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このhic、illeの使い方は、白水社「ラテン広文典」の249.(148~149頁)にも説明されている。

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つまり文中の順番通りに「肉体は留まり、精神は滅びる」ではなく、それとは逆に「精神は留まり、肉体は滅びる」ということだろう。

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アルクィンの墓碑銘(Epitaphium)で
quapropter potius animam curare memento,
quam carnem, quoniam haec manet, illa perit.
それ故に肉体よりも精神を気に掛けることを知るべし、
"haect(後者)"は留まり、"illa(前者)"は滅びる故に。
のhaecとillaは、文中の前後ではなく心情的な軽重の反映だろう。

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ラテン文において、「前者」をille、「後者」をhicと言うことが多いが、文中の前後関係とは関係なしに、心情的に重きをなす側をhicとし、それより一段墜ちる側をilleとする場合がある。

食べないでね

綿あめ製造機でN95マスクレベルのフィルターを作る方法を物理学者が考案 - GIGAZINE
gigazine.net/news/20201130-n95

paullae nubes sunt caelo et aquilo perflat, sed tempestas bona est.
雲が少し空にあって北風が吹いていますが、天気は良いです。

おはようございます。
北海道は道東で晴れる所がある他は雲が多く、日本海側では道北から道南まで広い範囲で雪の降りやすい一日になりそうです。

出たり消えたり……

米砂漠で謎の「モノリス」発見 正体めぐり奇説飛び交う
afpbb.com/articles/-/3317720?c

今度は消えた? 米砂漠で発見の謎のモノリス、持ち去りか
afpbb.com/articles/-/3318499?c

aer frigidus est, sed meridies serenus ac tranquillus.
空気は寒いですが、晴れて落ち着いた昼です。

Loebの註だと「白」の意味のalbusか、「山の渓流」を意味する前イタリック語に関わっている…らしい。

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Varroによると、イタリアのTiberis(テヴェレ川)は昔はAlbulaと呼ばれていたようだ。
(Sunt qui Tiberim priscum nomen Latinum Albulam vocitatum litteris tradiderint [ティベリス川は以前の慣習的なラテン語の名をアルブラ川であると文書で伝えていた])
ラテン語論 5.30

fluviusはflumen[どちらも「川、水の流れ」の意味]と同様に流れる(fluit)ので[そう名付けられている]。都市の地所に関する法ではこう書かれている。

 雨水と川の流れは今あるそのように落ち、流れるべし。

これら[雨水と川]の間には、雨水は一滴ずつ落ち、川は絶えず流れるので、この[落ちると流れるという表現の]違いがある。
ウァッロー「ラテン語論」第5巻27

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Fluvius, quod fluit, item flumen : a quo lege praediorum urbanorum scribitur :
Stillicidia fluminaque ut<i nunc ut> ita cadant fluantque ;
inter haec hoc inter<est>, quod stillicidium eo quod stillatim cadit, flumen quod fluit continue.
Varro de lingua latina 5.27

これに対してハドリアヌスは
ego nolo Florus esse,
ambulare per tabernas,
latitare per popinas,
culices pati rutundos.
私はフロルスにはなりたくない、
屋台の間をうろついて、
居酒屋の間に隠れて、
丸々した蚊を我慢するのだから

とやり返したという話。

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SpartianusのHistoria Augustaと言えば、詩人フロルスとハドリアヌス帝のやり取りが出ている。
その16で、まずフロルスが
ego nolo Caesar esse,
ambulare per Brittanos,
<latitare per Germanos,>
Scythicas pati pruinas
「私は皇帝にはなりたくない、
ブリトン人の間をうろついて、
<ゲルマン人の間に隠れて(欠損部分)>
スキタイ人の冬を我慢するのだから

この後に、複合語に由来する両義性の例もある。
ある人が遺言で、in cultoな場所に埋葬するように言ったが、これが
in culto(耕された)なのか、inculto(耕されていない)なのかが、訴訟のきっかけになり得るという話をしている。

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クィンティリアヌス「弁論家の教育」第7巻9章に、似たような言葉の両義性が問題になる場合について書かれていて
ingenua(自由民の女性)なのか、in genua(膝へ)なのか、とか
Corvinum(コルウィヌス[人名]を)なのか、cor vinum(心とワイン)、あるいは
armamentum(船の索具)か、arma mentum(武器と顎)なのかものような話が見られる。

こういうのは多分、当時は分かち書きをしていなかったためにIDEMITみたいに書かれていたのを、後に写本を作っていく過程で解釈が分かれたのだろう。

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