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 今日の東京新聞に「愛国教育」という田中優子さんのコラム。

 前半は、第一次安倍内閣の際(2006)の教育基本法改正に対する批判でこれはもっともなご意見。私も、この時は、デモや集会、国会前行動などにお付き合いした。

 安倍はさらに2015年に学校教育法を改正、「大学の自治」をほぼ解体した。これは元来憲法23条「学問の自由はこれを保障する」違反である。

 憲法23条は、戦前のファシズムが滝川事件・天皇機関説事件・人民戦線事件などによって「ファシズム」に批判的な大学を弾圧することで最終的に完成したことを踏まえ、新憲法で「言論・表現の自由」から敢て独立して規定された。この教育基本法改正、学校教育法改正は安倍にとってはまさに憲法改正のリハーサルであった。

 この2006年の教育基本法改正反対の折、私たちは「新自由主義と国家主義」の結合を強調したが、この頃はまだ新自由主義という概念は一般には理解されなかった。

 ところで、田中さんに戻ると、「愛国」の起源を中国に遡る本居宣長振りの「反中」はいただけない。
 田中さんによれば、「権威、礼、徳、忠、考、家族、祖先」な価値観は中国から輸入されたもの。
 現代の「愛国者」達は実は中国の儒教倫理に基づいており、実は「中国回帰」なのだ、と田中さんは主張する。 

 Xによると、スパルタカス東大教授なども現在、大学改革のメンバーになっているようだ。

 「単に良心的であるよりいい」などとまた威勢の良い啖呵を切っている。であるなら、お好きな「過激な身振り」を発揮して、まず東大文学部の沖縄移転による「人文学活性化」を唱えてはどうだろうか?

 実際、今のままでは日本の大学の人文学(特に東大)は、自分の縄張りの「正当性」を文科省に言い募りながら、やせ細っていき、最後は消滅するだけだろう。

 実際、首都圏中高一貫校から東大ー官僚、多国籍大企業への道は、日本の中で極めて「例外的」空間。

 ところが、現在は一般人からかけ離れた「例外的な」感覚の人々によって政策決定のほとんどが行われている。

 一般市民は予め選択された政策を正当化するために選挙の時だけ「主権者」の気分を味わうに過ぎない。しかも判断材料と組み合わせる物語は予め、メディア+権力によって用意されており、それ以外のものは「非現実的」・「対案がない」と排除されている。

 沖縄や在日マイノリティのようにそもそも情報が一般に提示されていないことも多い。

 従って、東大が沖縄に移転するならいっそ教養課程+社会科学+人文学も一緒に移転すればよいのでは?

 というのも、沖縄でこそ、グローバルな政治の駆け引きをリアルに「見る」ことができるし、法律が警察によってどのように「運用」されているのかも知ることができる。

 また植民地化された周辺から考える、ことは人文学の再生のためにも必須とさえ言えるだろう。

 考えて見れば東大はつい先日突然学費値上げを決定したばかり。他の国立大学では学費をどのように「グローバル人材」育成のために活用するか詳細な計画がなければ値上げは許可されない。

 この値上げ分+国負担で財政的には十分可能なのではないか?

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 なにやら東京一極集中是正案の一環として「東大の首都圏外への移転」という話がー選挙用にー浮上しているらしい。

 これは大学・大学院全部という意味であれば到底実現不可能な話である。

 しかし、教養学部2年間の間だけ、ということであればひょっとすると可能かもしれない。

 その場合、移転先は当然沖縄が望ましいと私は思う。費用は当然大学=国持ち。

 18-20前後の多感な時期に、米軍の基地負担を途方もない規模で押し付けられている沖縄で暮らせば、少なくとも一部の学生は本土では「知らない」現実を知る筈。

 また日本のエリートは、安倍、麻生、小泉のような完全な「支配階級家族」の一員でなければ、結局大部分東大からリクルートされる。

 その中に若いうちに「沖縄の現実」に触れる人間が出てくれば、多少は「植民地主義」とも形容される本土と沖縄の関係も、知られていくだろう。

 現在の段階では、マスメディアは性犯罪をはじめとする沖縄の米軍基地負担の実態を全く報じようとしない。

 このことによって、日米軍事同盟賛成、基地は沖縄に」という暗黙の合意が本土のマジョリティにも共有されている。

 しかし、東大生が集団でTVクイズ番組などではしゃくのをやめ、沖縄に2年住めば、次第に事態は変わっていくのではないだろうか?

 11月5日の米大統領選まであとちょうど1ヶ月。現在、7州以外はほぼどちらかの陣営に固まったようだ。
 カリフォルニアやペンシルバニアを除く独立時の13州などはここ20年ほぼ民主党。逆に南北戦争時の「南部連合」州はほぼ共和党。

 現在、ノースカロライナ、ジョージア、アリゾナで僅かにとトランプ有利。ミシガン、ウィスコンシン、ネバダで僅かにハリス有利。ペンシルヴァニアは共に48・2%となっている。

 ミシガン、ウィスコンシン、パンシルバニアは典型的な「ラスト・ベルト」。ただし、前回トランプ当選の際は低所得ブルーカラーはトランプに投票したわけではなく、「民主党に見捨てられた」と感じ「棄権」。「トランプが勝った」というより「ヒラリーが負けた」。

 ところで、事前の世論調査は「トランプ支持」は実際より低く出る。トランプがあまりに「品性下劣」なので、「トランプ」と答えるのを控える人が一定出るからだ。ヒラリーの際は、どの世論調査でも「ヒラリー勝利」と予測していた。

 実際レーガン時代から米国の中間層の崩壊は止まっていない。大量の「絶望死」によって白人男性の平均寿命は下がり続けている。
 米大統領選は世界の運命を決めるだけに懸念される所である。ただ、ハリスがイスラエルの暴走を止められるのかどうかは疑問。
 
 

 雑誌『地平』最新号に、京大財政学教授の諸富徹さんとの対論「レント資本主義・脱原発・社会保障ー政治経済学の再生に向けて」が掲載されました。

 これもほぼ準備なしに臨んだ対談でしたが、このマストドンへの投稿のお陰で何とか形になりました。

 いつも読んで頂いている読者の方に感謝・感謝です😀 。

 このテーマにご関心のある方はご笑覧いただければ幸いです。 

 「ケン・ローチと英国の左派文化」

 「麦の穂を揺らす風」、「私はダニエル・ブレイク」で二度パルムドール受賞、英国を代表する左派映画監督のケン・ローチ。

 トニー・ブレアの「ニューレイバー」に反発して労働党を離党。J.コービンを支援して復党するも、コービンを追い落としたスターマー(現首相)によって除名。

 ケン・ローチはサッチャー政権時の炭鉱労働者潰しや国鉄民営化の際の労働者弾圧を描いた映画も作ってきました。「ナビゲーター」は後者で日本でも見ることができます。

 他にもスペイン市民戦争を舞台にした「大地と自由」、ニクラグアのサンディニスタ革命下のニカラグア女性とスコットランド男性の関係を扱った「カルラの歌」があります。

 UK内を舞台にする際にも、アイルランド(「ルート・アイリッリュ」、「ジミー、野を駆ける伝説」)、スコットランド(「天使の分け前」)など周辺地域を舞台にすることが多い。

 「私はダニエルブレイク」は現在の英国の福祉行政が如何に残酷なものであるかを描いた秀作です。

三宅 芳夫 さんがブースト

おすすめです。

『ガザ日記:ジェノサイドの記録』(著者:アーティフ・アブー・サイフ、訳:中野真紀子、地平社)。
chiheisha.co.jp/2024/05/01/978

作家で、パレスティナ自治政府の文化大臣でもあるアーティフ・アブー・サイフ氏が、15才の息子を連れてガザに里帰りしたところ、イスラエルによる攻撃が開始され、ガザから身動きがとれなくなってしまいます。

10/7、久々に故郷の海で泳いでいたら、攻撃が始まって、ロケット弾が飛んでくるのを見るという場面からこの本は始まります。

そのときは、演習だと思っていた氏は、すぐにそれが本当の攻撃だったことを知り、そして後に、自分と同じときに同じように海で泳いでいて、被弾して亡くなっていた人もいたことを知ります。

そういう「紙一重」のところで自分は生き残った、しかし、そうでなかった人もたくさんいる、という経験の連続が書き連ねられた、希有な記録文学です。

 

三宅 芳夫 さんがブースト

BT

映画「あしたの少女」。

映画「私の少女」のチョン・ジュリ監督の作品です。

前作と同様、ペ・ドゥナが出演しています。

(私は「私の少女」よりこちらのほうが好みです)。

商業高校に通う高校生ソヒは、学校に紹介された職場で研修生として働き始める。しかし、そこはノルマがある過酷な職場だった。

「大企業なんでしょう?」と喜ぶ親、「お前が辞めたら、うちの学校の評判が悪くなる」という学校の先生。主人公は追い詰められていく・・・。

原題は「次のソヒ (다음 소희)」。

「研修」の名の下で
高校生をこういう目に遭わせていいのか。

そういう問題意識からこの映画は作られています。

(この映画の公開後、「次のソヒ防止法」(다음 소희 방지법)という法律ができています)。

 石破内閣の法務大臣牧原秀樹、「『サヨク』と見える人は日本人と装った工作員の可能性がある」とSNSで発信している人らしい。

 しかし本当の「工作員」(日本国内で一番多いのは当然CIA)は「サヨクには見えない」ようにしている。

 それにしても、この人他の発信を見ても「五輪選手を誹謗中傷した人は全員逮捕」などと、自分は「勝ち組」のつもりの、無教養かつ下品なただの「ネトウヨ」にしか見えない。

 いくら法務省の事実上のトップは検事総長で大臣は「飾り」といってもこれは無茶苦茶である。

 麻布中高・東大法学部、司法試験合格、その後旧あさひ法律事務所入所、典型的なネオリベローファーム。その後ジョージタウン大学に留学、2007年世界経済フォーラムから「ヤンググローバルリーダー」とやらに選出、とあるから「札付き」の「犬」である。

 通産省とコネをつくり、政治家としては安倍に面接を受けて政界入り。落選時は東北大学客員教授、政策大学院客員研究員をさせてもらえるのだからお気楽なものだ。

 その後第二次安倍政権で厚労大臣、2021年では埼玉5区で枝野に僅差で敗れたらしいから、今後要注目かも。

 しかし枝野は立憲執行部から排除されているが、このまま野田(維新と共闘)路線で突撃すれば崖から転がり落ちるだろう。

三宅 芳夫 さんがブースト

chiheisha.co.jp/2024/09/03/chi

日本学術会議(の政府による任命拒否問題)について地平10月号で読んでいるところ。
日本政府のめちゃくちゃなやり方が本当にひどい。日本はすでにそういう状態にあるんだとおそろしくなる。

日本学術会議の皆さん、それを応援する皆さんの誠実な姿勢を私も支持します。

三宅 芳夫 さんがブースト
三宅 芳夫 さんがブースト

BT

英国インティペンデント紙の宮崎の不発弾についての記事。

宮崎空港はもともと1943年に帝国海軍のパイロットが特攻の訓練をするためにつくられた場所で、特攻隊はここから出撃していったそうです。

(だから、当時米軍がここに爆弾をたくさん落として、それが地中に埋まっている)。

もともと特攻隊用の空港だったということ、私は知りませんでした。

日本の報道では、「自衛隊の処理班が活躍して無事処理できた」みたいな報道ばかりで、もともとが特攻用の空港だったということはあまり言われていない気がします。

そして、もうすぐ行われる
日米共同統合演習「キーン・ソード25」(10月23日~11月1日)。

この演習は、宮崎空港で行われるのです。

yomiuri.co.jp/local/kyushu/new

三宅 芳夫 さんがブースト

脳の神経回路をすべてマッピングしたら意識や行動の原理の解明が解明できるのではないか、というショウジョウバエのコネクトームのプロジェクトがついに脳の全回路のマッピングを完了、とのことで「すげー」なのはそうである。ものすごい解析の計算量。ペタバイト以上のすさまじい量の電子顕微鏡像の解析である。

でもなあ。発想がコンピューターのCPUを理解するように脳を理解しよう、ということなのだが、これではおそらく本質的なことはわからないだろう。なぜかというと、脳は回路が常にダイナミックに変化する、しかも無駄や間違いが非常に多い、という、固定したマッピングでは知ることのできない本質があるから。だから結局、CPUに似たような固定した構造とそこから演繹されるあれこれの機能という理解しかすすまないと思うのだよね。つまりこれは本質ではない。

三宅 芳夫 さんがブースト

マッピングしたらなにかがわかるのでは、という実はあまり根拠のない期待は、博物学の時代から欧米の伝統なのであるわな。動植物にシステマチックに名前をつけて全生物でそれを網羅したら神の意志を垣間見ることができるのでは、というあまり根拠のない期待である。

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 昨日、電車の釣り広告の『第三文明』に西田亮介「公明党に期待する連立政権の自浄作用」という文字列があり、「何を愚かなことを」と思ったら、この西田という人、慶応SFC出身、東の『思想地図』関係の人だった。

 東浩紀や経産官僚(ニコニコ動画勤務)、楠木たら言うヤフー関係者とともに新憲法草案作成に関わった、というから、いわば「札付き」の人物である。

 それで思い出したが、この西田という人は「朝日」のコメント+にもよく「しょうもない」ことを書いていた。

 そしてどういう訳か「あの」中島岳志のいる東京工業大学で勤務した上で、「第三文明」で公明党を持ち上げているのだから、これは典型的な「首都圏文化マフィア」の一員である。

 ちなみに中島岳志は「潮」の常連であるとともに「脳科学芸人」中野信子が「特任教授」として給料を貰っている東日本国際大学の客員教授もしていたように記憶する。

 ところで西田亮介、現在は警察キャリアの天下り先である日大危機管理学部に移り、「研究費が少ない」などとSNSで発信しているようだ。

 大学から給料を貰っている人間が「研究費が少ない」などとSNSで発信するとは、私などの感覚からすれば「下品この上ない」。

大体、この人「本も読んでない」のに、研究費を「何に使うのか」、疑問である。
 

 ルソーの『告白』、当時の性規範的にもややスキャンダラスな面もあり、死後出版の前提で書かれた。

 ルソーは1778年に死去するが、第一部は81年、第二部はフランス革命の前年88年に出版。

 ところで、ルソーの『社会契約論』は、フランス革命、その後の1871年以降の第三共和政において、国民統合を正当化する「聖典」として普及していくが、『告白』の方は、20世紀前半においても一種の禁書的扱いだった。

 R.マルタン・デュ・ガールのー日本でも有名なー『チボー家の人々』の冒頭、主人公ジャックが『告白』を密かに読んでいる所を見つかり、叱責される場面が出てくる。

 これには性規範的に、18世紀よりも19世紀の方が「厳格」になり、また女性の地位も低下してWWIに至った背景がある。

 サルトル、ボーヴォワール世代は『告白』は勿論、今では仏文の聖典であるボードレールさえも一種の禁書扱いだった。

 仏で女性参政権が与えられるのはWWII後。性規範の大衆レベルでの変化は1968年以降である。
 従って1949年の『第二の性』が広く読まれるようになったのも68年以降。
 ただその際クリステヴァ・イリガライなどの「差異」派によって普遍主義=同化主義派とレッテルを貼られる。

 再評価は21世紀に入ってからである。

  [参照]

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  ここ2週間、レバノンを空爆し続けたイスラエルは、ついにヒズボラー司令官を殺害。同時に死者1000人以上、難民100万人以上という事情を引き起こしています。そして、この死者、難民の圧倒的多数は民間のレバノン人。

 国際法上はレバノンはれっきとした独立国家。であるから、イスラエルの行為は、いつもながら国際法違反の侵略戦争行為にあたり、また倫理上も許されるものではない。

 ところが、驚くべきことに米国のバイデン大統領は、ヒズボラ司令官殺害を「当然の報い」と発言、さらに「ヒズボラやハマスなど親イラン勢に対するイスラエルの自衛権を全面的に支持する」と付け加えました。

 さらにイスラエルはレバノンの特殊部隊を軍事侵攻、同時にイエメンも空爆しました。

 もう、これは誰がどう見ても、イスラエルは中東大戦争の一方的な侵略者。最終的にはイランを戦争に引きずり込み、欧米を巻き込もうとする意図は明らか。当面の所イラン政府は隠忍自重をきめこんでいるが、どこまでもつかは不明。

 欧州はイラン敵視政策を長年続けていたツケもあり、イスラエルに足元を見られている。

 ところで、イランは日本にとって原油輸入第3位(14・2%)の国でもある。万一日本政府が欧米に歩調を合わせた場合、日本社会は破局に直面するだろう。

 さて、解散・総選挙、10月15日告示、27日投開票。

 「赤旗」では、今日から「無党派」系の文化有名人のinterviwが始まった。

 初回はなんと島田雅彦だった。1980年代後半-2000年代の「軽佻浮薄」の権化のスタイルを知っている私からすると、「隔世の感あり」である。

 主張自体は極めてまとも。「自民党総裁選の党首交代は茶番、生活圧迫、対米従属の大軍拡路線は不動」と言っている。続けて「市民の手で自主独立の民主主義」を提唱。

 島田雅彦は1961年生で東京外大ロシア文学科在学中「優しいサヨクのための嬉遊曲」で芥川賞候補。その後、大学院受験に失敗、小説家に専念することとなった。この頃の院入試は今と全く異なり、かなり難しかったのである。現在なら島田の学力があれば、どこの大学院でも博士まで進めるだろう。

 ちなみに私は小説家としての島田雅彦は全く評価しないが、時代もあって「反右翼」がデフォルトトの、近年の政治言説は「まとも」と考える。

 文壇の弟分だった星野智幸の昨今の堕落ぶりとは対照的。とは言え、島田は元来星野とは比べ物にならない秀才ではある。

 私は直接会ったことがないが、学部時代の知り合いの父親が島田のパトロンをしていた。

 それにしても偉い老けたな―。ま、当たり前か。

 25年前に通読したルソーの『告白』を再読。なんと、7-8割方記憶から消えていた😭 。

 ま、しかし大部の書物を思ったより早く読めたのは、かつて読んだ記憶が+になったのかも、と考えることにする。

 ところで、自伝というジャンル、丸山眞男が『福翁自伝』に関して「自伝というのは嘘を書くに決まっているのです!」と断言したように、現在の書き手の視点から意識的・無意識的に再構成されるもの。文学理論的にはこれを「自伝契約」と呼ぶ。

 例えば加藤周一さんの有名な『羊の歌』はサブタイトルに「自伝的小説」とあるように、明確に小説的部分がある。

 ただし、1930年代日本ファシズム下の閉塞した状況の内側で一青年がどう感じたか、という点では史料的価値は高い。

 ただし、歴史史料として扱うには他の同時代的史料による裏づけは当然必要になる。

 ただし、ルソーのような大思想家の場合は、意図的な「嘘」、あるいは叙述の配列によって与えようとする物語に、思想家の感受性、思想の質が現れるので、それ自体独立して分析の対象とできる。

 ただ、ルソーの『告白』、現在日本の「普通の」基準から見ると、かなり驚きを与えるだろう。ここは「歴史的距離」をもって読むことが必要である。

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