そうか、今日が誕生日。
>Xユーザーの日本モーリス・ラヴェル友の会 Amis de Maurice Ravel au Japonさん: 「8月22日はクロード・ドビュッシーの誕生日🎂 (中の人)が大切に使ってますドビュッシーの顔が彫られたカラフルなペーパーウェイト(ガラス製)🌈 https://t.co/X57tCgMxiW」 / X
https://twitter.com/AmisRavelJapon/status/1693874979526652390
こちらはずっと「ジンボー」だとばかり思い込んでいたから、実は「ジャンボ」だったと知ってちょっとショックを受けているw。
Xユーザーの日本モーリス・ラヴェル友の会 Amis de Maurice Ravel au Japonさん: 「最近入手しましたドビュッシー《子供の領分》の古楽譜。表紙はドビュッシー自身がデザインしたそうですが、中の象も可愛いです🐘❤️ https://t.co/2GOdUt0HF8」 / X
https://twitter.com/AmisRavelJapon/status/1692505935858856034
「承前)ドビュッシー《子供の領分》2曲目「象の子守歌」"Jimbo's Lullaby"のタイトルは現行デュラン社楽譜(2012年生誕150年の原典版より)でタイトルが"Jumbo's Lullaby"に修正されました。 画像 1. デュラン社 2. 安川加壽子校訂 3. ヘンレ社校訂 4. カプレ編曲の管弦楽版→ここでまずスペル修正 https://t.co/IkXtSaxjNb」 / X
https://twitter.com/AmisRavelJapon/status/1692519601836568987
で、「黒猫」でググってエドガー・アラン・ポーがヒットしたんで、「ポーの『黒猫』で書かれたクラシックの作品って無いのかな」と思って探したらこんな記事が。
ポーの作品を音楽化した作品はポツポツあるけれど、「黒猫」は今のところないみたい。
>音楽になったエドガー・ポー | ピアニスト・文筆家 青柳いづみこオフィシャルサイト
合掌。
>ヒラサ・オフィス on X: "【訃報】弊社所属の指揮者 飯守泰次郎は、8月15日午前7時16分に急性心不全のため永眠いたしました。享年82歳。故人が生前賜りましたご厚情に深く感謝いたしますとともに謹んでお知らせ申し上げます。 https://t.co/xsY8640Pxd https://t.co/kyt2V9tfyX" / X
https://twitter.com/hirasaoffice06/status/1691725373040714189
ベートーヴェン:交響曲第7番(9管楽器編曲版)ト長調
ウィーン管楽協会アンサンブル
一応ベートーヴェンが「監修」したものではあるらしい。当時は今の様に録音などなかったから、こういうアレンジで少しでも演奏機会を増やすという意味合いもあったらしい。
問題は何でこれが「イ長調」から「ト長調」に移調されたのかが良くわからない。ヘ長調とかであればクラリネットやホルンの様な移調楽器を意識したと言えるのだが、同じシャープ系の調であるイ長調からト長調だとそういう話ではない筈。あるいは音高を少し下げて演奏しやすくする意図か。
ともあれ、普段イ長調で聞き慣れたイメージが強くあるだけに、1音低いだけで随分と違和感が出てしまう。これほどまでにイ長調のイメージがこびりついているのだとは、この録音を聴くまで意識しなかった。
とは言え、これもベートーヴェンが世に普及していく過程で生み出されたものの1つであることには変わりはない。ちょっと珍しいものを聴いた。
ベルリオーズ:レクイエム
シュトゥットガルトSWR放送管弦楽団、ロジャー・ノリントン(指揮)他
昔新日フィルのこの曲の実演を聴いたことがあるが、流石にティンパニ10対と4群のブラスセクションが盛大に鳴る「Tuba mirum」は強烈だった。あれはいくら何でも録音に収まり切らないと言うか、それをそのまま自宅で鳴らすわけには行かないw。音量を下げ気味にして実際の音量を思い出しながら聴く感じだ。
そのくらいベルリオーズが「最後の審判」に恐怖心を抱いていたのだろうが、それにしてもティンパニ10対も同時に鳴らそうなどということをやらかしたのは後にも先にも彼だけだ。因みに1830年に初演された「幻想交響曲」ではティンパニを「たった」4台同時に鳴らす程度で済ませている。
作品番号はこちらの方が若いが「レクイエム」が初演されたのは「幻想交響曲」の7年後。それでもベートーヴェンの没後10年しか経っていない。そんな時期にこんな作品が登場しているのは、どうも「オーパーツ」感が漂って仕方がない。
これはまた渋いところをw。
ブルックナー:交響曲第7番
ケルン・ギュルツェニヒ管/フランソワ=グザヴィエ・ロト
あのロトがブルックナーとなれば、これは多少なりとも従来とは違うアプローチで来るのは必定で、案の定の軽快なブルックナー。これはこれで悪くはないけれど、賛否は大きく割れそう。
特に偶数楽章にロトの強い特徴が出ている。
前にパーヴォ・ヤルヴィがブルックナーについて、1つのイメージですべての交響曲を共通して捕らえるアプローチに異を唱えていたけれど、そういう意見に賛同できる人はこういう演奏にも肯定的に向き合えるのではなかろうか。
そういう当時の環境を考えると、クララ・シューマンが当時の音楽界で一世を風靡したのは凄いことだったんだけれど、その彼女でさえ作曲の方では夫に比べて大幅に少ない作品数しか残せていないんだよね。彼女が演奏旅行に忙しかった面もあるとは言え。
ちゃんと「牛ヒレ肉のロッシーニ風」を食しているところがポイント高いなw。
この頃のスコアって何気に美術的にも綺麗だったりするんだよね。
>日本モーリス・ラヴェル友の会 Amis de Maurice Ravel au JaponさんはTwitterを使っています: 「再掲)モーリス・ラヴェルの歌劇《子供と魔法》のヴォーカル・スコア(デュラン社刊)の現行版(左)と1925年初版(右)の表紙。絵本作家アンドレ・エレによるイラストの配色が若干異なり、現行版はオフセット、初版はリトグラフと印刷形式も異なります。 https://t.co/WHkkuHFupT」 / Twitter
https://twitter.com/AmisRavelJapon/status/1681804653695205376
twitterでも書いた内容をBTs>毎日の記事の有料部分は読めていないので、ツイート内にダイジェストされた部分だけで判断するしかないけれど、結局「誰に対して届かせる意図で評論を書くのか」「評論を読もうと考える層はどの様な人なのか」という辺りをどう考えるかでスタンスが変わると思う。
正直なところ、音楽「史」を極めたいならそれこそ史学的アプローチを精緻化していく方向に行かざるを得ないし、個人的にはそういう方向に強い関心があるけれど、そういう方向をむしろ敬遠する向きも少なからずいると感じている。
そういう中で、音楽「市場」の今後を考えた時にどの様なスタンスで臨むべきかはなかなか答えが出ない問いだと思う。少なくとも既存メディアが撤退せざるを得ない状況に追い込まれているのが現実なので、今までの方法が通用しなくなっているのは確かだが、代わりの方向はやはり見えていない。
あらっ、アンドレ・ワッツ亡くなったのか。R.I.P.
NHK交響楽団 NHK Symphony Orchestra, TokyoさんはTwitterを使っています: 「#アンドレ・ワッツ 氏はN響定期に4度登場し、ラフマニノフ《第2番》、ブラームス《第2番》など王道の協奏曲でその至芸を披露しました。 [写真]1994年の初共演でメンデルスゾーン《ピアノ協奏曲第1番》の独奏を務めるワッツ氏(1994年9月。指揮:P.スタインバーグ) 心より哀悼の意を表します。 https://t.co/Dwnr9bsdgk」 / Twitter
https://twitter.com/NHKSO_Tokyo/status/1680373557547913217
合掌。
>NHK交響楽団 NHK Symphony Orchestra, TokyoさんはTwitterを使っています: 「NHK交響楽団の正指揮者、#外山雄三 氏が7月11日に逝去されました。享年92。 https://t.co/U4DDAjSkUm 今年1月に行われた「第70回尾高賞」の選考会では、N響高輪演奏所まで足をお運び下さり、元気なお姿を見せくださっていたのですが…… https://t.co/5oep3qtouF」 / Twitter
https://twitter.com/NHKSO_Tokyo/status/1679402403408539648
リンク先の解説にもある通り、シェーファーの「アマデウス」で世間に広まったサリエリのイメージは、元はサリエリ晩年の頃に流された根拠のない噂話。それをプーシキンが「モーツァルトとサリエリ」という戯曲にしたのが定着し、シェーファーのはそのイメージをベースにあの様な戯曲に作り上げたもの。シューベルトは師匠であったサリエリを称える歌を書いているし、飽くまでも一部の反サリエリ派の作ったイメージに過ぎない。
もっとも、サリエリがこのレクイエムを書いたのは1804年。自身の言わば「終活」として書いたとのことだが、その後20年以上の余生を送ることになったにも拘わらず既にオペラ作曲家としては引退していたということから見て、サリエリ自身時代の変遷に自分の音楽が「古い」ものになっていくことを自覚してたのかも知れないと思う。因みに、この1804年にベートーヴェンの「英雄」が書かれていて、サリエリも教えたことがある弟子たちが確実に次の世代の音楽を生み出し始めていたのは確か。(続く
#クラシック #imakiiteiru #NowListening #ClassicalMusic
>エルヴェ・ニケ/「二つのレクイエム」~サリエリとモーツァルト
https://tower.jp/item/5558853/「二つのレクイエム」~サリエリとモーツァルト
去年も夏場にこんなツイートしてた。よそさまにお勧めするのにこの時はNMLへのリンクを出したけれど、自分は随分と前にCDで買って持っている。他にも事ある毎にこの録音をお勧めしたツイートがいくつか残っている。
…っていうくらい、夏場のクソ暑い時には決まってこの録音を引っ張り出して聴いている。バーバーの「サマー・ミュージック」。
#クラシック #imakiiteiru #NowListening #ClassicalMusic
>kanageohis1964さんはTwitterを使っています: 「夏場のうだる様な暑さの中で毎年必ず引っ張り出すのが、このアルバム。バーバーの「サマー・ミュージック」は本当にこういう日に合う。>バーバー:夏の音楽/ジョリヴェ:セレナード/ヒンデミット:小室内音楽 https://t.co/rZFccyMZwf #nml」 / Twitter
https://twitter.com/kanageohis1964/status/1554385853916774400
Wikipediaによれば:https://ja.wikipedia.org/wiki/群馬音楽センター
「建設後半世紀を経過し、各部の老朽化が目立ち始めたことから、音楽ホールとしての機能を疑問視する意見もある。
高崎市では現在、群馬音楽センターの役割を継承する新たな施設として、栄町に高崎芸術劇場を建設した。
2019年9月の高崎芸術劇場オープン後も、廃止の予定は高崎市から発表されていない」
この辺の話には番組内で触れるのかな。
>新美の巨人たちさんはTwitterを使っています: 「【建物の構造をそのままデザインに】 #アントニン・レーモンド 「#群馬音楽センター」 日本のモダニズム建築を牽引した建築家が設計した音楽ホール。理想の公共建築と謳われた建物の魅力に #内田有紀 さんと迫ります。 7月15日(土)夜10時30分 テレビ東京系列にて放送🌈 #新美の巨人たち #渡辺いっけい https://t.co/Yx6Ebu4hcP」 / Twitter
https://twitter.com/binokyojintachi/status/1677671421978497025
なんと、「いらすとや」のこの素材の使い所があったとはw。ってか他に使いようがないよなw。
>神奈川フィルハーモニー管弦楽団さんはTwitterを使っています: 「忘れないうちに言っておきますが、今年の12/9横浜みなとみらいホールで「ティンパニ奏者がティンパニに突っ込む曲」生演奏です。首席奏者篠崎史門のソロで、前常任指揮者だった川瀬賢太郎さんの指揮、阪田知樹さんのソロでベートーヴェンのピアノ 協奏曲第6番も演奏します。 https://t.co/qDIDfb3iIT https://t.co/RIxzSezHAO」 / Twitter
https://twitter.com/kanagawaphil/status/1677095279789752320
本筋と関係ないけれど、
「どちらもメモといえばメモなのですが、この2つはブラームスとワーグナーくらいの違いがあります。」
#クラシック ファン以外にわかるかな、これww。
>プロジェクトノートとナレッジノートは分けて情報整理する | jMatsuzaki
https://jmatsuzaki.com/archives/27630
マーラーの誕生日に何故か「亡き子をしのぶ歌」を聴いてる。あまりお誕生日に相応しい曲じゃないけどまぁ、マーラーらしいともw。
委細はブログ「地誌のはざまに」を御覧ください。#江戸時代 の #相模国 の地誌・郷土史がメインです。
元twitter(ペケッター)には今でもフォロー・フォロワーのツイートを確認したりリアタイしに行ったりしていますが、現在はFedibirdの方がメインになっています。ブログの更新時のアナウンスにも使いますが、どちらかと言うとそれ以外の話題(クラシック音楽や社会問題など)が多めです。
朝方には気に入った野鳥や野生動物の写真をブーストしています。