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広島サミットから一年。
広島サミット館オープン。2030年まで公開予定。

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大根 さんがブースト

モリゾーとキッコロは万博終わった後も生きているので、ミャクミャクも万博に関係なく生きていけるといいね。

gispri.or.jp/_expo/mlc/profile

福岡9区(+10区)
県連から除名処分されたコンビですねー(とりあえず、県連のサイトからは名前消えてた)。
風ではためいて上手く撮れなかった。
(んで、このポスターのセンスはわたしの趣味と相入れんな)

メギド72、メギドラル編に入ってから、あんま好みじゃないなあ。
メギドラルの常識はこうです、ルールはこうです、まではいいんだよ。
メギドラルテスト、今回もモンモンは合格です、よくできました💮って感じが好みじゃないんだよ。
なんつーか、こう、自作自演っぽいっていうか。
(8章までクリア)

ゴティックメード、10年以上前に一回だけ見たっきりなので、記憶が薄い。
昔懐かしのアニメ絵本を出して欲しい。

今朝の天気は快晴なんか嵐なんかよう分からんの。とにかく風は強い。そして、頭も痛い。

ケモ夫人の第一話の「ちょうちょの時間は終わったんだよ」という台詞がやはりわたしに刺さり過ぎるので、この台詞のためだけに単行本を買おう。

おうちに帰ったら、ティッシュに蟻が集っていて不幸だわ

派遣元からお誕生日プレゼント(お菓子🍪🍰🍫だった🥰)を頂いたけど、平日の午前中の時間指定すんなし。送り付ける前に在宅時間を訊いておくれよ。

〈悪の凡庸さ〉の誤用が広まったのは、わたし達がその言葉を必要としたからなんだと思うのですが。何故あんなことを起こしてしまったのかを考えるには言葉が必要。
でも、二重三重に間違った言葉の使い方をして考えても、それはそれで危ういですし。
で、〈悪の凡庸さ〉とは何かと訊かれても、わたしには何も分からないな、と。〈悪〉も〈凡庸さ〉もどういったこたなのか、芯が掴めていない。

巻末に、オススメの本と映画を紹介してくれているのは、とてもありがたいです。

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田野大輔、小野寺拓也、香月恵理、三浦隆宏、百木漠、矢野久美子『〈悪の凡庸さ〉を問い直す』読了。
人口に膾炙している〈悪の凡庸さ〉は誤用なんじゃないか、また〈悪の凡庸さ〉を問い直すとはどういったことかという、題名通りの本。
わたしはなんもかんも理解していないということが分かった。

まず、〈悪の凡庸さ〉は一般的には、善悪を棚上げした言われたことを諾々とやる「歯車理論」を表す語として用いられているが、アーレントに〈悪の凡庸さ〉と形容されたアイヒマンは組織の中で主体的に働いており、決して凡庸な悪ではない、といったことが書かれており。
また、アーレントは〈悪の凡庸さ〉を「歯車理論」を表現するものとしては用いていないといったことが書かれ。アーレントは〈根源悪〉と対立する概念として〈悪の凡庸さ〉を提示したと書かれ。〈根源悪〉はカントの提示した概念なんでが、まずそっからわたしは知らなんだわ。

大根 さんがブースト

読んでなかった『人間の顔は食べづらい』の内容をちらっと見たら、2014年刊行なのに作中で新型コロナウイルスのパンデミックが起きてて笑った

ずつうがひどくなってきたから、かえりましょうね

昨日、一昨日は嵐のようなひどい雨だったけど、今日は曇りになって良かった。
あとまあ、目眩と吐気と頭痛も治って良かった。

IOC的には、パレスチナはアジアで、イスラエルはヨーロッパなんやね

図書館に天使がわんさか居て、作中「霊でいよう。距離を保ち、言葉でいよう」というセリフもあったので、この作品の天使はなんかそういう歴史の記録的な側面もあると思う。
元天使っぽい感じの、天使であることを忘れたっぽい感じの、天使しか聞き手のいない歴史の語り部的なおじいさんも出てきてた。
刑事コロンボ役の人が、刑事コロンボ・ドイツ編を撮影中みたいな設定で出てきてたけど、刑事コロンボの意図はわたしには分からなかった。

空中ブランコのシーンとライブハウスのシーンが、無駄に長かったです。

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『ベルリン・天使の詩』を見た。
1987年、壁に囲われていた頃の西ベルリン。この2年後に壁は崩壊するが、登場人物も制作者もまだ誰もそれを知らない。
俗っぽい説明をすると、サーカスの空中ブランコ乗りに恋をした天使が、天使を止めて人間になる話。
見てて天使視点の映像は重力がないのが分かる。凄い!

子供はなんとなく天使が見えてるっぽい。大人は天使の存在を感知できない。
天使が見守る人間の世界は、不和を抱え不満を抱き絶望し病み失業し自殺をする。天使は寄り添うことしかできない。
そういった草臥れ果てた人間の世界を、重力があり体温があり色彩があり触覚のある人間の世界を、天使は憧れる。
“子供が子供だった頃”という詩がいくども繰り返されていて、天使≠子供なのかしらね。天使を辞めて人間になる、子供を辞めていずれ草臥れた大人になる。それをどちらかと言うと、肯定している感じ。
元天使が何人もいることも提示されていて、大人もかつて子供≠天使だったことも示していると思う。

バレエってさ、舞台の隅に微動だにせず立ってるだけ(動かないでずっと立ってるって凄いよね!)の人がいるでしょ。
あれ見ると、なんだか心がギュッと締め付けられるんだよね。
バレエのこと、全然分からないんだけれども。

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