"内包された作者" "作者の気持ち"との一致はありません。 https://www.google.com/search?q="内包された作者"+"作者の気持ち"
真逆(まぎゃく)
BCCWJで検索すると1980年代がヒットしてるなと思って、よく見るとすべて「真逆様」の解析誤り。正しく「まぎゃく」なのは
> 夜中に勤務している数少ない刑事と巡査のほとんどを沼間とは 真逆 の小坪海浜公園に集め
(なかにし礼『夜盗』、2003年)
これ以後は多数用例があって、2004年の流行語という話に合致する。
https://salon.mainichi-kotoba.jp/archives/197007
#日本語
The title of the panel in Chinese is "世界科幻文学的多元的未来", and the English title is "Decolonize the Future: Strategies and Solutions to Emerge from the Shadow of Anglo SF".
Japanese and Chinese readers (and some Koreans) might be aware of the difference between them. Chinese title in English is "The future of pluralistic world SF".
On this panel, I pointed at first and went along the English theme.
野村剛史2011『話し言葉の日本史』吉川弘文館、読了。現代文法の専門家が、ひょんなことから文法史、音韻史へと興味を広げ、とうとう口語史を書き上げてしまった。伝統的な日本語史の概説のありかたは、口語史を過去から現在へと書き綴るので、その意味ではかなり日本語史ど真ん中の語り方だと感じた。
音韻史の部分は、私だったらこう論じるかなと思いながら読んだが、中世の文法史の部分はさすが著者のご専門ということもあって、言葉の歴史に対するパースペクティブのようなものが面白かった。ガ格が作る連体句と係り結びの関係や、片仮名申状における漢語の広がりなど、もう一度読み直したいエピソードもある。
で、そうかなあどうだろうと思うのは、「江戸の言葉+山の手に集まった地方人の言葉がコイネー化して標準語になった」という比較的広く受け入れられている説に対して、「江戸期にすでに上方由来の共通語のようなものが存在していて、それを継承したのが山の手言葉、標準語はその意味で上方語の系譜」という説。面白い、とは思う。江戸弁に一部の語彙や文法に関西の影響が見られるとは従来から言うけれど、借用とか言語接触の枠組みで語られてきたのであって、直接的な系譜と言われるとどうかなーと思う。
比較言語学的な方法論によったものでもなし、ちょっと受け入れがたい。
「天冥の標」シリースに出てくる用語の「プラクティス」の語源ってなんでしょう?
作中では「患者群(プラクティス)」という用語が「救世群(プラクティス)」という名前にスライドしたらしいですが、では「患者群(プラクティス)」はどこから?作品世界の外でそういう用語はあったのかしら
アーシュラ・K・ル=グウィン『所有せざる人々』読了。
再読。昔読んだときはアナキズムも社会主義も何も知らなかったのですが、少しユートピア思想をかじってから読むとつながりが見えて面白い。平等を望む人々が空想し、実験してきた社会。資本主義の内側ではなく、外の何もない場所にそれを構築したらどうなるか、という問いから二重惑星というサイエンス・フィクション的設定が呼び出される。
多くのユートピア作品が共同体のしくみを主眼に置いて描かれるのに対し、本書はシェヴェックという人の物語を描き出す。ユートピアの住人は何を見るのか、資本主義社会に直面してどう反応するか、何に惹かれ、何を選ぶのか。私たちはアナキストの目で資本主義社会に出会い、揺らぎ、失望し、理解する。
“二百年前のウラスにおいて主流を占める性慣習は「結婚」と「売春」だった……「結婚」とは法律的及び経済的な規定によって認可され拘束される共同体であり、そして、単に「結婚」をより広義に解釈したものと思える「売春」は実利的な性交だった”
“男も女も自由だからです。なにも所有していないからこそ自由なのです”
“きみは本当に、責任もなく自由もなく、選択の機会もない社会に住みたいのか? 法律に服従するか、でなければ服従せずに罰を受けるかどっちかという虚偽の選択権のみがある社会に?”
“いかなる法も、法は専制です。個人の義務とは、法に従わないこと、自己の行動の首唱者たること、責任を負うことです”
“ここの看護人や医師の中には、一日八時間も働いている人がいるのよ!……献身的行為ね。残念ながらそれでは最大限の効果は得られないわ“
“彼らは彼を所有したのだ。彼は彼らと取引きしようとした。アナーキストらしい、非常にうぶな考えだった。個人は国家と取引きはできない。国家が認めるのは権力であって、貨幣ではない”
“現在を持つことはできません、現在とともに過去も未来も受け入れないかぎりはね。過去のみではなく未来も、また、未来のみでなく過去も、です!なぜならその二つは実在するからです。それらの実在性が現在を実在させるのです。あなたがアナレスの実在性を、不滅の実在性を容認しないかぎり、あなたはウラスを得ることはないし、理解することすらできない”
いっぽう、「マイナーCP」(または「マイナーカプ」)にはそういった問題がないようだ。 https://twitter.com/HellaEmblem/status/1642083735331033088
「ご飯食べた?」
インドネシアで暮らしはじめた時に近所の人がmau ke mana(どこ行くの?)sudah makan?(ご飯食べた?)と、よく聞いてきた。「どこ行くの?」は、ともかく「ご飯食べた?」って何よ?と思ってたんよね。
後に、隣人が今日は食事をしたのかどうかを心配してる、生きるためにご飯を食べるというのが大変だった時代の名残りだと友だちが教えてくれた。
他の国でも「ご飯食べた?」が挨拶の国ってあるよね?
https://www.youtube.com/watch?v=BiWYfW4fQq8
*「パラノマサイト」(正式名称略)の 開発者インタビューを観ていたが……
*その話によれば スクエニに伝承される ゲームテキストのスタイルがあるという。
*なんでも みんな テキストの書き方が ドラクエ流になってしまうそうで なかなか興味深い。
*ポイントは 読点がないこと そして その代わりに スペースを多用すること。
*読点より たくさん入れられる と開発の人が 語っているが たしかにその通りだ。
@gomadoufu
たぶん全然最古の用例とかではないですが、以下のようにありました。
「日本では食材を無駄にしない責任は料理長に一任され……」という用例あり。(大坪正『ホテルの経営とサービス』ダイヤモンド社、1962) [参照]
翻訳、プログラミングなどをしている(翻訳家でもプログラマーでもない)