「X/Twitterがああなってしまったのはモデレーション依存とも言うべきユーザーの姿勢に依る。
ただブロック、ミュート、場合によっては警察に通報すれば良かった。
(中略)Xではリベラルや左派がモデレーションを期待すればするほど、差別的投稿や攻撃的投稿を放置するインセンティブが生まれる。放っておけばリベラルや左派がモデレーションの代わりに差別投稿に突撃し始めるからだ。」
上のような意見を見かけたのだが、気持ちはわからないでもないけれど、差別が蔓延するのは差別に抗議する人のせいだみたいな言い草はいくら何でもあんまりだと思う。昔、2ちゃんねるというものがあって(今でも一応あるが)、そこは差別主義者しかいない異常な空間で、そこにいるほぼ全員があらゆる差別をしまくって冷笑して楽しんでいた。モデレーションなんか皆無に等しく、差別に抗議する者もほぼいなかった。そんな2chが外部に影響力を持たなかったかと言うと、そんなことは断じてない。私の身近にも2chに影響されて「○○人は日本から出て行け」と楽しそうにほざく馬鹿がいて、腹立たしく思ったものだ。だから2ch的なものはあってはならないものだと私は思うし、差別に抗議する人々のことは普通に尊敬する。SNS管理者の責任を甘く見積もるべきではないとも思う。
雨々々うんざり色の木の芽かな
#俳句
「西村博之が最近Xで政権批判寄りの発言をしている。官房機密費を切られたので路線変更した?」みたいな事を言っている人を見たが、西村博之はもともと言論人としては鵺みたいな奴だろう。安倍晋三銃殺事件当時も、統一教会について一貫して批判的だったので、あのひろゆきがまともな事を言ってるぞと珍しがられていた。
で、これは個人的に思うのだが、西村博之みたいな奴はその言説がまともだろうがおかしかろうが関係なく全否定すべきだ。賠償金踏み倒しの件と、日本の2chのみならず米国の4chanにも関与してQアノンの生みの親になった件のふたつだけでもダブル役満で一発アウトとみなすべきだ。あえて極端な事を言えば、西村博之だっていい事を言う事もあるというのはヒトラーもいい事をしたというのと似たようなものだ。ああいう輩には、過去にやらかした事の社会的責任を取ってからものを言えと言ってやるべきではないか。
ところで、鵺の如き言論人というのは西村博之に限った事ではない。ざっと思いつく限りでは、田原総一郎や江川紹子などがそうだ。彼らも西村博之並みにタチの悪い連中だとまで言い切るのはちょっとはばかられるが、なんとなく胡散臭さを感じる連中であることは間違いない。
名古屋で尾張徳川家の雛人形を見てきた。写真撮影も原則OKだったので写真の一枚でも撮ってくれば良かったのだが、私は心のフィルムに焼き付ける派なのであいにく写真は無い。単にごそごそスマホを取り出して撮影するのがめんどくさかったからというのは内緒。尾張徳川家というのは贅沢な雛人形を持ってたんだなーと思った。さすが宗春公を輩出した藩だ。時代によっては福々しいお雛様になるのが面白かった。
ついでに…というか本当はこっちが本命だったのだが、閉館になった名古屋シネマテークの跡地に新たにオープンした(実質再オープンか?)ナゴヤキネマ・ノイで『その鼓動に耳をあてよ』という映画を見てきた。東海テレビ製作のドキュメンタリーで、救急医療の現場を撮影したものだ。極度に血に弱い私にはウグッとなるシーンが多かった。無くなったら困る職業にもかかわらず社会的に十分に意義が認められていない職種というものが世の中にはあるが、救急医療従事者というのもその一つだなーと思った。月並みな感想だが、今日はくたびれたのでこんな感想しか出てこない。
選択的夫婦別姓はもちろんやるべきだが、それと同時に速やかに導入してほしいと思っていることがある。それは「幼名・元服制度」の復活だ。つまり、成人に達したら1度に限り無条件での改名を認めるようにしてほしい。親が名前をつけられるのはあくまで子供時代の名前だけであり、全ての人には大人になったら自分の好きな名前を名乗る権利があると思う。もちろん幼名をそのまま名乗り続けるのも自由だし、改名を悪用される可能性を考慮して成人年齢から2〜3年以内にのみ認めるように時限付きにしても良い。今は18歳で成人だから18歳から20歳までがキリがいいだろう。
これは冗談抜きで本当にやるべきだと思っている事だ。性自認の観点からも望ましい事だし、いわゆるキラキラネームをつけられて子供がかわいそうみたいなしょうもない議論もこれにて打ち止めになる。何よりも子供の人生は親の所有物ではないことを周知させることになり、例えば共同親権についての議論にも良い影響を与えることになるのではないか。戦前の家父長制度的(=統一教会的)な家族観がいかに間違っているかに気づく人も増えるだろう。
黄金虫は金持ちだ
金蔵建てた蔵建てた
という童謡がいまいましく聞こえるくらい、コガネムシというやつは凶悪な農業害虫だ。成虫は葉っぱを食い尽くすし、幼虫は根っこを食い尽くす。コガネムシにやられたが最後、植物はあっという間に枯れてしまう。昨夏、我が子同然に大事に育てているポポーの木にコガネムシがついているのを発見し、えらいこっちゃと慌ててコガネムシトラップを急遽こしらえた。1リットルのペットボトルに虫が出入りできるサイズの穴を開けて、虫をおびきよせる効果があるという青色のアクリル絵の具で全体を塗りたくり、そこへ砂糖・酢・焼酎を混ぜ合わせた特製昆虫誘引シロップ を虫が溺死するくらいたっぷり投入してポポーの木の支柱に吊るしておいた。その後、トラップの効果があってかコガネムシを見ることは無くなったので、すっかりトラップの事も忘れて放置していた。
で、昨日、ふと思い出してトラップの中を覗いてみた。数匹のコガネムシと1匹のアブラゼミが生きているような姿を保って転がっていた。虫嫌いの人が見たら悲鳴を上げるところだろうが、何だか感動してしまった。トラップにかかっていなければ、今頃は土に帰って原型をとどめていなかっただろうが、何だか生き仏のように神々しく見えた。そこで一句。
蝉コガネ即身仏や寒ざらし
#俳句
よく言われる事だが、黒澤明の『七人の侍』を現代版リメイクしようとしても難しい。なぜなら、七人の侍役の俳優はみんな岩石を切り出したようなゴツい顔の役者揃いだったが、今人気のある役者はみんなシュッとした顔立ちのナヨっちい優男ばかりだから、オリジナル版のような猛々しい映画にはとてもならない。現に同じ黒澤明の『隠し砦の三悪人』や『椿三十郎』は現代版リメイクされたが、いずれも優男俳優がナヨナヨと演じるのでてんで様にならなかった。まあ、今でもゴツい顔の役者は探せばいると思うのだが、これもジャニーズなどの特定芸能事務所が力を持ちすぎたことの弊害で、そんな顔の役者が表に出てこられなくなったという事なのかもしれない。
で、昨日に引き続き『光る君へ』ネタになるのだが、武士団ではなく公家が主人公の大河が今になって初めて作られたのはなぜかと言えば、やはり今の役者が公家向きの役者ばかりだからという事なのではないか。それはそれでよく出来てはいるのだが、黒澤的な猛々しい時代劇好きからすれば寂しい話だ。そもそもそういう時代劇はもう需要が無いのかもしれない。前作『どうする家康』で信長と「白兎」家康のBLな関係を匂わせて、一部女性視聴者がキャー❤️となっているのを見て、俺みたいな年寄り視聴者はもうお呼びでないんだなと思った事を思い出した。
『光る君へ』もう2話分録画が溜まっていたので今まとめて見た。紫まひろを道長が背後から抱きしめる場面、どうしても高畑勲の『かぐや姫の物語』を思い出さずにいられなかった。もっとも『光る君へ』ではロマンチックなラブシーンとして描いているが、『かぐや姫』ではいきなり背後から抱きしめられたら気持ち悪くてサブイボが立つよねーというふうに描いていて、ニュアンスが全然違う。まあ後者の方がリアルだよね。一応前者は女性脚本家、後者はお爺さん監督によるものなのだが。なお、私は別に『かぐや姫の物語』がフェミニズム映画として優れているとは思ってなくて、かぐや姫が好きになる男性がやたらと偉そうな奴だったりするあたりやはりお爺さん監督の作品だなーという印象だった。
あと、平安時代の貴族だったらケガレ意識も相当なものだっただろうから、貴族が自分手で遺体に土をかけて埋葬するとかあり得なかったのではないかと思うが、そこらへんは目をつぶって頂戴ね❤️という感じで作られているドラマなのだな。色々ケチをつけているようだが、結構面白いし楽しく見ているのだけどね。
新玉ねぎ入れしシューマイ崩れ落つ
#俳句
今日シューマイを作ったのだが、どうも市販の皮を使って包むと蒸し上がった時に皮がドローっと溶けてしまって始末に負えない。しかも肉だねにいつもより大きめに切った新玉ねぎを多めに入れたらもろく仕上がってしまい、箸でつまむと崩れ落ちて無残な仕上がりだった。何か上手いやり方はないもんかねえ。
阪神がオープン戦で派手に負けまくっているので、ネガティブなタイプの阪神ファンは「もうダメだー!」と騒ぎ始めているし、日刊ゲンダイ(このイエローペーパーが自民党の悪口を書くというだけでありがたがっているリベラル派は馬鹿じゃないかと思う)などのアンチ阪神ゴミメディアがキャアキャアと歓声を上げて嬉ションをダダ漏らしながら阪神バッシング記事を書き散らかし始めているが、私はさほど心配していない。いや、正直に言うとちょっとばかり心配だが、ただ去年の優勝は1985年、2003年、2005年の優勝とは内容が違うと思っている。これらの優勝は瞬間最大風速的に戦力が整っての優勝であり、編成部門に大きな問題を抱えている点では暗黒時代と大差なかった。それに比べて去年の優勝はドラフトや育成等のチーム編成をコツコツ改善を進めた結果として勝ち取った優勝であり、決して一過性のものではない。現に、去年のドラフト3位の山田などは2軍でいいプレーを見せているらしい。このようにドラフトで結果を出し続ける限り、チーム状態が大きく落ち込むことは考えにくいのではないか。シーズンが始まったら、今年もやってくれるものだと信じているよ。
私の愛飲の缶チューハイはキリンの本搾りという商品だ。この本搾りチューハイ、元々はメルシャンが販売していたものだった。メルシャンがキリンに子会社化された時に、メルシャン社内のチューハイ部ごとキリンにトレードされたので今はキリンが販売している。しかし、キリンには元々氷結というチューハイの看板ブランドがあるので、本搾りは当初は露骨に冷遇されていた。メルシャン時代より販路が縮小されて手に入りにくくなったし、商品ラインナップも減らされ、昔からの本搾りファンとしては忸怩たる思いだった。その後、本搾りにも根強い固定ファンがいる事をキリンも理解したのかピンクグレープフルーツ味や季節限定商品が復活したのでまあ良かったのだが。そんなわけで、キリン氷結が高齢者集団自決論を唱えるクソabema文化人•.成田某を広告に起用して大炎上したのを見て、本搾り派として心密かにザマアミロと快哉を上げていた。同じ会社の別商品を買っているのではキリンからすれば痛くも痒くも無いじゃないかとのツッコミは甘んじて受ける。だって代わりになる商品が他に無いんだからしょうがないじゃない。
映画は好きだが賞取りレースには興味無いので、アカデミー賞授賞式での人種差別事件について今頃になって知った。何と言うか、イスラエルのガザ侵攻以来、欧米社会の欺瞞を目の当たりにすることがやけに増えたような気がする。意識が遅れてるのは日本だけじゃなかった、良かった!などと安心してもいけないのだろうが。ときに、私はコンビニなどで外国人が店員の時はいつもより余計に礼儀正しく振る舞っている。わざわざ意識してそうするのもまた差別だ!と言われるかもしれないが、こっちがマジョリティで相手がマイノリティという関係の場合そうしなければいけないだろうという意識がどうしても働いてしまうものだ。くだんの俳優達はそんな意識も働かなかったのかな。無自覚差別者であることはもちろん、差別をしないようにしようという意識自体をあまり持っていない人達だったのかもしれんよね。もし彼らのファンだったらガッカリだろうな。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN1105L0R10C24A3000000/
フランケンシュタインの物話は“理系馬鹿”を戒める寓話のはずだよな。人文科学の素養がないから、墓から死体を掘り起こして怪物を作るような人倫にもとる研究ができてしまうという。もっとも、ディストピアSFなどその手の話を好んで書くSF作家
こそが理系馬鹿的な発想に至りがちなのは謎だのだが…。
ともあれ、この記事(全文読めないが)も理系馬鹿的発想の典型に見える。寿命500年と言うが、そのうち健康寿命は何年なのか。皆んなが500年も生きられたら生き飽きて自死する人が続出しそうだが、実際には一部の富裕層だけがいつまでも生きて短命な貧困層を支配し続けるのは想像に難くない。与太話としても気持ち悪いね。
胃の痛み寒波は今年最後なる
#俳句
https://www.47news.jp/10625989.html
民法の非嫡出子差別規定に違憲判決が出た時、同時に選択的夫婦別姓の憲法判断もされていて、まあ合憲(夫婦別姓は認めない)判決だったのだが、この時安倍晋三がまだ生きていたかは私の記憶に定かではないものの、安倍派=戦前の家族制度復活を狙う宗教右翼がいまだ権勢を誇っていたのは確かだろう。今も選択的夫婦別姓は裁判で争われているそうだが、今度の裏金問題でめでたく安倍派が崩壊すれば、財界の要望もある事だし今度は違憲判決が出て制度改正となるのではないか。それ自体は良い事だと思う。しかし、司法判断すら政局次第となるヒラメの国日本、情けないことだ。
と、こんな事を言っておいてひっくり返すようで何だが、共同親権なんていうものが成立しそうになっている辺り、やはりまだ宗教右翼の力は大きいのかもしれない。安倍派がこけても維新が推進しているので成立しそうなのかな。日本会議だの統一教会だの、宗教右翼なんかとっとと絶滅すればいいのに。気持ち悪い!
愛と正義を信じるおじさんです。 酒好き。阪神タイガースファン。 差別主義者と冷笑主義者が大嫌い。