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「2023年やりたいこと」としてあげていた項目のうち、
・現在の環境からの脱出(異動or転職)
・お金のことに向き合う
・旅をする
・本を読む
・小説を書く
この5つはまあ達成と言ってよいと思う。
本は大して読めてないけど、去年・一昨年に比べたら読んだという感覚があるし、水面下では作文もしていたので…

旅行も、奈良・瀬戸内・上高地・福岡・富山とけっこう遠出できたんじゃないかと思う。地方の美術館にもいろいろ行けた。
来年は海外にも行けたらいいですが…韓国とか英国とか…

文字通り二転三転しつつ、なんとか転職も果たした…直近が超短期離職すぎてなかなか言えなかったんですが、今月21日から新たな職場で働きはじめており、ひとまずは「何とかなった」状態で年を越せそうです。
ご心配をおかけしました…

で、「2024年やりたいこと」です。

・日記を書く(オンでもオフでも)
・TOEIC受検
・簿記2級取得
・部屋の片付け
(ここまで2023年の積み残し)
・旅をする
・本を読む
・小説を書く
(オールタイム)

あと来年は東京ビッグサイト開催の文フリ合わせで作りたい本があり、年が明けたらご協力をお願いすると思います…!

"Culture Against Apartheidは、パレスチナの大量虐殺と民族浄化を止め、この問題の根幹にある、あらゆるレイシズム、性差別、抑圧、アパルトヘイト体制に抗する『文化』をつくる試みです。"
cultureagainstapartheid.jp/

【Culture Against Apartheid /アパルトヘイトに抗する文化】に賛同しています。
「作家」と名乗って署名していますが、私は社会的には圧倒的に「会社員」でいる割合のほうが多い、ただ書くことが好きで作文をしてそれを好き勝手に発表している、というだけの一市民です。賛同する気持ちがあるかたにはどなたでも、輪に加わっていただけたらと思います。

声明文にもあるように、表現や芸術、文化とは「あらゆるレイシズム、性差別、抑圧、アパルトヘイト体制に抗する」力をもつもの、もつものであってほしい、という気持ちが強くあります。

パレスチナ、そしてすべての土地において即時かつ恒久的な破壊と暴力の停止を望んでいます。

恋愛がしたいA-specが登場する恋愛ものを書きたい。相手はデミセクシュアルとかでどうだろうか。

Aro/Aceという状態は必ずしも「恋愛したくない」とイコールではないのでは?ということを最近考えていて…なんか「恋愛に興味がなく、淡白」とは少し違うあり方もある、という話をしたい。「恋愛に興味がない」はいわゆるヘテロセクシュアルの人たちにも多く共有されている感覚なので(なんなら常に恋愛のパートナーが途切れず、恋愛の話が好きな人でも「恋愛に興味ない」と言っていることは珍しくない)このへんがいちばん誤解されてる気がする。
もちろん「恋愛したくない」「恋愛に興味がない」A-specもたぶんたくさんいる、たくさんいるが全員ではないはず、という話です。

そもそも「できない」「わからない」ことと「したくない」はイコールではないじゃないですか…
やろうとしても「できない」し、そもそもあんまりよく「わからない」けど(あるいはだからこそ)「したい」と感じること、恋愛に限らずあるでしょ…

二次創作は「自己箱庭療法みたいなもの」という言及を旧ツイッターで見かけて、このあたりのスタンスはめちゃくちゃ個人差があるのですべての二次創作をそのように括ることはもちろんできないけれど、私の場合はドンピシャ当てはまってしまう。
私が、二次創作をあんまり大っぴらにしたくないし、しないほうがいいような気がずっとしているのはまさに「箱庭療法」だからなんだよね…
安全性が低いオープンな場所でやらないほうがいいじゃんそんなの…

このへんはオリジナルの創作と二次創作のあいだに感覚の差がない人にはわかりにくいかもしれない。
「お前の二次創作だって、読むぶんにはオリジナルとそんなに違わないよ」と言われてしまうかもだけど、書いてる本人の意識の話なのでいかんともしがたい。

ただ会員制サイトにでもしないかぎりインターネットはクローズドで安全な場ではありえないし、自己箱庭療法で作ってようがなんだろうが創作として公開の場に出す以上、一定の責任は生じる、そこからは逃れられない、というのもそれはそうなので、PixivよりはAO3みたいな運用のほうが場としては健全なのかな、とも感じています。

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これはルールをどうすべきとかじゃなくて私の個人的な感覚の話ですが、二次創作において、性愛関係を前提としていないお気に入りのカップルでも私の場合は明確に「攻」と「受」がある。単純なセックスポジションの話ではないんだよね…。
で、それは自分のなかではあんまり無視したくない。

なんならセックスポジションでは「受」と呼ばれる被挿入側にまわっていようが、私のなかでは「攻」である場合すらある。
私は今まで自分は「リバOK」だと思っていたけど、それは自分のなかの「攻」「受」をひっくり返せるということではなくて、「攻」が挿入されて「受」が挿入している、という事態が、私のなかでは矛盾しない、ということだったんだ…と突然気づきました。

たぶんセックスポジションじゃない部分で攻受を判定していて、かつ、それがかなり重要なんだと思う。
だからたとえ性愛がないカップリング二次創作であっても、「攻」「受」を譲れない…という気持ちは私は実はよくわかるし、あまり否定されると地味につらいものがある。「攻」「受」を単純な男女ジェンダーの模倣や反映とも思っていないし(そのように見える二次創作が多いことは認識しています)。

それはそれとして、他者に「マナー」として作品のタグ付けを強要するのはダメだよねとももちろん思う。

(以外ネタバレです)


かなり淡々としょうもないおじさんたちのしょうもない日常が描写されていき、派手な出来事も起こらないまま進んでいたので、一幕の終わりごろに悪魔が出てきたときにはびっくりしました。

ポーカーで負けて諦めたというのもあるけど、シャーキーはもう悪魔に連れて行かれたかったんじゃないかな…
日々の生活だってぜんぜんうまくいっていないから。

でも結局、エースのフォーカードというものすごい手をリチャードが決めて、まさにクリスマスの奇跡で、プレゼントなんだけど、そういうものすごい幸運によってもたらされるのは「生活の続き」なんだな…としみじみ思ってしまった。
散らかった家で、しょうもないしがらみの中で生活をやっていくしかない。
まずお湯をわかすところから。

でも「破滅が来ない」ということこそが最大の恩寵なのかもしれない。

悪魔が音楽を嫌うのが面白いな〜と感じました。

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週末にPARCO劇場で『海をゆく者』を観ました。
プレイガイドではチケットがほぼ売り切れてしまっていたんだけど、電話で当日券を受け付けていたのでかけてみたら取れた(しかもめったに取れないような観やすい席だった)
stage.parco.jp/program/seafare

しょうもない中年男性たちがしょうもなく酒を飲みつづけていて、個人的には怒鳴り声や物を投げるなどの挙動がしんどくなる瞬間もあったのですが、クリスマスに奇跡が起きるやさしい話でした。

とにかく冒頭からリチャードの不潔さが強調されるし、リチャード以外の登場人物も飲みかけのお茶を床にそのまま捨てたりして、彼らが生活している部屋もあまり清潔ではなさそう。
シャーキーがまめまめしく片付けようとしていたけど、シャーキー自身が誰よりもひどい癇癪を起こしてめちゃくちゃにしてしまうし…

とびきりの奇跡が起きても今日は昨日の続きで、ろくでもない境遇が劇的に変わったりはしないので、やっていくしかないんだよなあ。
小日向文世さんのロックハートがすごく良かったです。

こちらの署名に賛同しました。
change.org/p/ceasefirenow-ガザ地区

都内のあちこちで行われていたアクションに行けなかったので、せめてここで、即時かつ恒久的な破壊と暴力の停止を望んでいることを表明しておきます。
(写真のブックカバーは、オカワダアキナさん作成のものを使わせてもらっています →x.com/okwdznr/status/173062686





Lilyさん主催の「ナショナル・シアター・ライブ(NTLive)10周年記念企画 Advent Calendar 2023」の12月9日を担当しました!
COVID-19で娯楽が潰れまくる中、NT at Homeに支えられた思い出話をしています。『フランケンシュタイン』『欲望という名の電車』『コリオレイナス』の話題が多めです。
hempandwillowinpain.blogspot.c

アドベントカレンダーはこちらです。
みなさまのNTL体験に嫉妬が止まらない…私も初年度からリアタイしたかったです…!
adventar.org/calendars/8757

今回投稿した記事のなかでも言及していますが、2020年に「文芸アドベントカレンダー」に参加した際にも無理やり『コリオレイナス』の話をしているので、記事を再掲しました。あわせてお読みいただけるとうれしいです。
hempandwillowinpain.blogspot.c

著作権が切れた『わが闘争』、どうやっても内容が出回ることは避けがたいので詳細な注釈を付けて復刊した、というのは以前にNHKのドキュメンタリーで観たことがあって、こういう話題のときはいちばんに思い出す。
明らかに有害な書籍をそれでも刊行するのなら、注釈は必須だと思う。
x.com/vasco_1970/status/173219

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言論の自由というなら、大手版元から差別的な書籍が一冊公刊されることによってどれだけの人が口を噤まざるを得なくなるか、「出版」という力を持たない人たちの言論の自由を守りきれるのか、ということも考えてほしい。
あたりまえのことだが、そうした責任まで含めての言論の自由・出版の自由であり、自律なしの自由はありえないと思う。

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角川の翻訳書の刊行中止はきわめてまっとうな対応であり、「焚書」という言葉を使っての抗議には違和感しかない。出版の自由、言論の自由、表現の自由と「差別する自由」はイコールではない。
出版に関わる人間がこの程度のこともわからなくなったらほんとうにおしまいだよ。
豊崎由美がおそらくは刊行中止の要求を指して「一部の過激な人々のせいで、トランスジェンダーの方々のための運動が奇異な目で見られませんように。運動内部でこういう過激なバカのコントロールができるようになりますように」とツイートしているけど、自律すべきは出版業界のほうだよ、と強く思う。
すでに指摘があるとおり角川のお詫びと説明も不十分なので、キャッチコピーやタイトルのみならず当該書籍の内容の問題点がしっかり伝わるようなフォローがあるとよいと思います。
t.co/STpyo8vtQJ

自分のワードローブを把握しようと思ってInstagramで毎日の服装を記録しはじめたのですが、ついつい洋服以外のこともこまごま書いてしまってちょっとした日記になってきた。
日記的なことはここで書くつもりが、すっかりお留守になってしまいました。
最近は旧ツイッターでの滞在時間も増えているし、SNSの使い分けが難しいな。

友だちとごはんを食べたり、餃子パーティーをしたり(私はまじで食べるだけの係だった…)面接のついでに神田明神や湯島聖堂に寄ったり、どこにも所属していない日々を満喫しています。

それにしても今日は、曇りで寒かったことに加え、今後について決断したり考えしたりしなければいけないことがあってなんとなく憂鬱になっていたところに、チバユウスケの訃報でもう気持ちがめちゃくちゃになってしまった。
あっちゃん、HEATHと続いていたこともあってだいぶつらい気持ちになりました。夏にはakiくんの訃報もあった。
こればっかりは落ち込んでも仕方がないので、無理に元気を出そうとせず、あたたかくしてゆっくり寝ることにします。

あとまじで再会のチャンスがあるとしたらどっちかが死んだとき、みたいなことも実際あるんだけど、まあなんか、うん

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URLの貼り方を間違えたっぽくて無効なリンクになっているので、貼り直します。

この作品について「女どうしなんて所詮こんなものだ、異性と結婚して子を産むのが正解だ、と言われているようでしんどい」みたいなコメントを旧ツイッターで見かけたけど、うーん…
私は異性愛者じゃないし結婚もしていないけど、でも実感としてこの作品に描かれていることは「わかる」と思って、こういうことが描かれていることそのものに慰められてしまったんだよな。

ただそう思えるのは40歳を過ぎた今だから、というのはあるかもしれない。
繰り返すけど10代の頃は「女どうしが『成長』して結婚に引き裂かれる話はもういい」と思っていた気がする。それで『ロータス』を書いた気もする。
comic-days.com/episode/1407960

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そういえば若い頃はこういう「仲のよかった女の子と別れて、結婚して家庭を持つ女の子」の話が苦手だったかもしれない。
生きているとそういうふうに流れていくことが今はよくわかるから、痛いほど刺さるし、泣きながら読んだけど、青春をともにした相手とずっと一緒にいられないのはどうしてなんだ、という駄々っ子みたいな思いはなくならない。
異性どうしなら、幼なじみと結婚するという展開の物語もわりとある気がするから、やっぱり制度の問題なの?

「なぜあなたはのパートナーは異性なんですか?」と訊ねたくなってしまう瞬間がよくあって、とくに「恋愛や性愛に興味がない」「パートナーは親友/戦友/同志」みたいな話しかたをされると「それなら同性のひとでもいいのでは?異性のそのひとなのはなぜ?偶然?」と思わずにはいられないんだが、制度の影響もあるんだろうな。
comic-days.com/episode/1407960

今まで生きてきた中で最悪の年は2012年から2013年にかけてなのだが、ちょうど10年経ったからか2013年のことをよく思い出す。といっても、実はこの年のことはあまりよく覚えていない。ツイログを遡ってみても、概ね楽しそうにしていて、よくわからない。

半年足らずの短い期間ではあるが、生まれた家族以外の他人と暮らしていた唯一の期間が2013年だった。6月に生活をはじめて、11月に破綻し、12月に実家(いま暮らしている家)に戻った。
当時は周囲の人に片っ端からこの件を相談して励ましてもらった記憶があるが、最近はほとんどひとに話さなくなった。家族もこの話題にはふれない。

あのときに比べれば、と思う。あのときよりはつらくない。
でも10年前は職もあったし、作文もしていたし、同人誌も作っていたし、あっちゃんも生きていた。

最悪の年なのは揺るがないけれど、いま親しくしてくれている友だちの多くと知り合ったのは2013年だった気がするし、宝塚の公演に初めて連れて行ってもらったのも2013年で、そういう年でもあった。
とにかくターニングポイントなんだろうな、ということを強く感じている。ここを抜けたら少しマシになるだろうか。なってほしい。

『ゆけ、この広い広い大通りを』(孤伏澤つたゐ)を読みました。
二人の子を持つ専業主婦のまり、バイクが好きで音楽を生業にしている夢留、東京で働いていたフェミニストの清香が、まりを中心に「地元」でやわらかく繋がっていく。
話はこの三人を中心に進むけれど、三人だけでなく登場人物すべて(=この世界に生きる人間すべて)がそれぞれに生きづらさを抱えている。登場する人たちは基本的にみな思慮深く、やさしいのだけれど、だからこそ、やさしい人たちが善意に基づいて思慮を重ねても、どうしようもないことやすぐには解決できないこと(率先して男性育休を取る父親である環が、それでもまりにワンオペ育児を強いてしまう状況など)がたくさんあって、すごくシビアだなと感じた。
何も解決していないようだけれど、一方、まりは諦めていた夢留のソロライブに行くことができた。お花見とソロライブの場面は、ただ存在していることを祝福されているような気分で読んだ。
清香を通して書かれていた都会で働くことの難しさ、「女性がひとりで生活していくことが、どこにいても困難であること」の一文に勝手に励まされる思いでした。

愚痴です。

人生初・明日から来なくていいよの退職だったのだが、書類上は昨日まで会社に在籍していて(欠勤扱いにされていた)退職に際して必要な書類に私が記入しなければならない箇所があり、それについて口頭で説明したいので、電話をかけてこいと指示されていた。ので、その通りにした。

よほど複雑なのかと思えばそんなことはなく、こんなことわざわざ電話させなくても、書面での説明でじゅうぶん、というようなことだった。説明しながら、人事の社員がやたら不自然に間をとるので、「わかりました、それで?」といちいち促しながら聞いたのだが、あれはもしかしたら、通話しながら指示どおりのことを私にその場で記入させるための間だったのかもしれない。幼児扱いしてるのか?というぐらい、一挙手一投足をコントロールしたがる会社だった。こわい。
そのわりに人事が送ってきた書類は、私の住所の欄に他人の住所が記載されていて、あまりに派手なミスに脱力した。

やっぱり辞めて正解だったのだと思う。

おとといまではめちゃくちゃに落ち込んでいたが、少しずつ落ち着いてきて、前向きに休む気持ちになってきた。
テトリスなどして過ごしています。

「11/19シャボン玉飛ばす会」に参加するために都心の公園に向かった。
絶好のピクニック日和なのに、私はものすごく落ち込んでいた。寒暖差や体調の周期などの要因もあると思うのだが、それにしても自分でも心配になるくらいの落ち込みで、はじめましての人々ばかりのところに単身乗りこんで大丈夫なのか…という不安もありつつ、シャボン玉とレジャーシートとお茶とおやつを持って出かけた。

都心は人が多くてつらかったが、公園は気持ちよかった。
その場にいる人となんとなく目を合わせ、笑いあい、軽く言葉を交わしながらシャボン玉を飛ばした。子どもの頃以来のシャボン玉は楽しかった。何かを強いられることのない、オープンな空間だったと思う。

ひとしきりシャボン玉を飛ばして、そこから豊洲PITへ移動した。
生きるのがつらすぎてもう無理、という瞬間を何度となくあっちゃんの歌に助けてもらって、ありがとうございました、という気持ちでメッセージを書いてきたんだけど、今もけっこうつらいのにあっちゃんはいなくなっちゃったんだなあ。
COVID-19の流行以来、はじめてライヴハウスに入った気がする。
新豊洲と豊洲のあいだを歩きながら、5年前の11月に豊洲PITでBUCK-TICKを観た、その行き帰りのことをずっと思い出していた。

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