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『ゆけ、この広い広い大通りを』(孤伏澤つたゐ)を読みました。
二人の子を持つ専業主婦のまり、バイクが好きで音楽を生業にしている夢留、東京で働いていたフェミニストの清香が、まりを中心に「地元」でやわらかく繋がっていく。
話はこの三人を中心に進むけれど、三人だけでなく登場人物すべて(=この世界に生きる人間すべて)がそれぞれに生きづらさを抱えている。登場する人たちは基本的にみな思慮深く、やさしいのだけれど、だからこそ、やさしい人たちが善意に基づいて思慮を重ねても、どうしようもないことやすぐには解決できないこと(率先して男性育休を取る父親である環が、それでもまりにワンオペ育児を強いてしまう状況など)がたくさんあって、すごくシビアだなと感じた。
何も解決していないようだけれど、一方、まりは諦めていた夢留のソロライブに行くことができた。お花見とソロライブの場面は、ただ存在していることを祝福されているような気分で読んだ。
清香を通して書かれていた都会で働くことの難しさ、「女性がひとりで生活していくことが、どこにいても困難であること」の一文に勝手に励まされる思いでした。

麻子さんこんにちは。本を読んでくださってありがとうございます。
人々が自分の善性に従って生きてても、世界の構造によってその善性が報われないところとかはすごく考えながら書いていて、特に男性の立場って「働くこと」から降りることができないよね、というのが実は窮屈なのでは…とか。
書きながら、私自身が他者のしんどさに気づくような物語だったので、麻子さんに呼んでもらえて感想もらえたことがすごく嬉しいです☺️ありがとうございます😭

こんにちは。登場人物がみんな自らの善性に従おうとしているからこそ、明確な「悪役」をやっつければすべて解決、とはならない厳しさがあると感じて、そこがとても好きでした。環、清香のお母さん、カフェの経営をしている人たちなど、出番の少ない人たちにも自然と思いを寄せながら読みました。読めてよかったです。たいへん励まされました!

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