群馬県知事・山本一太の非道ぶりがすさまじいが、あれが安倍晋三のツイッターアカウントの中の人をやってたわけだから、安倍晋三という者の振舞いがいかに非道であったかも同時に物語るわけである。
“良い植民者がおり、その他に性悪な植民者がいるというようなことは真実ではない。植民者がいる。それだけのことだ。”(J-P・サルトル)
米、ユダヤ人入植者に制裁 異例措置、イスラエル反発(共同通信)
https://news.yahoo.co.jp/articles/e1f1ff0aad5b60fa5d5ae876c2757359ce9500e4?source=sns&dv=sp&mid=other&date=20240202&ctg=wor&bt=tw_up
日帝は被害者である朝鮮人労働者の尊厳を何度踏み躙れば気が済むのだろうか。
#群馬の森朝鮮人追悼碑撤去に抗議します
朝鮮人追悼碑、群馬県が撤去し更地に がれきの山も、本社ヘリ確認:朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/articles/ASS105HSLS1ZUHNB00H.html
いつだったか、タイムラインに流れてきた投稿にちょいと衝撃を受けた。うろ覚えだが「アメリカは世界一の大国だが、その中にいる国民の大半は世界のことに関しては無知、そしてそれどころか知ろうともしない」というようなことが書かれていた。
そしてそれを在パースのアメリカ人に言ったら、いきなり真顔になって「実はそれがアメリカなんだ」と言ったのでもう一度ビックリした。そのあと延々ともう一人のアメリカ人と政治談義になってしまい、残りのわたしたちはただ聞いていただけ。
海外にいると自分の国を違う視点から考えるようになる。在外日本人のわたしもそうなのかもしれない。
南アフリカのランペドーザ大統領は、ICJの判決を受け、「イスラエルが民主主義国家として法の秩序を守ることを期待」と表明。
同時に南ア外相バンドール氏はICJがガザでのイスラエル軍の行動を「ジェノサイド」とは認定しておらず、また戦闘停止も命じていないことを不十分として、「イスラエルへの軍事支援軍事用の資金援助の停止」は「全ての国の義務」と指摘。
南アフリカ政府(ANC)は「白人アパルトヘイト政権」から、派スティナとの連帯を表明し続けてきた。他方、米国とイスラエルはアパルトヘイト政権を支え続け、ネルソン・マンデラは「テロリスト」とされてきた。
ネルソン・マンデラは大統領就任後直ちにパレスティナの置かれた状況を「アパルトヘイト」と批判、パレスティナ自治政府を国家として承認。
また、バンドール氏は先週「ICJはプーチンを起訴できるのに、何故ネタニヤフは起訴しないのか?」と質したが「ICJ側はそれには返答せず」とも明かしました。
ところで、米・英は1960年からブラックアフリカの反植民地運動の軍事的弾圧に関与。独立コンゴ初代首相ルムンバと国連事務総長ハマーショールドもCIAとMI6の関与によって殺害された。
また南アを軍事支援、アンゴラ・モザンビーク国内を内戦に導き、破滅に追い込んだ。
(社説)朝鮮人追悼碑 知事は撤去を中止せよ
https://www.asahi.com/articles/DA3S15851130.html
遅すぎるという指摘もあるけれど、日本の大手メディアとは思えない朝日新聞の真っ当な社説。
”山本知事は「公益に反する状況が続いている。一日も早く正さなくてはいけない」というが、損なわれている公益とは何か。碑が県民にどんな不利益をもたらしているのか。納得できる説明はない。
設置許可の更新を拒んだ県の判断の妥当性については裁判で争われた。一審は県が裁量権を逸脱し違法としたが、二審で県が逆転勝訴。最高裁で確定した。知事は最高裁の判断に従うという。
しかし、司法は撤去まで求めてはいない。また、二審判決は形式的なルール違反を過大に重要視する一方、憲法が保障する表現の自由への悪影響に対して目配りに欠けており、承服しがたい内容でもある。公園で「強制連行」を語ることを一律に禁じるべきなのかも疑問が残る。
撤去に突き進む県の姿勢は不可解だ。碑の目的や碑文の中身に問題はないが、運営の仕方にルール違反があったと知事はいう。ならば目的を生かす策を考えるべきだろう。
戦前の日本を美化する風潮が強まるなか一部の勢力から抗議を受けた県が、政治的中立を盾に事なかれ主義に陥っているとすれば、歴史改ざんに手を貸すことにもなる。きわめて危うい事態だ
ヒントは、アマルティア・センの言葉「人権は法だけでは守れない」。センは、法のレイヤーによる保護も大事だが、同時に倫理・規範のレイヤーも大事だと言っている。
世界中の人々が人権のアイデアを共有し、不完全義務として人権擁護を実行する。これにより法と行政の網をすり抜けた人権侵害を防ぐ。
なお、ここで「不完全義務」はカント哲学の用語で、「完全義務」=「必ず果たされなければならない義務」と対になる「なるべく果たした方がよい義務」を指す言葉。私はざっくりと「完全義務は法、不完全義務は倫理に対応する」と考えています。
日本でよく聞く「人権意識を高める」という言い回しがある。厳密かつ実効性を持たせる上では「不完全義務としての人権のアイデアを、わたしたち全員で共有しよう」と言い換えてみると分かりやすいと思う。
国際機関や政府機関による人権の保護はもちろん必要だが、(そして国際機関や政府機関の人権保護機能の実効性を高める努力も必要だが)、それだけでなく、個人のレベルでも「できることをしよう」と考えるのである。
お題:人権は法か、倫理か?
私の意見は「人権は法(国際法)でもあり、倫理でもある」。ただし、その背後にはやや複雑な文脈がある。
哲学研究者レザ・モサイェビは、『カントと人権』の序章で「人権は政治的構想か、道徳的理論か」と論じている。
「人権は政治的構想である」という観点では、人権は国家主権より上位にある国際法である(つまり国際人権法と国連システム)。ただし、この構想は「強制力がない」という一点において否定、嘲笑される(柄谷による要約では、ヘーゲルはこの観点でカントを批判した。そしてイラク戦争やガザ虐殺時のアメリカは国連を嘲笑した)。
「人権は道徳的理論」という観点では、人権は世界共通の/グローバルな倫理的リンガ・フランカ(共通言語)である。グローバルサウスを含めて、世界中に人権を重視する人々が存在することは重要だ。
この2つの理論は相容れないとする考え方もある。「法」や「権力」は道徳と混ぜてはいけないと考える立場だ。
一方、私の立場では、人権は法(政治的構想)であり、倫理(道徳的理論)でもある、と言い切りたい。
(続く
「ドラマ制作部の連中が報道フロアに乗り込んできてコソコソと打ち合わせをしていた。幹部がこっそり公式コメントまで用意しており、訃報はプロデューサーやデスクもオンエアまで知らされていなかったのです。フロアでは『えー!』と悲鳴があがっていました」
https://bunshun.jp/articles/-/68683?page=4
感想:ドラマ『エルピス』を想起させるテレビ局の内幕。亡くなった方を悼むよりも先に、まず保身を図る人たち。しかもバレバレ。
"日本は1964年までユニセフから給食の脱脂粉乳を支援してもらっていた。戦後生まれの母はそのことを強く記憶している。もし日本がこの支援を受けていなければ栄養失調で健康を損なう子どもが多かったに違いない。日本は絶対にUNRWAへの支援を止めてはならない。"
https://twitter.com/aka_sb/status/1751425152255177061?t=fhHaphio8ZCZ5txQNW6xrw&s=09
おはようございます。今週は夜勤になります。
群馬県当局が無かった事にしたがっている史実はこちらになります。動画の最後で、いま問題になっている追悼碑も紹介しています。
[YouTube] そもそも「徴用工」って何?
https://www.youtube.com/watch?v=MWjaDoVl0Uo&feature=youtu.be