どうしても比較せざるを得ないけど、山崎貴のカスゴジラの何億倍も真っ当に戦後を描いていた。両方見ないと映画館出られないようにした方がいいと思う。戦後は汚くて、臭くて、不味くて、怖いんだよ。

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ほかげ

題材が題材なので身構えていたけど、不必要に女性の裸を見せるようなシーンはなかった。女性に対する暴力と性暴力の描写はあります。

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趣里も森山未來も塚尾桜雅も素晴らしい。特に森山未來の身体の操り方に目を奪われる。インタビューで「カラックス作品におけるドニ・ラヴァン」に例えられていたけどめちゃくちゃ納得した。おそらくPTSDで家に閉じこもっている人に格子越しに手を差し伸べる中盤のあのシーン、鬼のような切り返しとそのリズムが崩れる瞬間の訪れ、ヤバかった。基本はドラマだけど塚本晋也っぽい〜て感じのエフェクトと不気味なイメージ(あれは焼け野原となった街のミニチュア?)もあってドキッとした。劇伴は打ち込み感強いやつもあったけどボォォォオオって低音が響いてくるようなトラックはさすが石川忠。
ただ趣里の役の人が前半のぶっきらぼうなスタイルのままでいてくれれば良かったけど中盤からやけに優しくなっていくのでそこはちょっと残念。ラストも銃声→坊やの顔のアップ(無音)→暗転の方が綺麗だったと思うけど雑踏へ消えていく半端なカットで〆たのは綺麗すぎるからなのかそれとも照れ隠しとかなのか。

U-NEXTで『リトル・パレスティナ』を見た。シリア、ダマスカスにあるヤルムーク・パレスチナ難民キャンプの日常を2013-2015年に渡って記録したドキュメンタリー。

video.unext.jp/title/SID009341

日本では2021年に山形国際ドキュメンタリー映画祭で上映されていておそらくその時のマスターがそのまま配信されていた。

↓アブダッラー・アル=ハティーブ監督へのQ&Aの記録。
cineja3filmfestival.seesaa.net

”Kiin”ってタイトルはKin(親類)という単語の"i"を二つにして双子であることを表現しているんだと思う。

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『サイレント・ツインズ』の制作を記念して監督フェン・オメアリー、脚本レティーシャ・ライトとタマラ・ローレンス(サイレント・ツインズの主演二人)で作られた短編なるものもあった。

映画のテイストとは結構違ってイメージの断片を集積したようなスタイルだけどモノローグは本編でも流れるものな気がする(字幕がないので確信はできない)。おそらく実際に双子として生まれた人たちをフィーチャーしつつ、ジェニファーとジューンの関係を祝福している感じ。

THE SILENT TWINS - "Kiin" Short Film - Only in Theaters Friday
youtube.com/watch?v=xY8n9zRLNR

また周りから見放され、差別され、精神疾患があると診断されて監獄のような場所に収監されて、それでもわかりやすい「反省」はせずに懸命に生き、自己実現を図ろうとする二人のカリブ系女性という表象は、実話に即したものであるとはいえエンパワメントを感じる。近年の作品でフェミニズムが存在しない映画なんてあるか?って言えるくらいの状況ではある(本邦は除く……)とは思うけど、この映画も間違いなくフェミニズム映画の一つであると自分は思う。

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二人の脳内世界はストップモーションアニメだったりミュージカルだったりと常に華やか(かつほんのりグロテスク)で、殺伐としていて人権や人命が軽視される寒々しい現実とは非常に対照的だったけど、それは決して二人を突き放すためではなく、二人と二人の創造/想像する世界を高らかに称えるかのように、全力で豪華に、絢爛に演出されていたのが良かった。
さらにこれがシンプルに視覚的にも楽しめるもので、イルミネーションのように自由自在に点灯するトンネルの照明、”コーラ浸し”のリビング、ヤン・シュヴァンクマイエル的クリーチャー表現などなど、様々な手札で観客を飽きさせない。終盤のダンスシークエンスから繋がるラストカットはついこの間のアンドリュー・ヘイ『異人たち』を彷彿とさせるものだったけどそこまでの展開に説得力があったので「またかよ」とはならず感動と感傷に包まれた。『ゆれる人魚』から引き続き起用のZuzanna Wrońskaによる歌曲もとても良かったな。ラストで流れる”We Two Made One”ではジェニファー役のタマラ・ローレンス(たしか冒頭の字幕ではローランス表記)も参加していることを踏まえるとよりグッとくる。他の曲にもボーカルで参加しているみたいでキャリア的には新人っぽいけど気になる人。『スモール・アックス』にも出演

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サイレント・ツインズ

ポーランド映画祭2023
予告で映像が良い感じだったので見た。

冒頭からストップモーションと共に子どもの声でキャストを紹介しながら「良い俳優だよね」などとメタ発言も飛び出すオープンクレジットに面食らう。続いて双子どうしの明るく軽快なラジオごっこのシーン。笑顔や冗談が飛び交い、映像も暖色系のフィルターで仲睦まじいなーと思ってるとドアのノックと同時に急に双子は口をつむぎ映像も寒色系のフィルターに変わる。この一連で一気に惹き込まれる。

何らかの理由で(要因となったであろう人種差別などの要素は作中に含まれてはいる)双子どうしでしか会話をしないカリブ系の女性、ジェニファー・ギボンズとジューン・ギボンズの成長と葛藤と衝突と別れと。イギリスでは誰でも知ってるレベルの実話らしくオペラやドラマやドキュメンタリーはすでにあるんだけど映画化は初とのこと。マスコミの「センセーショナル」で「ゴシップ」的な扱いに辟易していたジューン・ギボンズ本人が唯一「素晴らしい」と認め、しかも創作を再開したというトークセッションで明かされた事実が示す通り、一筋縄ではいかない二人の関係性を周囲からではなく、徹底して主観的に描く手法が光っていた。

ラブシーンは不器用とも言えるし下手くそとも言えるけど、序盤のマッサージ店のシーンを見る限りその辺に気を配ってる人って感じもしなかったな。セックスワーカーの主体性を無視して「そういうもの」として性風俗店のシーンを入れるの、中立でも何でもなく搾取への加担だからやめてほしい。ルーさんはクレジットもルーさんだったしQ&Aでも実際の体験を話してもらったと言ってたけど、明らかにカメラを意識してる素振りなのがフィクションの壁を壊しに来る感じで良かった。おばあちゃんの方は俳優さんと言ってたし実際演技が少し芝居がかり過ぎに感じて白けてしまったな。

映像面、そんなに良いかな……。あれだけもったいぶるなら何か一つ鮮烈なショットが欲しい(冒頭のあれだと足りない)。それこそルーさんのところ、原付乗る前のシーンからずーーっと繋がってる長回しだったけど特に意図は掴めず。勝手にフィルム撮影だと思ってたけどデジタル丸出しだったのも残念。

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黄色い繭の殻の中

FILMEX

早起き+空調激寒だったためコンディションBAD。

「あえて空白を作って想像の余地を残して……」系の作家だったので合わなかったのは納得。これは「あらゆる表現に唯一の正解がある」というニュアンスではなく、最初から受け手に任せっきりの態度に対しての考え。ベトナムのキリスト教文化があそこまで詳しく映像化されてるのは見たことなかったのでそこは良かったかもしれないけど、あとはギリギリ物語になるレベルの筋書きがあってその間に好きに撮ったものを挟んでるくらいの見方しかできなかったな。映画の中で起きてることに対して肯定も否定もないけど「じゃあこの時間はなんだったの……」って話でもあると思う。

なんか投稿の削除が上手くいかなかったな。ツリーの先頭だけ下書きに戻すとぶら下がってる投稿はどうにもできなくなるのかな。

ココモ・シティ

TAMA映画祭

ココ・ダ・ドールに黙祷する時間くらいあっても良かったと思うけどKがゴシップみたいにしゃべりやがって腹立った。

音楽プロデューサーの監督らしくR&B、ヒップホップ、ブルースがかかりっぱなし。『ココモ・シティ』というタイトルは”Sissy Man Blues”という曲で”Lord if you can't send me no woman, please send me some sissy man”と歌ったKokomo Arnoldの名前から取られていて実際にそれが流れてもいた。再現ドラマやSEのチープさは好きじゃなかった(エンターテイメント要素ってそういうことではなくない?)けどとにかく人が喋って喋ってこちらはそれに耳を傾けるという構成は誠実だった。たしかダニエラ・カーターだったと思うけど、トランジションに難色を示す母に対して「彼女も男性から受けるべきリスペクトや保護を受けられなかった女性の一人である」という語りがあって、そこまで包摂しているのはよかった。

ただアセクシャル・アロマンスの人にはほぼリーチせず「この身体を見れば必ず男は興奮する」といったような言説もあり、全部をカバーするのは無理かーとも思った。セックスワーカー当事者の彼女たちからそういう言葉が出るのは自然だと思うけど、非当事者から出てくると「お前の言っていいセリフではないのでは?」ってなる。

この点に関して、LOを出演させる意図がちょっと理解しかねてたけど解説の池城さんが「トランス女性を愛することと自分の中にある規範に矛盾を感じているアフリカ系男性」としてあえて登場させている、という旨を話してくれてありがたかった。その他実際にアメリカで取材した時のお話や「ここで語られていることはアジア系女性であり、世界においてはスーパーマイノリティの自分にとっても響くことだ」というインターセクショナリティの観点など多くの押さえておくべきポイントを話してくれてホッとした。あとの二人が平気でデッドネーミングするようなアホだったので首の皮一枚繋がる思いでした。ありがとうございました。「昔はゲーって感じだったけど今は全然興奮するしー」みたいなのもマジでカスだったな。二度と呼ばないでほしい。

スワンソング

前半はいくらなんでも会話のテンポが間伸びし過ぎじゃないかなと思ったけど後半からビシバシ決まるカットがあって良かった。ウド・キアーからそこはかとなく感じるクィアな雰囲気はなんなんだろう。ゲイ役を演じているから、ではなく本人から出ている何か。

シャンデリアかぶって出てくるところでなぜか涙が出てきて昂ってたんだけど謎のショート(通電してたの?)で涙引いた。でもその後の展開も湿っぽ過ぎず、茶化し過ぎずで丁度よかった。思い出の表現も距離感好みだったな。

ただ7話における環境保護とヴィーガンを巡る一連は全く納得いかなかった。たしかに白人主導でありながら有色人種にも遡及するために人種差別的な活動をしている団体もいるのかもしれないけど、だいぶ極端な例だと思うし、こういう活動全体が欺瞞であるかのような演出には鼻白んだ。SNSに関するあの人の「演説」も日本のネトウヨっぽいというか「真実をわかっている我々!」みたいな薄っぺらさを感じた。ラストのチキンを貪るところも浅はか。あの会社のマークがアボカド(環境負荷の高い植物)なのがそういう欺瞞の象徴なのか単に知らないのか、特に作中で突っ込まれなかったのでわからない。
あそこからSNSとの付き合い方にフォーカスしていくので全く意味がない展開とは言わないけど、その後立ち返って訂正されることもなく「一理ある」単独エピソードとして終わってしまったので残念。ここさえなければ一切瑕疵のない完璧な作品だったかもしれない。2020年の制作らしいけど、にしてもな……。ここもミカエラ・コールの体験談だったりする?だからって免罪されるわけでもないけど。

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I MAY DESTROY YOU / アイ・メイ・デストロイ・ユー

配信開始時の評判だけ覚えててあらすじも見ずに再生したから最初は何の話?って思ってたけど1話のラストで身体が硬直した。そこからは毎話身じろぎもできない。特にラストの12話はもう、とんでもない。一切説明的なことはしてないのに視聴者には全てが理解できる。

衝撃的なビジュアルや過剰な劇伴を使ったりせずに、性暴力を「すぐそばにあるもの」として描こうという信念があった。フラッシュバックや性暴力の表現は劇的に描かない分、見ているこちら側の生活にも侵入してきているような感覚に襲われる。注意喚起が必要なレベルだと思う(たぶんどこにもなかったけど)。誰もがただの「被害者」でも「加害者」でもなく、そこに存在していて息づくのを感じられるし、カタストロフをもたらす「許し」や「裁き」もない。そこにはただ現実と過去と未来がある。ここまで社会に誠実な作品が作れるとは。ミカエラ・コールにおみそれした。呪いのスタチューのようなビジョンやあの時の自分と同じ服を着た人が同じ空間にいる、などちょっとでも目を離せば見逃してしまいそうな演出を入れてくるところはシンプルに映像作家としても好みかもしれない。もちろん役者としても素晴らしいし。今後も楽しみな人。

デート・アフター・デート

冒頭の「本作はパートナーによる暴力の描写を含みます」のテロップでもう信用できる。

男性から女性への支配だったらそんなに新しくはならないと思うけど女性から女性への支配を描きつつ、そこに「女性同士だから」とか「レズビアンだから」みたいな余計なステレオタイプがなく、ただ「入れ替えただけ」なのが好ましかった。支配の手順の地味さとこなれ具合が恐ろしい。呪具の設定も緩くないとは言わないけどラストどう使うのかに一応信念が感じられたからOKです。衣装も妙にしゃれてた。

タイムラプスがフリー素材丸出しなのはちょっと冷めたけど最後のスタジオロゴ的に最初から配信ありきで作られたみたいだしちゃんとアスペクト比も16:9だったので無問題。最後の絵の意図もちょっとよくわからなかったけど未来が変わったっていう表現かな?いいじゃない。

ただ前述した通り、後半に行くにつれてどんどん「え、これどうすんの……?」っていう袋小路に入って行った結果、最悪の事態になってしまったところで怪我の功名というか、ソフィアの望んでいた結末が訪れた時の何とも言えない空気。でもそこで留まったりせずすぐさま前進し始めるように映画も高らかに音楽を鳴らし、人が踊り、愛を語らい、そして終わる。ここに「いや実際こうするしかないじゃん」っていうフィーリングがあった。ハッピーエンドであると言いたい。

アスペクト比は2.00:1。撮影は結構気をつかってる感じでデジタルだけど派手な色味が良かった。結構ぶつ切りの暗転が多用されてたけど、不安の表現として効果的なところとそうでもないところが混在してた。タイトルとエンドロールではピンクっぽい赤とオレンジが基調とされていたけど、レズビアン・プライド・フラッグをイメージしてるのかな。音楽もトラップとかヒップホップ中心で楽しかった。

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パワー・アレイ

初めての映画祭で初めての東京国際映画祭の最初の一本。

前途有望な新人の映画!って感じだった。フィルマークスのあらすじにもあるように”Never Rarely Sometimes Always(17歳の瞳に映る世界)”に似た展開になるけど、ブラジルでは中絶が違法なため、より暗いというか逃れようのない展開になり辛い。中絶させない団体もだし、中絶を許さない空気を発してる近所の人たち、嫌がらせの方法とかめちゃくちゃ酷かったな……。
しかしバレーボールのチームメイトたちがとにかくキャラが良くて全員が主人公ソフィアのために考え、行動してくれるのが頼もしかった。クィアなエナジーにも溢れていて、そういう面でも元気もらえる。妊娠が発覚した時の父親の反応は「やっぱりそういうやつなのか」ってガッカリしたけど、その後義母と話したらコロッと回心して常にソフィアを守る立場になってくれるのでそこは安心していい。妊娠させた当事者も一切登場せず「お前なんかに割く時間はない」っていう製作陣のスタンスが感じられる。

そういう面以外にもティファニー・ハディシュの『氷の微笑』性別入れ替えとかジョン・チョーの若干のウォン・カーウァイ?とかも笑えた。ヒッチコックだけはちょっと微妙でヒッチコックのそっくりさんみたいな人が出てくるのも制作側の自信の無さを感じてしまった。まあでも50年代でヨーロッパビスタでカラーでってちょっとその時点でリアルタイムではない世代としては違和感あるので(実際は何も間違ってないんだけど)そこは保険かけちゃったのかな。

流し見してても最終話でしっかり解説しながら種明かししてくれるので助かる。映画好きにオススメのドラマでした。

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