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クィンティリアヌス「弁論家の教育」第7巻9章に、似たような言葉の両義性が問題になる場合について書かれていて
ingenua(自由民の女性)なのか、in genua(膝へ)なのか、とか
Corvinum(コルウィヌス[人名]を)なのか、cor vinum(心とワイン)、あるいは
armamentum(船の索具)か、arma mentum(武器と顎)なのかものような話が見られる。

× なのかものような
○ なのかのような

この後に、複合語に由来する両義性の例もある。
ある人が遺言で、in cultoな場所に埋葬するように言ったが、これが
in culto(耕された)なのか、inculto(耕されていない)なのかが、訴訟のきっかけになり得るという話をしている。

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