鶏むね肉にチーズを挟んで揚げたものをゴルドンブルーというらしいが、なぜ?

新年を迎える準備だろうか。切り口が清々しい

アリストテレスの「修辞学」は、とりわけ、立証の、推論の、近似的三段論法(エンテューメーマ)の修辞学である。それは、意識的に程度を落し、《公衆》の、つまり、常識の、世論のレベルに適用された論理学である。

その大衆文化では、アリストテレス的な《真実らしいこと》、つまり、《公衆が可能だと思うこと》が支配しているのである。なんと多くの映画、新聞小説、商業的ルポルタージュがアリストテレス的規則をモットーとしていることだろう。《真実らしくない可能なことより、可能でない真実らしいことを》。現実に可能なことでも、世論という集団的検闇によって拒否されるならば、それを語るよりは、たとえ科学的に不可能であっても、公衆が可能だと思うことを語った方がいいのである。

このような大衆修辞学をアリストテレスの政治学と対比するのは確かに魅力的な試みだ。それは、周知のように、中産階級を主体とする均衡のとれた民主政治に都合がよく、金持と貧乏人、多数派と少数派の敵対を減少させる任務を帯びた中庸主義の政治学であった。そこから、意識的に公衆の心理に従う良識の修辞学が生れたのである。(『旧修辞学』ロラン・バルト、みすず書房p28)

兵庫県知事選挙をどう分析するか。こんなところにヒントがあった。

地元映画館で「」みてきた。
エンタメだけど笑える。そしてこの映画を完成させた監督こそサムライだ!

samutai.net/

市の社会福祉協議会の「市民後見人入門講座」に参加してきた。制度の理念、これまでの制度の変遷などの理解ができ、実際に発動されている市民後見人の方々の事例発表もとても勉強になった。

驚いたのは質疑応答で「**は市民後見人の活動範囲ではないだろう」とか「利用者数が少ないので、こんな制度は意味がない」とか、実情も知らないで自分の意見を延々と質疑応答する参加者がいたこと。運営者が回答しても、言われたことさえ理解できていない。

「わがこととして『権利擁護』を理解する」のは難しいのだなと。もしかしたら、他人の権利に鈍感なのは、こういうところでもあからさまになるのだなあ。

いやしかし、連合芳野の戯言はともかくとして、衆院選挙前のスクープがなかったら、これだけ自民の議席を減らせなかっただろう。
いま考えている。
# 赤旗電子版

障害のある子どもと、期日前投票に行ってきた。彼は投票所で書くのは難しいので、代筆投票をお願いした

さんに紹介していただいた『壁の向こうの住民たち〜アメリカの右派を覆う怒りと嘆き』(A.R.ホックシールド、布施由紀子訳、岩波書店)読了。
ルイジアナ州の右派(ティーパーティー)支持者へのインタビューを通じて、米国の社会分断の現状と、その分断を乗り越えるための希望を模索した良書。

本書を読んで驚いたのは、ルイジアナ州における化学工場の環境汚染。ルイジアナにおける企業の行動は、水俣におけるチッソと瓜二つだということ。またそれはフクシマにおける東電、横田基地のPFASと同じく「責任転嫁と事実の矮小化」でしかないと痛感した。

「良質な物語」が社会から失われてきたことが社会分断を生み出してきたのだと改めて感じた。いま私が問題だと思うのはSNS環境における言論の陳腐化。ここにAIが加わるとさらに取り返しのつかないところまで行ってしまうという危機感を持っている。

『霧のコミューン』(今福龍太、みすず書房)に、この問題意識につながる数々の言葉があったので、こちらも合わせて読み進め、思考を続けていきたい。

14日〜16日まで、息子が親知らずの抜歯のために入院して、その付き添いをしていた。昨日無事退院し、経過も良好。

入院中、結構しっかりとした読書ができたので良かった😁

ChromebookのGmailAndroidアプリの表示。なんでスマホが縦でタブレットが風景なの?

知的障害のある息子と期日前投票に行ってきた。投票所で記名するのが難しい息子の投票は代筆を依頼した。

誰に?って決まってる。神宮の杜は守るべき。

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