以前は映画を見るとノートに感想を書きつけていた。SNSを始めてからはノートの代わりにネットに書き込んでいたのだが、最近は見ても特に感想を書かないことが増えた。今年の夏も、東京へ行った際に早稲田松竹という映画館でゴダールのドキュメンタリー映画と彼の遺作だという短編を見たのだが、感想は書かなかった。ゴダールの映画なんかに下手な感想を書いたらアホがバレそうだと思ったからだが、どうせ元よりバレてるのだろうからそんなの気にしなくても良いのにね。ゴダールの映画は昔見て(タイトルは忘れた)わけわかんねーと思ったのでそれ以来敬遠していた。今改めて見ると、やはりわけがわからないのは変わらないが、私も歳をとって、わけのわからん映画でもわからんなりに楽しめるようになったので、敬遠することもなかったかなーと今さらながら思った。シーンと静かな場面からいきなり大音響の音楽を鳴らしてビックリさせたりする辺り、前衛風に見せかけて結構大衆映画的な演出もやってんじゃん。以上、数ヶ月遅れで見た映画の感想を書いたが、実は先日、今年最後の映画鑑賞をしてきた。そっちの感想はまた日を改めて書こうと思う。

もう年末だから当然だが、阪神の来年の外国人がここに来て続々と決定している。特に野手はあまり大物を取らなかったので、ブーブー文句を垂れる害悪阪神ファンを多く見たが、藤川監督が獲得意図をはっきり説明していたのにね。前川や井上ら若手の蓋をするような補強はしない、日本人にいないタイプを取ると。その通りの補強になっているのだから私は納得したけどね。「でも他の球団はあんなに補強してるのにぃ!ママーーーー😭」とおもちゃ売り場で号泣するガキみたいな野球害オタにひとこと言いたい。阪神も一昔前は東京の某球団みたいに補強に頼ったチーム作りをしていたが、中村GMが就任した辺りからそれではダメとなって時間をかけて生え抜き若手主体のチームへと作り替えてきたわけだ。また補強ばかりのチームに戻りたい?私はまっぴら御免だ。色々な意味で今の阪神はいいチームになったと思う。今の路線を変えずにまた優勝してほしいと願っている。

数ヶ月前(確か夏頃だったかな?)Chromecast with GoogleTVというものをうちの古いテレビに取り付けて、遅まきながらテレビでYoutube等を見られるようにした。それ以来テレビを見る習慣がすっかりなくなってしまい、今テレビでどんな番組をやっているのかぜんぜんわからない状態になってしまった。もうテレビなんかオワコンだから別にそれでも構わんかと思っていたのだが、今日になってBSTBSで『岸辺のアルバム』をやってるのに気づいて「あー!こんなのやってたのか、しまったー!!」と慌てて録画予約をした。ちょうど今日やっていたのが最終回で、家が川に流されるのを登場人物と一緒に呆然と見た。第一話から見たかったなあ、とほほ…。これに懲りて、今後はYoutubeばかり見てないでたまにはテレビも番組表チェックしないとダメだなと非常に反省している。テレビなんかオールドメディアだしーとか言っていたら立花孝志にだまされる若い奴と大して変わらなくなる。テレビだろうがネットだろうが良いものは良い!過去の名作の再放送まで見るのをやめることは愚かなことだよな。まあそんなわけで、途中で試聴ストップしていた『光る君へ』も最終回くらいは見てやるか。そういえば『吉田類の酒場放浪記』のテーマ曲が変わったんだってね。全然知らなかった。

春死なむとの願いは叶い難きなり
冬逝きし人の名こそ多かり

年の瀬も押し迫ってくるこの季節になって、有名人か無名人かに関わらず聞き覚えのある人の訃報を聞くことが多くなる。今年の冬はよく人が死ぬなあ、こんな年は珍しいんじゃないか…と思うのだが、よく考えたら去年も一昨年もその前の年も同じことを思っていたような気がする。要するに身心が弱っている人は冬を乗り切るのは難しいという、昔から言われている真理が表れているというだけの話だろう。そんなことを言っている私ももう若くもなくなってきているのだから、冬に耐えられるだけの元気は維持していかなければいかんよなーと思う。筋トレ頑張ろう。

毎年「そんな言葉どこで流行ってたんだよお〜」と毒づく新語流行語大賞だが、今年の「ふてほど」はマジで一度たりとも聞いたことがなかったのでびびった。「不適切にも程がある」というドラマの題名の略だと聞くと、ああ何か聞いたことがあるなと思い出したけど。見てもいないのに悪口を言うのも何だが、反ポリコレのクソみたいなドラマだったらしいね。反ポリコレの主張に説得力を感じてしまう人も世の中には多いようだが、そんなのは「正義の味方のジョン・ウェインが悪い“インディアン”をぶち殺す西部劇を今の時代には作れなくなったのは嘆かわしい、ああ愚かしい」みたいなものだろう?時代から取り残された老人の主張としか言いようがないが、そんな代物を天下のクドカンが執筆するなんてねえ…。まあ、クドカンももう老人だということか。ときに、「ふてほど」が大賞なら当然「とらつば」もノミネートくらいされてるんだろうなと思って調べたら、ノミネートすらされてないんでやんの。私の周りではこっちの方がよほど話題になっていたけどねえ。誰が決めてるのこれ。やくみつるか?

私には風呂で寝入ってしまう悪癖があって、そんなことをしているとそのうち死ぬぞと人に言われたりするのだが、冬の寒い時期に冷え切った体を温かい浴槽に沈めると、嗚呼〜あったか〜い、ええ気持ちや〜と思わず夢の国へ飛んで行ってしまう。で、皮脂が抜け切って全身カサカサの乾皮症になるし疲れも全然取れないしで、良いことはひとつもない。自分でもこんな悪癖は改めたほうが良いのだろうけどなーと今までも思ってはいたのだが、今日改めて、こんな悪癖は直さないといけない、絶対風呂で寝ない!と心に誓った。なぜかって、それは言わずもがなだろう。まだお若いのにねえ、中山美穂。美人薄命とはこの事か。

たはむれにケツを触りてそのあまり
固きに泣きて片足スクワット

暖冬と言いながらかなり寒くなってきた。こう寒くなると日々の筋トレのモチベーションを保つのがなかなか困難になってくる。懸垂バーなどは屋外に設置しているので、寒さをこらえて運動することになるわけだからね。この季節にモチベーションを保つのに一番の薬になるのは、やはり筋トレの成果を実感することだと思う。それで、鏡の前で腹筋に力を入れてみて、ちょっとは腹筋割れたかな?割れてないような気がするがやっぱり割れてる気がする、まあ割れたということにしておこう、などと馬鹿なことを考えている。一番成果を実感するのは尻の筋肉だ。ハードなスクワットをこなした甲斐あって以前と比べると明らかに硬くなっていて、両手で尻肉をモミモミしながら「これが俺の尻?別人の尻みたい…」と恍惚としている。はたから見れば超キモいだろうが、こうでもしないと筋トレなんかやってられなくなるのだから仕方ないよね。

過去の例から言って、こういう形でFA宣言した選手が移籍しなかったことはほぼないので、大山は絶対移籍するものだと思ったし、ショックのあまり寝込んだりもしたのだが(ちょっと大袈裟)、開き直って「これで井上などの若手を使わざるを得なくなるのだから長い目で見れば若手が育ってプラスになる!ヒウラとかいうよう打つ外国人もとるらしいし、何も絶望することはない!」と無理矢理考えて、ようやっと大山FAの精神的痛手から立ち直ってきたところだった。なので、急転直下の残留決定に頭が真っ白になって呆然とした感じになっている。もちろん超嬉しいよ。大山よ、blueskyでの投稿で「移籍したら大ブーイングを喰らわせたる」とか言ってごめんね。来年も頑張ってね。でも、大山残留に関わらずヒウラは取ってほしいものだ。去年の敗因のひとつは外国人打者が全然活躍しなかったことにあるわけだから、来年こそはちゃんとした外国人を取らないとダメだと思う。

この夏に仁王像の張り子人形をこしらえて、その後はや数ヶ月、ずっと張り子について全く投稿していないのでかまた作るのに飽きて投げ出しちゃったのかと思われているかもしれないが、実は空き時間にちょっとずつコツコツと新作を作り続けている。次は雛人形と萌え美少女フィギュアを作ると宣言したと記憶しているが、雛人形のほうは頭部を男雛・女雛共に完成させてあとは胴体を作るのみとなっている(胴体を作るほうが大変なのだが。)で、今は雛人形の胴体は後回しにして美少女フィギュアを作っているところだ。新作の雛人形と美少女フィギュアを作るにあたっては色々と新しい試みをやってみようと思っているのだが、新しい試みを試すという事は失敗して数ヶ月の努力が台無しになるのと紙一重でもある。なので今は必ず無事に完成させられるとは言い切れないのだが、もしも無事に上手いこと完成させられたら、ここで真っ先に披露するつもりでいる。ぶっちゃけ、SNSで完成品を披露してささやかな反応があるのが楽しくて張り子を作っているようなものなんだよな。というわけで、完成するのがいつになるかはわからないが、乞うご期待。まだ作っている途中ながら、今度の張り子は我ながら結構自信作になりそうなんだな。

地震、羽咋あたりが揺れたんか。俺の母ちゃんの実家のあるあたりやけど、心配やなあ。

今日、『にっぽん縦断こころ旅』の火野正平追悼特番をやっていて、火野正平の最終出演回になった未放送分を放送していた。これがなかなか反則気味な内容で、私は冷血人間なので涙をぼろぼろ流すとまではいかなかったが結構ウルッとくるものがあった。何しろ、満開の桜の花吹雪の中を自転車で走ったり、目的地の天草あたりの海辺では穏やかな海が光を反射してキラキラ輝いていたり、どう見ても一種の来迎図にしか見えない。意図的にそう見せているとしたら、NHKの編集技術は大したものだ。地元の人との交流の場面では、同世代の女性と「お互い長生きしようね」と言って別れるに至ってはちょっとあざといくらいだ。まあ、あざといと言っても本当にそういう会話を交わしているのだから仕方ないのだけど。 
もっとも、考えてみればこの番組は普段から来迎図のような風景を見せる番組だったと言えるかもしれない。追悼番組の素材としてちょうどいい番組というのは他にもあって、典型的なのは『徹子の部屋』だが、そういえば江戸屋子猫なんかは『徹子の部屋』に出演したと思ったら程なくガンか何かで亡くなっていて、まるで遺影の撮影をするかのように出演したのだなあと思った。こんな話ばかりしていると私にもお迎えが来そうで怖いのでこの辺りにしておく。

ていうか、今知ったのだが北の富士も死んだの?横綱としても親方としても立派な実績を残した人だったのだろうが、なんと言っても相撲の実況解説が抜群に面白かった。遊び人として名を馳せた経験が良い意味で人徳として現れていたあたり火野正平と通じるものがあったかもしれない。ご冥福をお祈りします。

以前は火野正平はなぜ女性にモテるのか理解し難いと思っていたのだが、NHK『日本縦断こころ旅』を見て、モテる理由がよくわかった。とにかく気さくでフレンドリーで、初対面の人ともすぐに打ち解け、タメ口で語り合える仲になる。一見やんちゃそうに見えて人情肌で優しいところもポイントだろう。まあ私とは正反対だよな。私は人見知りが激しく、何故かタメ口で人と話すのが超苦手なタチだから。でも人情肌で優しいところは負けていないと思う…と言いたいところだが、大体モテない男というものは「なぜ俺みたいに優しい男がモテずにあんな酷い男がモテるんだ!?」と思っているものであって、実際は本人が思っているほど優しくないことがほとんどなんだよなあ〜。まあ、人垂らしの好漢・火野正平の冥福を祈りたい。ここのところ毎日誰かの冥福を祈っている気がするな。

日本を代表する大詩人の訃報を目にしたので、敬意を込めてこないだ作った詩を披露したのだが、大詩人が作った詩と違って年甲斐もなく何やら恥ずかしい乙女チックな感じがどうしても漂ってしまう。現代詩というのは難しいものだと改めて思う。

ときに、漫画“PEANUTS”は私の愛読書のひとつだ。最初にこの漫画に触れたのはアニメ映画『スヌーピーとチャーリー』を見たのがきっかけだった。この映画で描かれるチャーリー・ブラウンのペーソスに私は痛く胸を打たれたのだった。この漫画については「癒し系」だとか「シュール」だとか様々な論評がされているが、私としては断固としてこれはペーソスの漫画であると信じて疑わないのである。そんなこの漫画のペーソスを谷川俊太郎の翻訳はよく表現していたと思う。他の人(さくらももことか…)の翻訳も読んだ事があるが、やはりPEANUTSは谷川訳に限る。ご冥福をお祈りします。
youtube.com/watch?si=7kNXCXQ0b

私が告白をしたならば
ささやかな幸せが壊れるでしょう

私が告白をしたならば
夢も希望も無くなるでしょう

私が告白をしたならば
全てが暗闇に覆われるでしょう

私が告白をしたならば
世界の時が止まるでしょう

私が告白をしたならば
あらゆる生命が終わるでしょう

私が告白をしたならば
宇宙は虚無と化すでしょう

そんなオソロシイ爆弾を
心の片隅に持っています
いつか爆発をさせてやろうかと
楽しい空想にふけっています

「新聞なんかもうオワコンの衰退産業だ。遠からずネットに完全に取って代わられて滅びる」みたいなことを言う向きが多い今日この頃だが、正直、新聞が無くなったら困る。と言っても、記事の内容が優れているからではない。実用品として新聞紙が無くなると色々と困るのだ。新聞紙は野菜などを包んで貯蔵するのに大いに役に立つし、荷物を発送する際にはプチプチの代わりの梱包材としても使える。私の個人的趣味である張り子細工の下張りにも最適だ。トイレが水洗式ではなく汲み取り式が多かった頃にはトイレットペーパーの代わりとしても活躍していたし、今でも鼻をかむ紙として重宝している。これらの用途にはコピー用紙などでは代用が効かない。だから、新聞記事のクオリティが下がりに下がって読む人もいなくなってとうとう廃刊に…みたいなことになるとかなり困るので、新聞記者は権力者に媚び媚びの忖度記事ばかり書いてないでもうちょっと頑張れよ〜と言いたい。

冬の入り ああ冬の入り冬の入り〜、季節の変わり目というのはあまり俳句が思いつかないものだ。何しろ気候が激変するので心身ともに適応させるのが大変で、俳句を作っている余裕が無くなる。実際、ここ最近鼻風邪をずっとひいていてくしゃみばかりしている。早く寒さに慣れて俳句を作れる余裕が欲しいものだ。ここで一句…、

言の葉をかき消すくしゃみ忌々し

余裕がないのに無理矢理捻り出した句なのであまり良い句ではない。

かつてフランスのミッテラン大統領には愛人がいたが、それを記者に問われて「ええ、愛人がいますよ。それが何か?」と平然と答え、支持率も全然落ちなかった。それで、さすがフランスは助平の国…もとい政治リテラシーの高い国だから、私生活の問題ごときでは大ごとにならないのだなあと妙に感心している人が多かったが、それって本当に感心するようなことか?と私は疑問に思った。家族を平然と裏切るような奴が国民を裏切らないわけがないのだから。ときに、玉木雄一郎の不倫報道に対してネットでは玉木を擁護する声が喧しいのを見ると、日本もかつてのフランス並みに政治リテラシーが高い国になったということなのかなーと思う(皮肉を言っています。念のため。)

今更だが、今日初めて津田梅子に出会った。新札が出てもう大分になるのに田舎にはなかなか出回らないのかまだ北里と渋沢にしか会ったことがなかったが、これでやっとコンプリートだ。それにしても、険のある顔つきのおばさんだよな〜、樋口一葉の方が良かったんじゃないの。まあ、全体的に安っぽいとか新一万円札がドスケベ爺さんで嫌悪感が〜とか色々悪評高い新札だが、個人的に一番違和感があるのは千円札の北里だ。ダイエットに日々取り組んでいてリバウンド防止に四苦八苦している者からすると、太って肉のはみ出たおっさんがお札の偉人像というのはどうもねえ…。毎日美味いもんをたらふく食ってろくに運動もせずに威張っているんだろうなーと千円札を見るたびに思ってしまう。もちろん北里柴三郎が偉い人だというのを否定する気はないのだが。よく知らんけど、たぶん先代の野口英世よりも偉かったのではないか。カンパしてもらった留学費用を芸者遊びに使い果たしたというエピソードしか印象に残っていないんだよな、野口英世。

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