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2025年4月開学予定(正)

2045年だと日本の大学制度がどうなっているのか、全く予測できません。😆

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 松井京都新市長の元で、鈴木寛氏とともに京都市顧問になった上山信一氏は、「長生きは行政にとってコスト」と発言。発想は基本、玉木と同じ。

 上山氏は維新支配下の大阪市顧問でもあり、美術品のオリジナル廃棄指示でも知られる人物である。

 2045年開学予定のZEN大学の副学長予定者でもある。元来ZEN大学は昨年発表時には鈴木寛氏が総長予定だった。

 それにしても大学の副学長予定者が「長生きは行政にとってコスト」とは驚きである。行政が市民の「生命」をコストとしか扱わないのであれば、一体そもそも行政は何にために存在するのか?

 言うまでもなく、日本国憲法体制は主権在民であり、政府=行政は主権者である人民から行政機構の運営を任されているに過ぎない。

 これがある頃から、「ガバナンス」というカタカナが流行り始め、私はあまりこれを連呼していると「バカ」になるよ、と警告したものである。

 今は、ガバナンスやら、コスパやらを意味を分からず使い回すコンサル野郎達が肩で風切ってのし歩いている風でもある。

 ま、この種の「紋切り型」、近々デモクラシーの嵐によって吹き飛ばされるだろう。

 政治学者も商売道具の名前を変えておいた方がいいのではないか?
 

親切な人が教えてくれた、今年8月の「新潮 foresight」の記事によると、私がこのマストドンで繰り返し批判している、サントリー財団人脈は、元来1971年内閣調査室の主導で作られた「政策科学研究会」と直結しているようだ。

 この記事は「1950年代から60年代には論壇の趨勢に働きかけ、1970年代からは学識者層を厚くすることで、内閣調査室は世論の錬成に影響を及ぼして来たことになる」とまとめている。

 中心にいた人物としては山崎正和と佐藤誠三郎、五百旗頭真、北岡伸一、白石隆、田中明彦、御厨貴、村田晃司など、全員私が一度は批判したことがある提灯学者ばかりである。
 
 村田晃司は集団的安保法制の際、「賛成の政治学者はいくらでもいる!」と国会で叫んだ男である。

 このグループの最大公約数は「打倒戦後民主主義」であって、その陣地戦を数十年粘り強く続け、21世紀には論壇のヘゲモニーを完全に握った。大塚英志も「保守論壇に迷い込んだ時、最後に戦後民主主義を批判してくれるなら何を書いてもいい」と言われたと証言している。

 この文脈を見ると70ー80年代に「打倒戦後民主主義」を唱えていた新左翼が如何に「間が抜けていた」かは一目瞭然だろう。

 この辺りは荒野のリア王の自伝的回想とピタリと符合する・

 

さて、国民民主党首の玉木の「尊厳死」提言、党首討論会で「あえて踏み込んだ」などと宣うのであるから、これは「失言」ではなく、確信犯。

 それは「釈明」で「あくまで自己決定権の問題」と主張していることからもわかる。

 つまり念頭に置かれているのは、「認知症」などに陥った人ではない、ということ。

 例えば非正規で働いてきて、50歳を超え、人生の展望を失った人に、「自己決定」で「尊厳死」を選んでもらう、ことも想定内。
 実際、単身で友人もなく、50歳で非正規雇用からも排除された人の内面で「電車に飛び込むより、施設で苦痛なく尊厳死の方がよくありませんか?」と甘く囁く声が轟くのは目に見えている。

 また日本の非正規率は5割を超えた所でしばらく止まっているが、正社員として採用されても、昇給・昇進なしの雇用が激増しているから。

 その上正社員であるから責任も重く、労働時間も長い。であるから、高卒・専門学校卒の場合、大抵3年以内に辞めていく。これを新卒で埋め合わせるから、就職率が「そこそこ」の数字になる。

 こうした人々の50歳以後の生活保障の展望は、現在の政府財政によれば、まるでない。故に、「退職時2千―3千万の貯蓄が必要」やら、「自己決定による尊厳死」やらという物騒な話が飛び出してくるのである。

三宅 芳夫 さんがブースト

今天看了日本的中東記者川上泰德今年7到8月去約旦河西岸採訪的記錄,雖然以色列不幹人事這個早就知道了,但是看到這樣真實的影像資料還是讓人非常震動。我印象尤其深刻的有兩個地方。一是以色列佔領軍IOF用推土機強拆巴勒斯坦人的家,拆完過了幾天又回來了,五六個士兵荷槍實彈,就爲了沒收一台小型水泥攪拌機,讓被強拆的巴勒斯坦人不能重建他們的房子。二是以色列在西岸強拆小學,光是採訪到的就有三所,一所去年建好今年開始招生,六月被IOF強拆了,另外一所也是建好不到半年就被強拆了,第三所採訪的時候還沒被強拆,但是以色列已經發了強拆通知,接受採訪的巴勒斯坦人說隨時可能被強拆。屏幕上放當地人拍下的強拆小學的畫面,小朋友們就在現場看著自己的學校變成一片瓦礫。我看得都要哭了,我真的不能理解,人爲什麼能做到這個地步,一點點活路都不給人留,可能這些行爲沒有在肉體上傷害到人,但是卻和殺人一樣、甚至更加殘忍,我真的不敢想像巴勒斯坦人是怎樣在這樣的圧迫之下生活的。以色列必須爲他們的所做所爲付出代價,他們應該得到和納粹德國一樣的下場。

三宅 芳夫 さんがブースト

BT

ジャーナリスト川上泰徳さんの記録映像、これかな。

● “壁”の外と内: パレスチナ・イスラエル現地最新報告会
(アップリンク吉祥寺)

10月12日(土)・13日(日) ・17日(木)・19日(土)・24日(木)上映
:パレスチナ映画特集

joji.uplink.co.jp/movie/2024/2

 ※アップリンク京都で同時にオンライン開催
kyoto.uplink.co.jp/movie/2024/

●川上さんのツイッターでの告知
twitter.com/kawakami_yasu/stat

 フランス共和制の聖典である『社会契約論』、元来著者であるルソーは「国民国家」のような大規模な政治体では「不可能」と考えていた(可能なのはコルシカのみ)。

 しかし、1789年に始まるフランス革命の過程でジャコバン派がヘゲモニーを取るに至り、『社会契約論』とルソーは一気に前景化する。後、19世紀中浮沈を繰り返すものの、第三共和制において、聖典化された。

 従って、18世紀研究者からすると、ルソーとジャコバン主義を結びつけるのは後世からの「錯覚」という主張になり、それは一理ある。実際ルソーは『社会契約論』で「国民 nation」という概念を用いていない。

 とは言え、ルソーの宿敵でもあったヴォルテールと比較すると、ルソーが「平等」の問題に遥かに敏感であったことは間違いない。

ヒトは本来自由でありながら何故至る所で本来「不平等」という鉄鎖につながれているのか?

この問いは「人間不平等起源論」からルソーにとって根源的な問いであり続けた。

これに対し、ルソーは当時すでに周縁的な理論装置となっていた社会契約論モデルを大胆に刷新し、しかもそれを古代共和政の語彙に結びつけることで答えようとする。

そしてこのルソーの問いはカント、フィヒテ、そしてヘーゲルといったドイツ観念論に決定的な影響を与えるのである。

 どうも国民民主党首の玉木が、「社会保障抑制のため」という文脈で「尊厳死の法制化」に言及したようだ。

 確かに尊厳死の問題は複雑で世界中に議論されている。しかし、この議論の大前提は「社会保障削減・抑制」と絶対に切り離すこと。

 玉木は釈明で「あくまで自己決定権の問題」と言い抜けしようとしているが、これはどうみても先に「社会保障抑制が先にありき」の議論である。基本、麻生太郎と同じ発想。

 そう言えば中曽根は首相の時に「枯れ木に水をやっても仕方がない」と社会保障費抑制の意図を露わにしたことがある。

 玉木にしても、つい先日も「国民に覚悟を求める時が来た」などと訳の分からぬことを口走っていたが、これは「姥捨て山に向き合う「覚悟」を求める」つもりだったらしい。

 高齢者集団自決提言の成田悠輔といい、「終末期医療の早期打ち切り」提言する古市といい、どうも支配エリートの本音が隠しきれていない。というより、鉄砲玉に観測気球を挙げさせて様子をしているのだろう。

 しかし、反核平和運動を公然と敵視し、社会保障費抑制のために自己決定による「姥捨て山」を提言する政党と合流しようとする立憲の気が知れない。

 予算がそんなに心配ならまず軍事費を削減し、資産課税、法人税増税をすればいいだけの話である。

 
 

エンゲル係数28%、42年振りの水準のとのこと。

 ざっくり言えば、ここの所の物価高で庶民の生活水準は42年前に(1982年)に戻ったとも言える。

 しかし、1982年は非正規雇用はまだ法的に認められておらず、まだ次世代は、さらに「豊か」になるだろう、と言う、根拠はないが漠然とした希望があった時代である。

 言説の世界でポストモダニズムが一世を風靡するのもここから10年である。

 実際には、英国ではサッチャー、米国ではレーガンが当選し、世界的に新自由主義が本格的に始動し始めた時期でもあるのだが、日本ではまだこれから「バブル」へと突入していくタイミングになる。

 それにしても未だに「インフレ」をなにやら「希望の星」を闇雲に信じる人達がいるのは驚く。

 かつてインフレがポジティヴに解釈されたのは、実体経済への新規の設備投資を経て、短いタイムラグで賃上げが起こる、というWWII以後の「例外」的な時代の話。

 現在のように、物価は急上昇、実質賃金は減少では、「不労所得」の億万長者以外の生活水準は下がり続けるだけ。その上、雇用は不安定、老後も保障されないとなるとなおさらである。

 これを学問的に言えば、WWII以後の「新古典派総合」の前提は完全に崩れた、と私は考えている。

母の死後、神戸の実家で、一人暮らしの父の体調が悪いとの知らせを聞いて、帰省。

 やはり神戸の一人暮らしの妹が毎週末には実家に帰っているのだが、仕事もあり、私が様子を見に行くことになった。

 幸い、大事にはらなかった。私と違い、元来頑健な父もこの3ヶ月猛暑で少し疲れただけのようだった。

 逆に脊柱管狭窄症のため、長距離の移動が厳しい私は、痛み止めを飲んで往復したが、帰京後やはり、痛みがぶり返して、これはこれでなかなかに厄介である😭 。

 というわけで暫時お休みしたマストドンの投稿、ぼちぼち再開していく予定です。

三宅 芳夫 さんがブースト

水没事故から82年:旧長生炭鉱 犠牲者遺族の思い/山口県宇部市 youtube.com/watch?v=kuWN6TaJDV

三宅 芳夫 さんがブースト

BT

短いけれど、取材内容がよくまとまっているよい映像でした。

『地平』11月号のルポもあわせて読み、「長生炭鉱」問題への理解が深まりました。

野添憲治氏の「〈遺骨は叫ぶ-21-〉 長生炭坑」
eigyou.korea-np.co.jp/j-2007/0
によれば、

「 事故の後、日本人遺族には、一人1万円以上と手厚く弔慰金を出したが、朝鮮人は、世帯持ちは弔慰金5円、生活費10円で社宅から追い出された。多くの独身者には、弔慰金どころか、戦時国債や強制貯金も支払われなかった」

とのこと。

雀の涙ほどの弔慰金・生活費を渡された遺族がすぐ社宅から追い出された、というのもひどいですが、
これすら家族が日本で一緒にいた場合の話。

今回のKRY山口放送の報道で、
犠牲者の家族が朝鮮半島に残っていた場合は、
弔慰金どころか、「亡くなった」という連絡さえされなかったということを、知りました。

  [参照]

三宅 芳夫 さんがブースト

わー。
ここにも『一時間でハングルを読めるようになる本』で勉強を始められた方が!!

韓国語学習に어서와(オソワ/ようこそ)!

タイトルの「一時間で」というのは、かなり誇大ですよね。

っていうか、一ヶ月前は読めなかったものが、少しでも読めるようになってるってすごいことだと思います。

私が勉強を始めたときはあの本を知らなかったので、他の本で勉強したのですが、一ヶ月はゆうにかかったと思います。

なんなら、勉強はじめて最初の2年くらいは、ㄱとㄴをよく見間違えたりしてました・・・。
だって似てるんだもの。

学習仲間が増えてうれしいです。
みんなでそれぞれのペースでのんびり続けていきましょう~。

三宅 芳夫 さんがブースト

最近、諸富徹先生の『税という社会の仕組み』を読んでいたら、

「税金というのは、どう使われているのかよくわからないし、やたらと取り立てられているようで、私たちはよく腹をたてる。

でも、実際には、私たちが普段使う道路なども税金で作られてる。
税金はそうやって意味がある使い方ができるし、税金をどうやって使うのか、というのは、税金を納めているひとたちがちゃんと考えるべきこと。

私たちが納得のいくように税金が使われるためには、ちゃんとこういう使い方をして欲しい、と求めていく必要がある。
そういう意味では”納税は権利”とも言える」

みたいなことが書かれていました。

(私の勝手なまとめなので、間違った理解もあるかもしれません。詳しくは本を)

chikumashobo.co.jp/product/978

この社会を構成している市民の一人一人が、社会がどうあるべきかを考え、場合によっては声をあげて、私たちにいま必要なものを求めていく。

市民社会であれば当たり前のことを、私たちはずいぶんと長い間特別なことであるかのように、思い込まされてきたような気がします。

(もう、”何かに「はまる」こと、「消費をメインにした活動」を行うこと、それのみが人を自由にする”みたいな資本主義の疑似解放思想でごまかされる時代は終わりです)。

(続き)
 江戸の国学者達はこれを批判したが、明治維新の指導者達のイデオロギーは基本儒教的でそれが「忠孝」を中心とする教育勅語に結晶した。統一教会も同じだと云ふ。 

 田中さんは最後に「中国回帰した」日本と中国相互の自慢と攻撃の応酬を心配して文章を終わるのだが、こんなデタラメな話はない。

 田中さんは江戸時代には庶民にまで漢詩文が浸透したことを批判的に叙述するが、狂歌、俳句、歌舞伎などは江戸時代に勃興し、明治以降にまで続いたが、日本の植民地侵略とファシズムを止めることはできなかった。また和歌会に見られるように天皇制と密接に結びついたジャンルもある。

 いわゆる「日本語」から漢語の影響を排除していく言語学・文献学は本居宣長が江戸期に完成したが、その結果漢語由来の言葉を使わなければ、日本語で概念を含んだ論文は書けないことが分かった。こうした言語の「クレオール」(雑種)は別に日本語に限ったことではない。

 ついでに言うと田中さんは「忠孝」イデオロギーと言うが、中国では「考」が上で君主への「忠」はそれより「下」。「忠孝」は明治国家の発明。「臣民」も同じである。

 少し前「中国化する日本」という本を書いた与那覇潤という詐欺師がいたが、田中さんもこれでは与那覇と変わらないのでは?

 今日の東京新聞に「愛国教育」という田中優子さんのコラム。

 前半は、第一次安倍内閣の際(2006)の教育基本法改正に対する批判でこれはもっともなご意見。私も、この時は、デモや集会、国会前行動などにお付き合いした。

 安倍はさらに2015年に学校教育法を改正、「大学の自治」をほぼ解体した。これは元来憲法23条「学問の自由はこれを保障する」違反である。

 憲法23条は、戦前のファシズムが滝川事件・天皇機関説事件・人民戦線事件などによって「ファシズム」に批判的な大学を弾圧することで最終的に完成したことを踏まえ、新憲法で「言論・表現の自由」から敢て独立して規定された。この教育基本法改正、学校教育法改正は安倍にとってはまさに憲法改正のリハーサルであった。

 この2006年の教育基本法改正反対の折、私たちは「新自由主義と国家主義」の結合を強調したが、この頃はまだ新自由主義という概念は一般には理解されなかった。

 ところで、田中さんに戻ると、「愛国」の起源を中国に遡る本居宣長振りの「反中」はいただけない。
 田中さんによれば、「権威、礼、徳、忠、考、家族、祖先」な価値観は中国から輸入されたもの。
 現代の「愛国者」達は実は中国の儒教倫理に基づいており、実は「中国回帰」なのだ、と田中さんは主張する。 

 Xによると、スパルタカス東大教授なども現在、大学改革のメンバーになっているようだ。

 「単に良心的であるよりいい」などとまた威勢の良い啖呵を切っている。であるなら、お好きな「過激な身振り」を発揮して、まず東大文学部の沖縄移転による「人文学活性化」を唱えてはどうだろうか?

 実際、今のままでは日本の大学の人文学(特に東大)は、自分の縄張りの「正当性」を文科省に言い募りながら、やせ細っていき、最後は消滅するだけだろう。

 実際、首都圏中高一貫校から東大ー官僚、多国籍大企業への道は、日本の中で極めて「例外的」空間。

 ところが、現在は一般人からかけ離れた「例外的な」感覚の人々によって政策決定のほとんどが行われている。

 一般市民は予め選択された政策を正当化するために選挙の時だけ「主権者」の気分を味わうに過ぎない。しかも判断材料と組み合わせる物語は予め、メディア+権力によって用意されており、それ以外のものは「非現実的」・「対案がない」と排除されている。

 沖縄や在日マイノリティのようにそもそも情報が一般に提示されていないことも多い。

 従って、東大が沖縄に移転するならいっそ教養課程+社会科学+人文学も一緒に移転すればよいのでは?

 というのも、沖縄でこそ、グローバルな政治の駆け引きをリアルに「見る」ことができるし、法律が警察によってどのように「運用」されているのかも知ることができる。

 また植民地化された周辺から考える、ことは人文学の再生のためにも必須とさえ言えるだろう。

 考えて見れば東大はつい先日突然学費値上げを決定したばかり。他の国立大学では学費をどのように「グローバル人材」育成のために活用するか詳細な計画がなければ値上げは許可されない。

 この値上げ分+国負担で財政的には十分可能なのではないか?

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 なにやら東京一極集中是正案の一環として「東大の首都圏外への移転」という話がー選挙用にー浮上しているらしい。

 これは大学・大学院全部という意味であれば到底実現不可能な話である。

 しかし、教養学部2年間の間だけ、ということであればひょっとすると可能かもしれない。

 その場合、移転先は当然沖縄が望ましいと私は思う。費用は当然大学=国持ち。

 18-20前後の多感な時期に、米軍の基地負担を途方もない規模で押し付けられている沖縄で暮らせば、少なくとも一部の学生は本土では「知らない」現実を知る筈。

 また日本のエリートは、安倍、麻生、小泉のような完全な「支配階級家族」の一員でなければ、結局大部分東大からリクルートされる。

 その中に若いうちに「沖縄の現実」に触れる人間が出てくれば、多少は「植民地主義」とも形容される本土と沖縄の関係も、知られていくだろう。

 現在の段階では、マスメディアは性犯罪をはじめとする沖縄の米軍基地負担の実態を全く報じようとしない。

 このことによって、日米軍事同盟賛成、基地は沖縄に」という暗黙の合意が本土のマジョリティにも共有されている。

 しかし、東大生が集団でTVクイズ番組などではしゃくのをやめ、沖縄に2年住めば、次第に事態は変わっていくのではないだろうか?

 11月5日の米大統領選まであとちょうど1ヶ月。現在、7州以外はほぼどちらかの陣営に固まったようだ。
 カリフォルニアやペンシルバニアを除く独立時の13州などはここ20年ほぼ民主党。逆に南北戦争時の「南部連合」州はほぼ共和党。

 現在、ノースカロライナ、ジョージア、アリゾナで僅かにとトランプ有利。ミシガン、ウィスコンシン、ネバダで僅かにハリス有利。ペンシルヴァニアは共に48・2%となっている。

 ミシガン、ウィスコンシン、パンシルバニアは典型的な「ラスト・ベルト」。ただし、前回トランプ当選の際は低所得ブルーカラーはトランプに投票したわけではなく、「民主党に見捨てられた」と感じ「棄権」。「トランプが勝った」というより「ヒラリーが負けた」。

 ところで、事前の世論調査は「トランプ支持」は実際より低く出る。トランプがあまりに「品性下劣」なので、「トランプ」と答えるのを控える人が一定出るからだ。ヒラリーの際は、どの世論調査でも「ヒラリー勝利」と予測していた。

 実際レーガン時代から米国の中間層の崩壊は止まっていない。大量の「絶望死」によって白人男性の平均寿命は下がり続けている。
 米大統領選は世界の運命を決めるだけに懸念される所である。ただ、ハリスがイスラエルの暴走を止められるのかどうかは疑問。
 
 

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