これはルールをどうすべきとかじゃなくて私の個人的な感覚の話ですが、二次創作において、性愛関係を前提としていないお気に入りのカップルでも私の場合は明確に「攻」と「受」がある。単純なセックスポジションの話ではないんだよね…。
で、それは自分のなかではあんまり無視したくない。
なんならセックスポジションでは「受」と呼ばれる被挿入側にまわっていようが、私のなかでは「攻」である場合すらある。
私は今まで自分は「リバOK」だと思っていたけど、それは自分のなかの「攻」「受」をひっくり返せるということではなくて、「攻」が挿入されて「受」が挿入している、という事態が、私のなかでは矛盾しない、ということだったんだ…と突然気づきました。
たぶんセックスポジションじゃない部分で攻受を判定していて、かつ、それがかなり重要なんだと思う。
だからたとえ性愛がないカップリング二次創作であっても、「攻」「受」を譲れない…という気持ちは私は実はよくわかるし、あまり否定されると地味につらいものがある。「攻」「受」を単純な男女ジェンダーの模倣や反映とも思っていないし(そのように見える二次創作が多いことは認識しています)。
それはそれとして、他者に「マナー」として作品のタグ付けを強要するのはダメだよねとももちろん思う。
二次創作は「自己箱庭療法みたいなもの」という言及を旧ツイッターで見かけて、このあたりのスタンスはめちゃくちゃ個人差があるのですべての二次創作をそのように括ることはもちろんできないけれど、私の場合はドンピシャ当てはまってしまう。
私が、二次創作をあんまり大っぴらにしたくないし、しないほうがいいような気がずっとしているのはまさに「箱庭療法」だからなんだよね…
安全性が低いオープンな場所でやらないほうがいいじゃんそんなの…
このへんはオリジナルの創作と二次創作のあいだに感覚の差がない人にはわかりにくいかもしれない。
「お前の二次創作だって、読むぶんにはオリジナルとそんなに違わないよ」と言われてしまうかもだけど、書いてる本人の意識の話なのでいかんともしがたい。
ただ会員制サイトにでもしないかぎりインターネットはクローズドで安全な場ではありえないし、自己箱庭療法で作ってようがなんだろうが創作として公開の場に出す以上、一定の責任は生じる、そこからは逃れられない、というのもそれはそうなので、PixivよりはAO3みたいな運用のほうが場としては健全なのかな、とも感じています。