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『ザ・オーディション』(マイケル・ショトレフ)

俳優がオーディションに受かるための12のガイドを紹介する。興味深く読んだのは、俳優がいわゆる「演技の深み」を得るために必要な要素(ガイド)は、良い小説を書くために必要な要素と非常に似通っている。それが身体によって演出されるか言語によって演出されるかの違いだ。
特筆すべきは「ユーモア」「コミュニケーションと戦争」の2項目。
ユーモア:ユーモアとは人間同士のコミュニケーションを増やそうとする試みであって、単に相手を笑わせようとする冗談とは異なる。積極的なコミュニケーションによって、相手が背負っている重い荷物を軽くする、耐え忍ぶためである。
コミュニケーションと戦争:コミュニケーションとは相手との循環である。「送る側と受ける側」とがある。送る側は、①メッセージが明確だったか、②受ける側が受け取ったか、の2つを確認する義務がある。また、受ける側の義務は、①送る側のメッセージを受け取ったかどうか確認すること、②受け取ったことを送る側に伝えること、の2つである。
〈自分の小説〉に直接的に役立つ感じはしなかったが、創作論の別の切り口を読むのは興味深かった。
amazon.co.jp/マイケル-ショトレフ/dp/484

『ストラクチャーから書く小説再入門』(K.M. ワイランド)

再読に次ぐ再読。先日、エンタメに振ったキャラクター小説のシーンは大別して2×2=4とその境界領域しかない(アクション/リアクションによる変化×内的/外的な変化)ことが自ずと理解されたのだが、本書はその「シーン」を細かく分析してくれる。忘れていた部分も多くあり、背筋が伸びる思い。

『舞台上の青春 高校演劇の世界』(相田冬二)

全国大会に出場した強豪校や同好会(!)の生徒と顧問からのインタビュー集。コロナ禍での高校演劇に関するインタビューでもあるため、やがて時代を克明に描いた貴重な資料ともなるだろう。
「舞台上ではバカになれる」という言葉が率直で、極めて印象的。

『バレエの世界史 美を追求する舞踊の600年』(海野敏)

ネタ出しのために。舞踊の具体的な語彙に富んでおり、とても参考になった。

「ホワイトハッピー・ご覧のスポン」(町田康)

『群像短篇名作選 2000~2014』より。町田康の語りを少しだけでも覚えたい。冷静な語りに突如として感情を差し込む技法、普段着の言葉をズラしてズラして意味不明にまで昇華する技法、逸脱。ドライブ感が気持ちいい。

『palmstories』(津村記久子・他)

読みました。二人称小説が畳み掛ける。特殊な人称の掌編であるため、着想がそのまま評価に直結する。津村記久子がダントツ。

『成瀬は天下を取りにいく』(宮島未奈)

ギブ。
ファニーなガールがファニーなことをする構図の三連発で飽きた。詳細は別途ブログ記事の通り。
yobitz.hatenablog.com/entry/20

『想像のレッスン』(鷲田清一)

2000年代前半の芸術作品を始め、著者が関心を抱いた表現に関するエッセイ集。真髄を読み込むまでは至っていないのだが、表層をなぞるだけでも、表現にひたることの愉しみを感じられる。年に1回くらい読んで「世界にはこんなに自在に比喩を用いて「日常」を言葉にできる人がいるのであるなあ」と感動する。内容は読んだそばから忘れていく。
amazon.co.jp/想像のレッスン-ちくま文庫-鷲田-

『小説の惑星 オーシャンラズベリー篇』(伊坂幸太郎・編)

「恋愛雑用論」(絲山秋子)と「KISS」(島村洋子)が好き。
「恋愛雑用論」は、恋愛を雑用に喩える女性が周囲の男性に惹かれない話。恋愛を雑用に喩える着想は、仮に私が万年生きたとしてもひねり出せないだろう。
「KISS」は、グラビアクイーンになった元・同級生でいじめられっ子だった女性のサイン会に無理矢理連れて行かれる男子大学生の短編。後味の複雑さに驚嘆する。甘い記憶が共有されることで現在が苦くなる。見事の一言。
amazon.co.jp/小説の惑星-オーシャンラズベリー篇

『小説の惑星 ノーザンブルーベリー篇』(伊坂幸太郎・編)

どれも本当に読み応え十分。その中でも「休憩時間」(井伏鱒二)、「サボテンの花」(宮部みゆき)が屈指。
「休憩時間」は、何か特別なイベントが起きるわけでもない、帝国大学の休憩時間の一幕。客観的には小さなイベントしかない、けれど登場人物たちの主観としては大きな変化が起きているであろう、そういうのが濃密に描かれていた。これまでの人生で読んだ大学生モノでトップに躍り出た。それくらい良かった。
「サボテンの花」は切れ味鮮やかなミステリ。徹底して「いい話」なのよね。編者の伊坂も解説で述べていた通り、いい話をやり切るのは難しい。いいものを読ませて頂きました。
amazon.co.jp/小説の惑星-ノーザンブルーベリー篇

『舞台監督読本 舞台はこうしてつくられる』(舞台監督研究室)

読みました、といった感。物足りなさを覚えた。舞台監督の仕事を膨らませたいなら『ザ・スタッフ』を読めるならそれで事足りるか。

『ダンスのメンタルトレーニング』(ジム・タイラー、セチ・タイラー)

メンタルコントロールの手法を、特にダンスにフォーカスして適用したところが読みどころ。メンタルコントロールの類書は数あれど、ここまで絞った本はない。
ダンサーに「ポジティブ・チェンジ」を促すための手法を説く。
ポジティブ・チェンジ=アウェアネス(気づき)+コントロール(統制)+レペティション(繰り返し)。
これらの基礎には、ダンスへの執着が求められる。その執着をいかに生み、維持し、更新し続けるかがポイントとなる。
以下、箇条書きで。
・レッスンではそのときのメンタルもノートテイクする。
・緊張感は逆U字(横軸を緊張レベル、縦軸をパフォーマンスレベルとして)が望ましい。
・緊張を生じさせる原因(自己評価)は①場からの期待、②期待に応える能力の有無、③期待に対処した結果、④結果によってもたらされた出来事、⑤自分の身体についての原因、に分類される。
・筋肉が緊張したときには、むしろいったん高負荷な緊張まで上げてから下げるとリラックスされる。
・イメージングコントロールを使う。具体的なイメージで、イメージの時間の流れを変えながら。
・イメージングコントロールを日々の日課に採り入れる。

『センスの哲学』(千葉雅也)

2024年ブックオブザイヤー(暫定)!
さまざまな読みが可能なように開かれた、エッセイ風の一冊。読むときに切実な問題に引きつけて読むのがいいのではないだろうか。
本書は、生き方論、鑑賞論、創作論、その他「センス」がまつわるものであればどんな読み方でも許される本だと感じた。その上で、私にとっていま一番切実な創作論に引き寄せて感想を書く。
センスとは、対象物から意味を取っ払ってその物をあるがままに捉えるところから始まる。その対象物のあるがままが、存在したり、欠如したりする。その存在/欠如の「リズム」をどう捉えるかがセンスに繋がる。リズムについてより立体的に書けば、意味がある/意味がないという「ビート」、あるがままがどのようにあるかという(=構造)「うねり」に分解できる。
対象からリズムを感じるとき「次にどんなビートが叩かれるだろう?」「どんな風にうねるだろう?」と予測をしている。対象が予測通りなら気持ちいいし、逆に、予測から外れていてもサプライズが気持ちいい。その外れ具合(リズムの遊び)を感じるのが気持ちいい。本書ではそういうのを「いないいないばあ」と呼んでいるが、正鵠を射ている。

amazon.co.jp/センスの哲学-千葉-雅也/dp/4

『青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』(鴨志田一)

再読。ふつうに楽しく読んで、あと、地の文の情報量をどの程度にすべきかとエモをどの程度にすべきかとを確かめるために。
地の文:情景描写は自分のナチュラルの下限にタッチするくらいまで落としてもよいが、その分、心の声を増やす。
エモ:赤面してページをめくる手が早くなるくらい。

『ともに生きるための演劇』(平田オリザ)

読みました、といった感。基本的にこれまでの著作をコンパクトにまとめた一冊。新型コロナの話題が新しいか。プロローグの「幕はもう上がっている」のパンチラインは良かった。危機の時代にあって、我々は否応なしに演じることを迫られているのだ。

『人間関係ってどういう関係?』(平尾昌宏)

「人間関係」を、友達/家族/恋人……といったあり物の言葉から解放して、フラットな見方で定義し直す。「個人」と「社会」との間に位置する人間関係(たとえば、友達/家族……ね)をまず「身近な関係」と名付け、精緻に分解していく。「タテ/ヨコ」の軸と「共同性/相補性」の軸とで2軸による4領域に配置し直す。「タテ/ヨコ」はその人間関係に目的が有るか/無いか、「共同性/相補性」はその人間関係の基礎が共通点に有るか/無いか、から定義される。
便宜上、4領域に分かれているが、その中でのグラデーションをさらに細かく考えていくと(創作で)役立ちそうだと感じた。
amazon.co.jp/人間関係ってどういう関係?-ちくま

『自由が上演される』(渡辺健一郎)

難解! 教育場面において「自由」をワークショップ的に学ばせる際に、まさにその「学ばせる」という権力性が自由と矛盾するのではないか……、というところから議論がスタートするのだが、追いつけなくなった(字面は追えるが目の速度に頭の速度が追いつかなくなった)。その中でも最も印象的だったのは「演劇はいかだ」という比喩。いかだは構造的に不安定で自律性を欠いているが乗る人は方向性を欲望している。そういうイメージは腹落ちした。

『「若者の読書離れ」というウソ』(飯田一史)

若者(小学生~高校生)の近年(この5~10年程度)の読書傾向を詳らかに解き明かす一冊。若者向けの「型」を有し「ニーズ」を満たす本がヒットするとのこと。そこから逆算的に、若者がなにを欲しているのかを読み出すことができた。そして、〈自分の小説〉は明らかに若者向けではなく、おたくのおじさん向けの本だということと向き合うことになり、泣いています。

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