蚊にたかられながら月見酒と洒落込んでいる。ええ月や。月がー出た出たー月がー出たーヨイヨイ、三池炭鉱の上にー出たーやったっけ。よう覚えとらんわ。昔、九州に青春18切符で旅行したときに、福岡県の田川市だったかな?の炭鉱博物館みたいなところに行ったが、そこで炭坑節についてのレクチャーみたいなのをやっていて、色々由来を聞いた。まあ、あの炭坑節というのも「○○○○の上にー出たー」の○○○○に九州の色々な炭鉱の名前を入れて歌われたらしく、ウチが炭坑節の元祖だ!との争いもあったらしい。そんなんどこが元祖でもええがなと思うのは無責任な部外者だからかもしれない。炭鉱への人夫出しをヤクザがやっていた関係で、今でも九州の辺鄙な田舎町に全国有数のヤクザ組織の本部があったりするわけだよね。ひょっとしたら、今後は原発立地の地元がそういうことになるのかもしれないなーなんて思ったりする。
張り子の仁王様が完成した。思ったよりも早くできたかな。何、仁王様に見えない?ふんどし一丁でイキったポーズをとるちんちくりんのタコ坊主の像にしか見えない?黙らっしゃい!確かに仁王様にしては装飾品がだいぶ足りない感があるが、自然主義的表現を重視して(訳:めんどくさかったから)シンプルなふんどし一丁スタイルにしたのである。ふんどしに黒々と書かれた梵字がこのタコ坊主はまぎれもなく仁王様であると控えめに表現しているわけだ。お寺の山門にこんなのが鎮座していたら、悪霊もドン引きして退散すること請け合いだ。ちなみに言うまでもないことだが、張り子なので中身は空洞で、ほとんど紙でできているので筋肉質なようで実は吹けば飛ぶほど軽い。火にくべたらあっという間に灰になるよ。まさに人の世の儚さを体現しているわけだ。祇園精舎の〜鐘のこ〜え〜♪
左が昨年6月18日のポポーの木、右が今年6月20日つまり今日のポポーの木。あまり成長していないように見えるが、冬に葉っぱが全部落ちているあいだにガッツリ剪定して枝を短くしているので、短くなった分また伸び直してきているというわけだ。…とは言え、やはり見比べると今年はあまり枝葉が成長していないように見える。接ぎ木なんかしたから木に余計な負担がかかったのかな。ちょっと心配。なお、今年のポポーの横に草を植えているのが見えるが、これはこの間植えたレモングラスだ。田舎のスーパーには売っていないものを育てることにしているので変わったもんばかり植えている。レモングラスのほかにフレンチタラゴンも鉢植えで育てることにした。うまく育ってほしいものだ。
コロナに感染していなかったので書いてしまうが、実は先週の日曜日に野球を見に行っていた。「一家全員分チケットを取ったけど、ひとり急用で行けなくなったので良かったら一緒に行かない?」と知人からお誘いを受けたので喜んで承諾した。当日になったらさらに体調不良者(実はコロナだったと後日判明)などが出て、結局私と知人のお子さんの2人で行くことになってしまった。でも楽しかったな。やはり現地で観戦するのは最高だな。阪神勝ったし。ちなみに写真はこの日のヒーロー才木のヒーローインタビューの様子だ。この日の前の時点では、今年の阪神はダメそうやな…まあ去年良すぎたから仕方ないなと思っていたのだが、それから1週間経ったらもう首位と0.5差の2位に上がってきたからびっくりだ。俺が見に行ったおかげかな(もちろん冗談だが。)なお、私もお子さんもコロナに感染してはいなかったから、ウイルスを球場に撒き散らすこともなかったので、念のため。
今日はニャンニャンニャン(2/22)なので猫の日なんだって?ツカサのウィークリーマンションの日(アードレスはーニャンニャンニャン、てんこてんjp〜♪)じゃなくて?ときに、あのツカサという会社はもう倒産したのだそうだね。とまあ、冗談はさておき、猫というのは確かに可愛いものだ。しかし、今ほど猫の可愛さに猫も杓子もデレデレになって、飼い猫自慢の写真をアップしたり、猫のろけ漫画や小説を披露する時代ってあっただろうか。パレスチナでは子供が虐殺されているというのに、猫可愛いー❤️とか言っている場合か!と怒っている人を見たことがある。地球上のどこかで酷い目にあっている人がいる時に楽しい投稿をするとは何事かというのは筋違いの怒りなのではないかと思うが、気持ちはほんのちょっとだけわからないでもない。ちなみにこの猫の写真は数年前に旅行に行った備中松山城で撮った。迷い猫だったそうだがやたら人懐こかったのでよく覚えている。その後、この猫は猫城主なるものに任命されて城のマスコットになったらしい。
風寒し便りひとひら足元に
#俳句
まだまだ寒いが、寒さに似合わぬ春めいた白い花びらを足元に見つけて、もう梅の季節か…と感慨深さのあまり一句ひねった。
俳句を作る時は二重季語にならないようにとか春の季語と冬の季語が入り混じらないようにとか一応考えて作るので、「梅」とか「春」といった単語は使わなかった。おかげでわかりにくい句になってしまったし、そんなルールは馬鹿馬鹿しいとも思うが、やはり素人俳句なりにルールはわかっているぞとアピールしてちょっと見栄を張りたくなるんだな。
この夏は手や足やちんぽが漆にかぶれて悶え苦しんでいたが、そんなに苦しい思いをして何をしていたのかと言うと、この一閑人ならぬ一閑ニャン付きぐい呑みを修理していたのだった。このぐい呑み、ネットオークションで一目惚れして購入し大事に使っていたのだが、何かの拍子に猫ちゃんの首がポロッと取れてしまった。で、アロンアルファでくっつけても良いがそれでは長持ちしないだろうし、いっその事金継ぎをしてしまえと思い立った次第だ。ついでにうちにある欠けた器をまとめて金継ぎしたので(写真左の馬上杯もそのひとつだ)結構な大作業になってしまった。
ときに、金継ぎと言うと古田織部を連想するが、古田織部を描いた司馬遼太郎の短編小説『割って、城を』によると彼は男色の気があり、そのいびつな性的嗜好とわざと割って金継ぎした器を愛でるいびつな嗜好が重なるように描かれていた。この小説を読んだ当時私は高校生だったが、戦国時代には男色が異常なんていう感覚は無かったんじゃないの?とアホ高校生ですら疑問を感じた。さらに言うと、古田織部の“へうげた”茶道具趣味をグロテスクなものとしか受け取らないあたり、所詮は保守的な元産経記者の書いた小説という感じだ。まあ、司馬遼太郎の小説は歴史書以上に真実が描かれている!と持ち上げる向きも最近は少なくなったのだろうが。
じつは今、つかの間のバカンスを過ごしている。今日は岐阜は犬山の明治村に行っていた。疲れたけど超楽しかった。ここはおっさんが1人で訪れても楽しめる稀有なテーマパークだよね、テーマパークというか博物館なわけだが。もちろんお子様が行っても楽しめるように探偵ごっこみたいなイベントもやっていたが、そちらはおっさんの興味の範囲外なので無視してガイドさんの説明を聞きまくってきたよ。聞きまくったと言っても4人だけだけどね。学習院の建物と、西園寺公望邸と、フランクロイドライトが設計した帝国ホテルと、あと何とか言う大金持ちの邸宅と。西園寺公望の家の女中部屋は夏目漱石の家のそれよりも広かった。西園寺公望の人柄の現れだと言っていたが、どうなのかな。まあそんなわけで、明日も映画を見たり本屋へ行ったり飲んだくれたりした後で夕方にはおうちへ帰る予定だ。バカンスというのはあっという間に過ぎていくものだよね。寂しいなあ。
サバイバルナイフを買った。キャンプにしょっちゅう出かけるわけではないし、刃物趣味があるわけでもないのに何でこんなのを買ったかというと、そらポポーの接ぎ木に使うためよ、おーん。
実はポポーの接ぎ木には去年もチャレンジして見事失敗している。失敗の原因のひとつは、接ぎ木小刀を買うのをケチって使い古しの小さな切り出しを使った事だと私は見ている。ただ、接ぎ木小刀は鞘もついてなくていかにも危なそうだし、高価な割に接ぎ木以外に使い道が無さそうに見える。それで考えた末にサバイバルナイフで代用することにした。早速切れ味を試したが、なんとなく今年は成功しそうな気がする。
もっとも、接ぎ木に失敗した理由はそれだけではないけどね。高接ぎするには木がまだ小さかった気がするし、何より太さの合わない穂木を買ってしまったのがまずかった。台木と比べてあまりにも穂木が太いので、苦肉の策で腹接ぎをしたのだが、もうこの時点で失敗すると決まっていたようなものだ。今年は失敗を活かしたいところだが…。
愛と正義を信じるおじさんです。 酒好き。阪神タイガースファン。 差別主義者と冷笑主義者が大嫌い。