後5時半からの報道特集
【境界知能の非行少年たち】
今、少年院で増える境界知能の少年たち。
平均的な能力と障害の狭間にいる彼らは
なぜ非行に走ってしまったのか。
少年院で導入される新たな取り組みと
更生を目指す少年の姿を追いました。
https://www.youtube.com/watch?v=0-KfYagSoVs&feature=youtu.be
@sethgodman
と、今のわたしは感じていますが、「自分の考える正しさを人に教えてあげたい」を手放すまでに、わりと葛藤がありましたし、まだそれを無意識にやっている場面があるだろうなと思います。
そもそも、そういう個人の「気質」そのもの、「国民性」とか「同調意識」とか、個人主義も自由主義もなく「全体」の調和を大事にしてしまう考え方それ自体が、権力がいいように統治するために教育してきた結果なんだと思います。わたしがこういう気質を習得したのも、中学校でやりたくもない学級委員を長いことやらされたことが多分に影響しているし、学校以外でもそういう価値観にずっとさらされ続けている。
ついでに言うと、日本の教育では人権や政治についても肝心なことは一切教えませんものね。。
日本の教育と価値観しか知らずに育ってしまったのでなかなか難しいんですけど、ここから抜け出したいなと思っています。
@sethgodman 権力に分割されて統治されない、断絶させられないために連帯したいのに、SNS空間みたいな場だけでなく、ごくごく身近な人からも息をするように支配されたり干渉されたりしてしまうので。。それは本人の「欲」ですらなく、無自覚な 和を重んずる同調意識からだったりするので、厄介だなあと思います。
「夫婦別姓は家族を壊してしまう!!」と大声で言う人たちも怖いですが、「えー、〇〇ちゃん(子どもの名前)がいじめられないか心配じゃないの…?」と言ってくる人もまた怖い。
後者のような人が大半で、「大きな声の人」を無自覚に、でも強固に支えてしまう。
別々の意見を持った人間同士として、それぞれがそれぞれのやり方で幸福を追求できるように手を繋ぎたいのに、身も心も同化しないと仲間にはなれないわ(あなたとは断絶します)って言われてる感じ。気持ち悪いですね。。。
誤った二項対立で本筋を見失わせるものももちろん多いし、そこに引っかからないように冷静でいなければいけないのはまず大事。それに加えて、できるだけ誰かをとりこぼさない仕組みを考えようとするときに、是とか非とか反対とか賛成とか、「こっちが正義だ(分かんない奴はバカか差別者)」「当事者として大反対(違う経験と違う意見を持った当事者のことは知らん)」とか、簡単に言うべきじゃないんだと思う。
たいていのことは、個々人の問題というレベルにおとしこんできたとき、簡単に是非とか善悪とか黒白とかつけられないものだと思うんだよね。
匿名出産? ひどい!無責任!子どもがかわいそう!って一蹴しちゃったら、その先には永遠に進めなくて、たくさんの悲劇がこれからもずっと続くだけ。そこで本当に悩んで苦しんでる人のことはずっと置き去り。
だから、「絶対にこっちが正しい」って決めつけないで、丁寧に仕組みを作っていくしかないんじゃん。
置き去りにするようなことばっかりしてる気がする。
尊厳死も共同親権も憲法改正もそう。
反発する自分の感情にまかせて強い言葉を使ってしまうのも分かるけど、同じ当事者だって違う意見の人はいるし、その考え(人生の選択)は間違ってるから俺が変えさせてやる!というのは暴力だと思う。ぜんぜん「リベラル」じゃない。 [参照]
是とか非とかでは言い表せない選択をゆっくり選びとっていく時間があって、それを丁寧にサポートしてくれる環境があって、端的に言ってうらやましい。
「"自分ではない誰か" の人生の選択を尊重する」ってこういうことじゃないの?
»「女性には子を生み母にならない選択肢がある」
フランスの制度を通して見える、日本の「不平等」【フランスの匿名出産】
https://nordot.app/1216918332698214927?c=39546741839462401
”フランスの福祉現場では『人は常に考え得る限りの最善の選択をしている』との前提に立ち、全ての人に福祉を届けるよう力を尽くす”
@sethgodman わたしは「分断」と「統治」に抵抗するための関係や繋がりのなかに「統治したい人」が出てきてしまう感じが気になっているんですよね。他者への干渉が強すぎるというのかな。
前にも話したことあったと思いますが、わたしはずっと学級委員やってたタイプなので、個と集団が切り分けられていない感じはよく分かります。左派のつもりですごくパターナルなところがあるというのも自分のことで、それに気がついたのはごく最近のことですが、それはそれはショックでした。本人は悪いことしているとはまったく思っていないどころか、正しいことをしていると思ってるので。。
本来の「リベラリズム」の考え方が欠けていて、連帯を阻んでしまうのではないかなあと思っています。個人を尊重しない人は、少し集まっただけで、「集団の意思」に簡単に身を任せてしまうし、みんなと同じ意見であることに安心してしまう。自分にとって良いことが他人にとっても良いことだと思って「勧めて」しまい、受け入れられないとバカだと言って排除してしまったりする。
全体主義的な環境にいると、個人の決断も責任も求められませんからね。
自他の境界をはっきりさせるというのかな。まずそういう訓練から始める必要があるなと自戒を込めて思います。
@sethgodman
権力にいいように統治されないためになるべく多くの人と連帯するには、それを守るためなら手をつなぐことができる、という共有できる価値みたいなものが必要で、それが個人の自由や、選ぶ権利、基本的人権、個人が個人として尊重されること、なのかなと思うのです。
でもこの国では、個人は尊重されないし、人権は教えられない。連帯は連帯でも、個人を認めない連帯を教え込まれるばかりなので、左派を名乗りながらものすごくパターナル、みたいなことをすごく自然にやってしまいがちな気がします。集団のルールからはみ出したり、個人の権利を主張したりする人を、市民が積極的に自警団作って取り締まってしまうようなところがある。権力側からみたらこんな御しやすい「市民」、ほかにないですよね。
これも。2016年に書かれたものだよ。
» トランプ勝利:日本人は胸に手を当てるべき | The Eyes of a Cloud https://cloudseye.wordpress.com/2016/11/09/トランプ勝利:日本人は胸に手を当てるべき/
”今回の選挙で明らかになったことは、「民主主義を守るのは、民主的な政治制度や手続きではなく、そこで選ばれた指導者が負託に応えて実現する民主的な経済」ということだと思います。
今後、リベラル陣営に求められるのは、新自由主義への根本的な批判であり、経済的弱者の間の連帯を構築することです。
トランプ的な方角から「移民のせいで賃金が下がる」という言説が垂れ流されたら、「賃金を下げてるのは移民ではなく、移民労働者を低賃金で搾取するあなたたち資本家だ」と言うこと。
「移民が社会保障にただ乗りしている」と言われたら、「移民たちは、あなたのような資本家が税逃れしている間にも必死に働いて納税してきた」と反論すること。”