『石岡瑛子 I デザイン』展に行ってきた。
1960-80年代のパルコや角川書店の広告が中心。デザインが古びてなく、ポスターの保存状態がとても良いのもあって、とても60,50年前の作品とは思えない。と同時に、美学とか哲学とかそういったものを広告で広告することに時代を感じたりもするのでした。
パルコの広告だから、堤清二なんだよなあ。あの人何だったんだろう?
同行した人が「資生堂のポスターは本当に凄かった、凄かった」と繰り返し語っていたのですが、わたしは、その資生堂のポスターと同時代の他の広告を知らぬので、その凄さを知ることはないのでしょう。
#展覧会
ブックサンタに世話になってた側の業界にいた者としては、私たちが子どもの時読んでたものだとか、自分の子どもが小さい時に買い与えてたものとかって、今の子に対すると既に「古典」だったりするんよね。端的に言えば、食指が動かない。
あとそういうお金を出せる年代の人たちの「みんなが愛してた作品」って、たくさんのサンタが購入してくれるから被りがち。そしてそういう作品って広く読まれてるから、既に蔵書あったりする。
特に絵本はその傾向が強め。逆に中学年くらいからの児童書とか、もうちょい上のYAとかは弱い。
なのでゾロリとか、おしりたんていとか、つばさ文庫とか、みらい文庫とか、そういうお金出す世代は「別になんの思い入れもない(かもしれない)作品」も、よかったらサンタしてあげてほしい。Amazonとかe-honの児童向けランキングで、直近上位に入ってるやつ。余裕があれば図鑑とかもかなり嬉しい。
言い方はアレかもしれないけど、ブックサンタって買う側の趣味の押し付けになりがちだし、反応が見えにくいから。
大変な境遇にいる子どもたち、にも選書の自由はあるのでね。
前日比−0.2kg。 頭木 弘樹『食べることと出すこと』を読む。潰瘍性大腸炎の著者の苦闘がこれでもかと書かれる。元首相も罹患していたことで名前はよく知られるようになったが、良い薬が出来るまではとにかく食べるものの制限が厳しかったらしい。普通であれば「食物繊維を取る」事は良いこととされるが、潰瘍性大腸炎では消化吸収できないものはとにかくダメ、残さ率(胃腸吸収できず残って排泄されるもの)が低く栄養価があるものが望ましく、答えは豆腐や鶏ササミという事になるらしい。粥やオカラはダメらしく、腸をやられている時にいいものって普段楽なものと違うんだな。人間は管だ、というのは医学方面でよく言われる事だけど、徹底してその視点で見ると結構面白いかもしれない。
森見登美彦『有頂天家族』「大文字納涼船合戦」読了。
むごい話だった。
大文字焼の夜、下鴨家は空に船を浮かべ観覧するのが慣わしだったが、その船は親族間のトラブルで焼失した。なんとか工面して新たな空飛ぶ船(赤玉先生の茶室)を借りることに成功するが、その茶室はまたもや親族トラブルで残骸となるのだった。
大文字焼きの夜を飛ぶ、その場面はとても良かったんですよ。過去の栄華は取り戻せないまでも、故人を偲び、甘やかだった過去を懐かしむ。
でも、どうしてそのまま終わらせてくれなかったんだろうか。一夜ぐらい、一夜ぐらいは甘美なままで終わらせてくれてもいいじゃないか。
赤玉先生が出てくると、わたしの情緒はメタメタになる。赤玉先生的に、下鴨家の家族イベントに参加するの、勇気の要ることだったと思うんですよね。その、絞り出した勇気が踏み躙られたのが、こう、こう、な!
下鴨家、それぞれの狸の思いも踏み躙られていて。どうしてこんなにむごい話を。
偉大な父親に食われる息子がわたしのヘキのひとつなので、矢一郎お兄様はいいですね、いいですね、たぎります。
#読書
森見登美彦『有頂天家族』「母と雷神様」読了。
優しくて、悲しい、寂しい話だった。
下鴨家次男の矢二郎は、狸社会から脱落し、井戸で蛙として生きている。
社会から脱落したものにも居場所があるというのは、これは救いだと思う。だけど、脱落したものは、脱落なんかしたくないんですよ。
矢二郎兄さんも、蛙になりたかったわけではなく、ただ狸ではいられなかっただけで。狸でいられるのなら、狸でいたかったんですよ。
雷が鳴る時、母上の胸裏にはちゃんと矢二郎兄さんもいるのですが、矢二郎兄さん本人としては物理的母上の側に居たいんですよ。でも、そうできない。
どうにもできないものは、諦めるしかない。諦めたところに、救いはある。救いが確かにあるこの話は優しい。救いは井戸という形で既にもたらされている。矢二郎兄さんには居場所がある。だけどわたしは、この救いの形がとても悲しく寂しい。
あー、あと、矢二郎兄さんは夢野久作の三男みたいだなあ、と思った。
ああいう人に居場所があって生きていけたというのは、わたしにとっては救いだけれど、本人的にはどうだったんだろうな。どうしようもないこと、どうにもできないことはあるよね。
#読書
永田寿康氏のあらましはうぃきぺでぃあをご覧いただくとして、彼がわたしの心に刺さってしまったのは、わたしの通学路(の近く)で彼が亡くなったのが最初の契機ではあるわけですが。
東大を卒業し、大蔵省に入省し、国会議員になってもなお満たされない、この強烈な飢餓感よ。堪らん。
クリント・スミス『場所からたどるアメリカと奴隷制度の歴史』読了。
アメリカのプランテーション史跡を巡る旅行記。面白かった。
作者が訪れた土地、語り合った相手の描写が細かく丹念にされているのだが、特に光の描写が印象深い。全体的に光に包まれた印象の本だった。
建国の父、トーマス・ジェファーソンのプランテーションのガイドツアーから始まるのですが、これが物凄く突き詰めてくる。奴隷とは何か、奴隷制度とは何か、奴隷制度の何が問題か、歴史とは何か、歴史を語るとは何か、歴史を保全するとは何か。正直、まだ受け止めきれてはいません。
独立宣言で「すべての人間は生まれながらにして平等であり」と謳いながら、そこに黒人は含まれておらず、ネイティブ・アメリカンは考慮のうちにもない。
トーマス・ジェファーソン、紛れもなく人格者だったと思うのですよ。そんな人でも奴隷を鞭打ち、家族を引き裂き、40も齢の離れた娘を性交渉の相手にする。えぐい。
#読書
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