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リンク先の解説にもある通り、シェーファーの「アマデウス」で世間に広まったサリエリのイメージは、元はサリエリ晩年の頃に流された根拠のない噂話。それをプーシキンが「モーツァルトとサリエリ」という戯曲にしたのが定着し、シェーファーのはそのイメージをベースにあの様な戯曲に作り上げたもの。シューベルトは師匠であったサリエリを称える歌を書いているし、飽くまでも一部の反サリエリ派の作ったイメージに過ぎない。

もっとも、サリエリがこのレクイエムを書いたのは1804年。自身の言わば「終活」として書いたとのことだが、その後20年以上の余生を送ることになったにも拘わらず既にオペラ作曲家としては引退していたということから見て、サリエリ自身時代の変遷に自分の音楽が「古い」ものになっていくことを自覚してたのかも知れないと思う。因みに、この1804年にベートーヴェンの「英雄」が書かれていて、サリエリも教えたことがある弟子たちが確実に次の世代の音楽を生み出し始めていたのは確か。(続く

>エルヴェ・ニケ/「二つのレクイエム」~サリエリとモーツァルト
tower.jp/item/5558853/「二つのレクイエ

続き)ともあれ、滅多に演奏されないサリエリの「レクイエム」を、こちらは未完成ながら演奏機会の多いモーツァルトのレクイエムを取り合わせた1枚。オペラ作曲家らしい表現を凝らしたレクイエムになっている。ニケの演奏は如何にも彼らしい、特にモーツァルトは「快速レクイエム」と言って良いテンポ設定。

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