戦争って色んな理由で起こると思っていたけど、結局いつも同じ理由で起こるんだな。ってか同じ理屈を「餌」に起こされると言うべきか。
自分や自分の所属する団体が、他より優れていて特権を持つべきだという「餌」。
イスラエルとパレスチナなんて私たち日本人には別にどっちが上でどっちが下なんてなくて同じに見える。
もちろん、日本と中国や韓国も他所から見れば、さらに見分けがつかないし、もちろん優劣なんてなくて同等だ。なのにカジュアルに他のアジア人を下に見ている日本人がいかに多いことか。それが戦争の入り口だとも意識せずに。
女性差別は最もおいしい「餌」だ。日本会議がまずやったことが、夫婦別姓の阻止と従軍慰安婦に関する歴史修正なことを考えれば明らか。
おばあちゃんは従軍看護婦として南京に行っていたんだけど、私が小学生の頃に南京の話をしてくれた。
誰が何と言おうと日本兵が本当に酷いことをしてきたのをあたしゃこの目で見てきたと言っていた。日本刀振りかざしてクーニャンを出せクーニャンを出せと言って、中国の人たちがアイゴーアイゴーと涙を流していたと語ってくれた。
それからおばあちゃんは中国で捕虜となり、向こうのお金持ちのお屋敷でベビーシッターなどをしていたらしい。なんとか日本に帰ってきたあと、自分の意思でカトリックの洗礼を受けたのは赦しを得たかったからだと思う。
まず「安全」が担保されていないのが、マイナンバーカード制度の最大の問題。そこを指摘しなければならない。
イスラエル、国連職員へのビザ発行停止 事務総長の批判に対抗 - CNN国際ニュース
https://www.cnn.co.jp/world/35210734.html?ref=rss
福島第一原発で作業員が汚染水を浴びる事故が起きた。
https://www.fct.co.jp/news/area_news_3473
10月25日午前11時10分ごろ、汚染水から放射性物質を除去する施設で配管の洗浄中にホースが外れ、汚染水などが飛散。飛散した水の量は約100ミリリットル。外部への漏洩はないと説明。
男性作業員5人に放射性物質が付着。5人とも全面マスクと全身の防護服を着用していた。うち2人は身体の表面の放射線量が規定値より下がらず、現在も放射性物質のふき取り作業。内部被ばくはなし、としている。身体表面の放射線量が下がらなければ医療機関行き。
感想:液体の状態の汚染水を作業員が浴びることは想定外だったのだろうか。深刻な事態でないことを祈る。
https://fedibird.com/@Crowm69/111295686983828127 [参照]
自分の性別・あり方を社会と他者から"許可"されなきゃならない世界おかしすぎないか。
俺が何者であるかを"許可"されるためにルールに従わなきゃならないのおかしすぎないか。
イスラエルはもう「あからさまな戦争犯罪とジェノサイドを欧米指導者たちが看過あるいは幇助している」という現実を隠しようもなくなっているが、どうするんだろうなあ。
確かに成立自体がヨーロッパ史の恥部の集大成みたいなものだし批判もしづらいのではあろうが、ここで批判できないようでは他の全ての人権や国際秩序についての主張も言葉の価値を失ってしまうぞ。
辛ラーメン。ラーメンを入れずにまずは鍋スープとして肉や野菜、豆腐等を食し、最後に〆としてラーメンをおもむろに投入するというのを冬のおうち一人飯でやっている。
「祖先がホロコーストを経験したユダヤ人として、(イスラエルの)ネタニヤフ首相やガラント国防相が『闇の子どもたち』『人間のような動物』といった言葉でパレスチナ人を形容するのを聞くと、骨身に染みるように感じる」
「その言葉が行き着く先を私たちはよく知っている。彼らが明らかに意図しているジェノサイド(集団殺害)を阻止するために、私たちはここにいる」
ユダヤ人団体が全米で抗議デモ、即時停戦とパレスチナ人の公正訴え(2/2) - CNN.co.jp https://www.cnn.co.jp/usa/35210640-2.html
人権団体アムネスティはガザ地区での「強制移動」を指摘する。
これは国際法(ジェノサイド条約)が厳しく禁止する行為だ。 ガザ地区の占領はアパルトヘイト。強制移動はジェノサイド。ただちに停戦と人道支援を。
どのように真理が構想されるにせよ、同じく真理を探求してい中間対話者たちがバラバラな背景や理論的前提を示してくるような厳密な哲学的な精査の生き残りにさらされて、自分たちの諸理論が真であるという我々の確信はさらに増していく。このようにして、真理をもとめて哲学的探求にかかわることは、新たな中間対話者たちをその会話のなかに引き入れる必要性を含意している。[実際、インドの伝統では歴史的に、哲学的対話においてつねに新しい対論者を組み入れ、そこから真なる見解(定説)を導くという形でこれを行ってきた。伝統の停滞期やスコラ主義の到来は、こうした中間対話者がいなくなると同時に起こったことは間違いない]
以上が、本書で支持されるインド哲学に対する中間対話的アプローチである(イントロダクションp26)
#インド哲学入門
ご飯を作ったり山に登ったり、ときたま本を読む。月1回程度、直接のやり取りがない方のFFリストを見直します。