親切な人が教えてくれた、今年8月の「新潮 foresight」の記事によると、私がこのマストドンで繰り返し批判している、サントリー財団人脈は、元来1971年内閣調査室の主導で作られた「政策科学研究会」と直結しているようだ。
この記事は「1950年代から60年代には論壇の趨勢に働きかけ、1970年代からは学識者層を厚くすることで、内閣調査室は世論の錬成に影響を及ぼして来たことになる」とまとめている。
中心にいた人物としては山崎正和と佐藤誠三郎、五百旗頭真、北岡伸一、白石隆、田中明彦、御厨貴、村田晃司など、全員私が一度は批判したことがある提灯学者ばかりである。
村田晃司は集団的安保法制の際、「賛成の政治学者はいくらでもいる!」と国会で叫んだ男である。
このグループの最大公約数は「打倒戦後民主主義」であって、その陣地戦を数十年粘り強く続け、21世紀には論壇のヘゲモニーを完全に握った。大塚英志も「保守論壇に迷い込んだ時、最後に戦後民主主義を批判してくれるなら何を書いてもいい」と言われたと証言している。
この文脈を見ると70ー80年代に「打倒戦後民主主義」を唱えていた新左翼が如何に「間が抜けていた」かは一目瞭然だろう。
この辺りは荒野のリア王の自伝的回想とピタリと符合する・