平野啓一郎さんが提唱している「分人」の総体が「群人」のイメージです。
https://dividualism.k-hirano.com/?doing_wp_cron=1728808215.6164159774780273437500
@yoshiomiyake@kmiura@toot.blue
尊厳死の問題はカネの問題ではありません。尊厳死を認めたとしても、それが直接社会保障費の削減につながるはずがありません。もしそうなるとしたら、尊厳死の名目で社会的強制が起きていると考えるべきです。映画「PLAN75」で鮮やかに描かれた通りに。
尊厳死の問題を考えるときに宗教を取り上げざるを得ません。いまいろいろ本を読み漁っていますが、西洋的「個人」ではなく、東洋的「群人」(わたしの思いつきです。共同体と分離不可分な個人を想定しています)が死をどう捉えるかによって異なると感じています。文章にまとめられればいいのですか・・・
@ryoko_ando 「のちに詳しく論じることにするが、有限にして特殊なる人間結合組織を絶対視する傾向は、おのずから普遍的なる人間の理法を無視する傾向にはしりやすい。すなわち、いかなるとき、いかなる所においても人間の遵守すべき法の存することを無視して、自己の所属する人間結合組織の現在の状況にとって好適であるか不適であるかということが、そのまま善悪決定の基準となってしまうのである。」
(『日本人の思惟方法<普及版>』中村元、春秋社p95)
この「人間結合組織」は、
「ここで人間結合組織というのは、英語でいえば human nexus である。人倫的組織といってもよい。」(同p117)と中村博士は説明されていますが、まあ今の言葉では「ムラ」と呼ぶべきことですね。
@ryoko_ando ホックシールドは未読なので取り寄せて読んでみたいと思います。
安東さんのいわれる「良質な物語」は、これまで宗教が提供してきたものだと思うのですが、近代以降科学が宗教の位置に就くようになってから徐々に弱体化してきたのだと感じます。
ここ数週間、中村元の仏教関係の本を集中して読んでいて、インド発祥の(原始)仏教が中国、そして日本と伝わって来る間にまったく別の「物語」を伝えてしまっていることに、日本人の物事の受け入れ方の特性と弱点を痛感します。
@yoshiomiyake 三宅さんの後の投稿でも触れられているアリストテレスの勉強会で『霊魂論』について学んでいるところですが、この「優生思想」ですが、その実態は「科学の皮を被った選別排除思想」でしかありません。「選別と排除」という意味では新自由主義そのものですし、「こころ」の問題としても、そこに「脳」という器質を知ることでわかるという乱暴な議論ばかりです。
選別と排除が生物としてのヒトに与える影響と、社会的存在として人間がどう生きるかという問題がゴチャゴチャに議論されていると私は思います。
@mikanshibano アリは酢の匂いが嫌いだそうです。クエン酸水でもOKだとか。うちもそれで撃退しました😅
@mikanshibano テレビにストのときの委員長のインタビューがあって、労組トップにしては意外なほど雰囲気が「静まり返った」人だったので印象に残っています。
カニ坂フェスのF市の図書館には蔵書ありますよ😉
@mikanshibano まだ読んでいないのですが、この本と同じかも
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000393540
@kmiura なすをヘタ付きのまま煮干しと煮るのも絶品です。リンクのレシピはヘタを落としてあるけれど、ヘタから出しが出てウマいです。
@kmiura @ryoko_ando
カルト化する人としなかった人の違いですが、宗教学者島薗進さんの本などから推測するに「資質と環境要因が合致したときに引き起こされる」のではないかと思います。
資質面でいうと中庸より極端を好む人。これは極論すると他者との合意形成が苦手な唯我独尊的性質の持ち主が該当すると思います。
また環境面では、「カルトは一人では完成しない」ので、主導的タイプと付和雷同タイプが出会ってしまうと、どこでも発生する可能性があると思います。
ナチズムや統一協会など、カルトの危険性についてもっと自覚的であるべきですね。
@mikanshibano チロリをいれる燗銅鼓(かんどうこ)ですか?
そういえば、きのう関西倫理学会の『倫理学研究』第54号と寄稿した書評の抜刷が送られてきた。書店でも手に入るけど8月ぐらいまでにはJ-STAGEで無料で公開されると思うので、よければお読みください。Mastodonで連投してきたことと読み比べるといいかも。
ご飯を作ったり山に登ったり、ときたま本を読む。月1回程度、直接のやり取りがない方のFFリストを見直します。