アフターパーティー S2
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S1から続けて。一番フラットに状況を説明しないといけない1話が薄味になっちゃうのはしょうがないとと思ったけど、2話以降のパロディには明確な意図があったのでS1より楽しめたかも。
キャラ性にフィットした語り口を面白く見たS1だったけど、今回は東アジア系多めの人種構成を活かして、凝り固まっている各ジャンルの映画の在り方を破壊していくような爽快感があった。特に4話のウェス・アンダーソンパロディはウェス・アンダーソンなら絶対やらない物語、人種構成になっていたので、氏がそんなに好きじゃない自分としては「こっちの方がいいじゃん!!」って思うくらいアガった。別に美的感覚はお好きにどうぞって感じなので中身だけ変わってくれてラッキー✌️みたいな。基本シネスコなのにアスペクト比変えまくるからテレビだとビスタパートで額縁になっちゃうところはマニアック度高い。『高慢と偏見』をアジア系でやるとかモノクロノワールでアジア系・アフリカ系のカッコいい人が出てくるとかそういうのも全部このキャストだから出来てることで制作も狙ってると思う。飛び道具になりがちなケン・チョンも割と地に足ついた演技で良かった。
そのままアフターパーティー S2も見てるんだけど、1話ではしっかりと事の顛末を説明しないといけないからラブコメっていうかただの薄いコメディになっちゃってたし軸のお話はそんなに面白くないかもと思ったけど、2話の高慢と偏見?風も、3話のノワール(ちょい市民ケーン?)風も、S1より東アジア系が増えたS2のキャスティングでやる意味がしっかり感じられて良かった。
特に4話のウェス・アンダーソン風は絶対あの人なら作らないであろう物語・人種構成だったのでそんなに好きじゃない作家な分「これいいじゃん!」ってアガった。
その4話で一番マニアックだったのが基本シネスコでアスペクト比変えまくるせいでテレビで見た時にビスタパートが額縁になっちゃうあれを再現してた人形劇のパート。逆にめちゃくちゃ好きな人じゃないとあれをわざわざやらないと思う。
アフターパーティー S1
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1話ずつ違うジャンルの映画みたいに語り口が変化する変わり種推理ドラマ。トラウマがあるキャラクターはニューロティックスリラー風、マッチョなキャラクターはワイスピ風といったようにただ変えるだけじゃなくてそのキャラクターの境遇としっかりフィットしてる回もあるところが良い。
ただ最終話で明かされる犯人に対してはその優しさが一切無いというか、「やったのはてめえだろ〜ざまあみろ〜!!!」みたいなノリで全く救いがない描き方だったので、んな殺生な……と少し思ってしまった。
キャストでいうと大好きティファニー・ハディシュのキャラはまあまあ。マギーがスパイキッズ最新作で主演の子だったので「たった一年でこんな大きく……!!」と驚いた。警察ものの7話では『シアター・キャンプ』で見たばっかのドラ息子(ジミー・タトロ)がこっちでもバカ警官の役をやってたけどこういう役ばっかの人なの?
20時くらいからaudonやるかもしれません。
誰も助けてくれない
監督『アンダーウォーター』の脚本の人なのか、なるほど……!
サイレント映画並みに台詞を廃しすべてを映像と音楽で物語る。クラシックホラーのテイストと今日的なジャンルシフトを同時にやってのけ、それだけでも凄いのに一人の人間が過去にけじめをつけるストーリーの隠喩にもなってるというとんでもないバランス感覚。新鮮なショットの連続、スピード感あふれる特撮・VFX、効果的な色の使い方、仰々しい音楽などなどなど……。特に今このタイミングで「グレイって気持ち悪いよね?」をド直球にやってきたのが素晴らしい。予算削減のためかもしれないけど身体比率をイジるだけで気持ち悪さのベクトルや対処方法も変わってくるところがアイデアの勝利。
そして何より、ケイトリン・デヴァーがもう最高過ぎる。下手すればただのギャグになりそうなテイストを絶妙のバランスに持っていく「不憫」感。超クロースアップの時の顔面の作り方に感動すら覚えた。「物理的に自分で自分のことを抱きしめることはできませんが自分に擬態して襲ってきたエイリアンを倒せば可能です」って発想は天才過ぎるんだけど、このシーンでのあの何とも言えない表情とか、やっぱりデヴァーありきのシーンだったと思う。制作総指揮もやってると知りもっと好きになった。
ジャンヌ・ダルク裁判
ブレッソンにも合う合わないがあるなーと思い始めたくらいのタイミングなんだけどこれはバチっとハマった。わずか64分の一切無駄のない映画。
男だらけの法廷でとにかく否定し続ける、自分の信じたことを曲げないジャンヌ・ダルクとブレッソンの素人起用、棒読み無表情という演出スタイルが強力に合致していて芯のある人物としての説得力が凄い。特典の予告では「ジャンヌ・ダルクの裁判だけでなくすべての有罪を前提とする裁判を再現する。裁判制度の是非を問う」みたいな文言が出てきてたけど、そういう点以外にもとにかく折れない女性としてのジャンヌ・ダルク像が今見ても十分に意義のあるものになってる。サントメールを面白く見られた人は今作も興味深いものとして見られる気がする。男の服を着た女性が「女の服を着ろ」と強要されるけど拒み続けるという話でもあり、フェミニズムは確かに存在する。ラストは処刑されてしまうけど跡形もなくなるし手錠が緩むような?カットも入るので本当に死んだのかもあやふやにしているように見えるのが良い。
そして今回も音楽の絞り方は最高。フルオーケストラにシンセやらなんやら入れたマッシブな映画音楽が当たり前の時代に、スネア一つでこんなにスリリングな空間を作れることを思い出したい。
初めて映画館で見た
MCUがファー・フロム・ホーム
スターウォーズがスカイウォーカーの夜明け
007がNTTD
ミッション・インポッシブルがデッドレコニング
インディ・ジョーンズが運命のダイヤル
ジブリが君たちはどう生きるか
みたいな感じなので自分は「後追い」してるんだって感覚がずっとある。その時点での最新作に追いつけたから良かったものの。
ミュータント・タートルズ ミュータント・パニック!
まず予告で流れてた曲が本編でも流れるので偉い。音楽は全編ずっとカッコよかったな。タイトルわからないけどテンポ200くらいの劇伴がお気に入り。
ネトフリのおもちゃのドキュメンタリー見てから行ったのでそもそもグロテスク寄りのコミックだったとかヴァニラ・アイスネタとかを踏まえて見ることができた。中盤の色んなギャングを倒す過程を同時並行で見せていくやつがめっちゃ上手くて感心した。マジでヤバいやつを除いて秒で打ち解け合い一緒に楽しむ姿に癒されたし全員キャラが立ってた。コウモリが好き。怪獣映画と化してからの流れは、スパイダーマンシリーズで「民衆の協力」はアツいものだと脳にインプットされてしまっているので、ああいうのは全部泣きそうになる。
ただX-MEN並みに重みがあるわけではなく結局は「無害なのを証明」して受け入れられる流れにはなってしまってるけど、子どもたちにはこれくらい軽いやつも必要なのかな?って感じ。あと最後みんなで「カワバンガ!」は言って欲しかったけどあれぐらいの扱いが原作準拠なんだろうか。
正直物語はあって無いようなものだし、レーサーではなく観客が巻き添えになるって展開は史実なのかどうかは置いといて珍しい流れだと思ったけど遺族とか一切出てこなくて「お前は悪くない」の一本調子でそれでいいんか?とか思ったけどゲームを売るための映画と考えれば別に怒る気力も湧いてこないというか……。ロマンスも仲違いもテキトーで面白くない。この課題があって乗り越えて、とサクサク進む感じがレースゲームっぽいと言われれば「まあそうか……」くらいには思うけどそしたらやっぱり恋愛とか家族の描写いらないしな。
ただ日本の描写はたぶんスタジオであろう日産社屋内やヤンの変な漢字プリント上着を除けばだいぶマシな方だった。渋谷とか新宿辺りはたぶんロケ?久兵衛もお店借りたのかな(どアップ寿司職人が山内一典ご本人だったらしい)。中古のウォークマン買って帰るのがめっちゃ観光客ムーブとしてリアリティ高い気がして笑ってしまった。
キャストだとダレン・バーネットは『私の”初めて”日記』で知ったのでこっちでもヤンチャっぽいグッドルッキングガイをやってて微笑ましかった。あとのキャストは特に……。候補生の中で韓国系の人だけえらい映る時間少なくてもっとバランス良くしろよと思った。
グランツーリスモ
PS2の4とPSPのやつをプレイしたことがあり、ゲームと同じ効果音、フォント、OPと同じような映像が使われててプレイしたことがある人間としては面白かった。特に冒頭は実写なのかCGなのかめちゃめちゃ曖昧でここが一番ブロムカンプぽかったかも。クラッシュ描写は身体が引き攣った。CGで車を纏う一連もケレン味がある。EDの車スキャンしたり排気音やらを録音してるところも興味惹かれたな。
音楽に関して、ゲームのテーマ曲であるMoon Over The Castleは一瞬流れたらしいけど全く気づかなかった。モンハンでも思ったけど最初の映画化はこの一回だけなんだから盛大に使ってくれよ。7のやつ聴いたらストリングス入っててすでに映画っぽいアレンジだったからそのまま使ってもよかったのに。どこをケチってるんだ。
モキシー ~私たちのムーブメント~
たしかにニコ・ヒラガがほぼパーフェクト人間だった。ああいう中盤に出てきた些細な会話をラストに拾ってくるの上手いな。
ラストが本当に辛かった。クライマックスまでの展開である程度誰が手紙を書いたのかわかっていたので、前に出て来なくても大丈夫だよ……でも告白したくてしたのか。うーん、その勇気に拍手(涙)という感じでした。その後の「髪に触らないでほしい』とスピーチする人も良かった。あまり役者ぽくなかったけど何らかの形で原作とかに絡んでる人とかだろうか。
しかしあの校長があのまま許されていいとは思えない。即失職ものです。あの教師も最後の最後で手のひら返し(文字通り)したくらいで許していいんだろうか。かなりムカつきました。
ゲットダウン シーズン1
ヒップホップ黎明期をバズ・ラーマンがいつものハイパーハイカロリーな映像、演出、音楽で描く。フッテージと本編をグレインの増減で行き来するのが面白い。
今見ると(当時すでに?)錚々たる面々が揃っていて「あ、あの人!」がたくさんあって楽しかった。ジュリア・ガーナーとインディア・ムーアまでいたし。特にシャメイク・ムーアは本当にあの時代に生きていた人のようで姿勢や身体の作り方なのか身振り手振りなのかわからないけど凄まじいリアリティがあった。今のジャスティス・スミスにはコメディリリーフのイメージしかないけどこの頃を知る人たちは「なんでそんなふうに……」っとなっちゃってるみたい。
正直こういう暑苦しさは得意な方ではないので4話までは若干胃もたれしてたけど5話から6話にかけては歌唱とラップのカットバック、「倍テンにしたらいけるんじゃね?」、クライマックスのライブとカッコいいシーンの釣瓶打ちでワクワクした。
しかし気になる点も多い。シャオリンが(おそらく)性的に搾取されている件や薬物中毒のおっさんに何故ティーンの少女たちが発破かけてやらないといけないのかとか、終盤キャデラック空気だったなとか。
まあでも音楽演出はカッコよかったのでS2も見てみる。
しかしクラウディアと姉ジャニーン、祖母ミミを掘り下げるエピソードは本当に素晴らしかった。アジア系の家庭が子に与える重圧、マンザナール(初めて聞く言葉だった)と関係する祖母ミミの過去、単なる好奇心の発露だったクラウディアのアートが「文脈」を獲得する瞬間、全てが有機的に絡んでいた。後のエピソードでクラウディアが「お任せ」とだけ日本語で発話するところも細かい。三人を演じる役者もみんな素晴らしかったな。
またドキュメンタリーの『クラウディア・キシ倶楽部』も見た。
クラウディア・キシというキャラクターとその存在自体にエンパワメントされた人たちへのインタビューを中心に、(おそらく)原作の章立てを模したような区切り方と、手作りアートっぽいデザインで構成されている。お菓子から着想を得るところとかファッションスタイルとかかなり忠実に再現されていたんだなと知る。しかしアジア系がどのように差別されているかを描いた80〜90年代の原作に対してただそれを再現するのではなく、歴史的な悲劇を明示しつつ現代はどうあるべきなのかを作品全体のトーンをもって示していたドラマ版はチューニング具合が素晴らしいと改めて思った。
ベビー・シッターズ・クラブ シーズン1
4K ドルビービジョン
撮影は全編8K(!)らしい。
とにかく子役が一生懸命演技しててそれだけで見てられる。こっちで先にソーチー・ゴメス見てた人はMoMに出てきた時の喜びもひとしおだっただろうな。カレン役のソフィア・ リード=ガンツァートには毎回爆笑させられた。美味しい役だったな。
しかし一見ポップで軽く見えてその実重めのエピソードや社会のあり方と深く関わる話が多くて割と食らった。また気になる部分もなくはなく、文化と言っちゃそれまでだけどローティーンに子守を任せるってさらに彼女らを子守りする人が必要な年齢では……?とか思っちゃう。具体的な部分だとステイシーの糖尿病の話は彼女の障壁を乗り越える勇気に感動しつつ12〜13歳の子が持病をあんな大勢の大人の前で公にしないといけないのか……?とか思っちゃったし9.10話のキャンプで社会運動を始めるエピソードは骨太だなと思いつつ10話序盤メアリー・アンのハンセン病を揶揄するような台詞とクリスティの「触ると移る」的なボディランゲージにガッカリ。