『グイン・サーガ 5 辺境の王者』
栗本薫著、ハヤカワ文庫 1980年10月発行
第一部「辺境篇」完結。一気に物語が動く爽快感!
この巻から「あとがき作者」栗本薫らしいあとがきになった。そして、これまでの巻には物語世界での単位に矛盾があった理由が明かされる。単位を正確に決めたのは前巻のあとがきを書いた時だったと(笑)。中世あたりは地域によって度量衡はまちまちだったし、多少はよろしいのでは。グイン世界の単位系はわりとしっかり作られているので、今でも「うちから都内まで7タッド」「電車で1ザンちょっと」みたいに、私にとってはヤード・ポンド法よりはずっと自然に使える。
ともあれ、これでノスフェラスを舞台とした物語は一段落し、次からは占領下のパロの宮廷にメインの舞台が移る、だったはず。ヒロイック・ファンタジーから宮廷ファンタジーへ。戦いと怪異と冒険の世界から、文明と陰謀の世界へ。
『もなかと羊羹』
仲俣暁生著 破船房 2024年10月7日発行
軽出版。zineより少し本気で、一人出版社ほど本格的ではない、即興的でカジュアルな本の出し方。巨大な装置産業である出版産業から離れて、執筆から販売まですべて一人で、気楽にサクサクと出版していく。そんな「軽出版」という言葉の生みの親である中俣さんによる軽出版エッセイ。同人誌の経験がある私も、ちょっと趣向を変えて挑戦してみようか、という気分にさせられた。コンテンツの作成だけではなく、デザインから印刷発注、そして1冊1冊を販売するところまで手がけるの、本当に楽しいんですよね。商業出版の見本誌が届くのも嬉しいけど、印刷所から自分の同人誌が届いた時の方が嬉しさは大きい。後者は利益にはならないのにね。
『ヘンリー・ライクロフトの私記』
ギッシング著、平井正穂訳、岩波文庫 1961年1月発行
ハードカバーや古典新訳文庫版ほど岩波文庫版は読み返していなかったかもしれない。いつか自分でも訳してみたかったけど、原文はけっこう言い回しが難しかった気がするのと、既存の翻訳ほど巧みに訳せないなと早々に諦めたのだった。ギッシング最晩年の著作。読み返すたびに、つまり歳をとるごとに、心に迫る部分が増えていく。
"だが、私は再びこれらの書物を手にすることはなかろう。年月はあまりに早くすぎてゆくし、しかもあまりに残り少ないのだ。"
"明らかになにかが初めから私には欠けていた。なんらかの程度に、たいていの人にそなわっているある平衡感覚が私には欠けていたのだ。"
『人工知能 人類最悪にして最後の発明』
ジェイムズ・バラット著、水谷淳訳、ダイヤモンド社 2015年6月発行
当時の著名なAI研究者や技術者の取材を通じてAIの脅威を描き出す。これ、原著が出たのが2013年と10年以上も前。生成AIなど影も形もなく、おもちゃにも満たないような性能のAIが最先端だった時代。最新の技術が半年もすれば時代遅れになってしまうAIの世界で10年前は石器時代みたいなもの。それでも当時から人類の存続がかかるAI脅威論の本質は変わっていないと思わせられる。ただ、著者は専門家ではなくテレビプロデューサーであるせいか、本書も仮定の話が多く、今ひとつ説得力に欠けるように感じた。一方、10年たって超知能が本当に目の前に迫ってきた切迫感があるせいか、最近慌てて政府や国際機関がAIの脅威に対応しようとしてるように見えるけど、もう引き返せるポイントはとうに過ぎてしまったんじゃないかな。いずれにしろ大変興味深い時代だと思う。
『ガメ・オベールの日本語練習帳』
ジェームズ・フィッツロイ著、青土社 2021年2月発行
半月ほど前、たまたま有料のnote記事2本を読んで、なんとすごい書き手がいるのだと驚いて著書を買った。著者はニュージーランド人。もともとブログに掲載されていた記事をセレクトしたのが本書。たしかに文体はブログっぽい。そしてむちゃくちゃ面白い。こういうのは決してAIには書けない。テーマは、日本、日本語、東京、友人、文学、戦争、貧困、音楽など多岐にわたる。
今のブログはここで読めます。
ガメ・オベールの日本語練習帳 ver.8
https://james1983.com/
本書のあとがき:
日本語の本を出すということ – ガメ・オベールの日本語練習帳 ver.8
https://james1983.com/2020/12/03/nihongo_rennshuuchou/
読書が捗らない本好き。フリーランスと無職の狭間。オカメインコとセキセイインコのお世話係。好きなもの:本、web小説、生成AI
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