イ・ソンチャン『オマエラ、軍隊シッテルカ!? 疾風怒濤の入隊編』(バジリコ)。BTSのメンバーが入隊することが大ニュースになるような世界で、韓国の軍隊のことが知りたくて手に取った一冊。もと軍人の若者がキツい軍隊生活のことをセキララにネット上で綴った本書は、書籍化するとすぐに韓国ではベストセラーとなったと訳者あとがきにある。
四方田犬彦氏のすぐれた巻頭解説(という名の序文)がAll Reviewsのサイトに公開されているので、そちらを見れば本書の意義についてはある程度了解されると思う。著者イ・ソンチャンの文章は美文からはほど遠いが、自分を取り巻くすべての状況を相対化しときに嗤いときに冷静に観察する視点はやはりなにがしかの才覚がもたらすものだろう。軍隊の中にキリスト教の教会があって休日に希望者は礼拝できるなどというのはとても面白い。それからいまでもこうした文化が続いているのかはわからないけれど、軍の中にお菓子を売るキオスクがあって、甘いものに飢えた主人公とその仲間たちがロッテの「チョコパイ」や「自由時間」(後者は日本では見たことない!)に食らいつくシーンなんて矢鱈に印象にのこる。
@spiralginga SFマガジンでお名前を知って、ウェブで読める文章を少しずつ読ませてもらっています。自分は男性ですが、花王が美白という表現をすべての製品から取りやめるとか、そうしたニュースは知らなかったのでとてもためになります。
ある日本文学研究者/翻訳家とやりとりをしていたら、大学の授業で倉橋由美子を教材として扱うことも検討したが、その作品の英訳の質から結果として択ばなかった、という趣旨の一文があった。自分はその作品がどの作品かも知らないし、よって日本語と英訳をくらべたこともない。ただ、ふと以下のようなことが思い出された。
一.自分の大学時代の文学の授業の先生は、白鯨を読むなら誰それの訳より誰それで読まないといけないとか、ディキンスンの詩を読むならどこどこの出版社のものがおすすめだとか、教室でしばしば語ってくれる先生だった。学生になんの期待もしていなかったら、わざわざエネルギーを費やしてそんなことには触れないだろう。
一、これも大学時代の話。毎年東京で行われるある文芸のマニアックなイベントは、「合宿」といって旅館を借りたりして、ファンとプロが会して夜通し小説の話がくりひろげられるような場だった(もちろんコロナ前のこと)。そういう場にいると、信頼できる翻訳家の方からの、これまたあの作品には翻訳に問題があるとか、ある時期以降の野口幸夫の訳は、とかそういう話が耳に流れ込んでくる。(つづく)
「SFマガジン」10月号、「大学SF研座談会」。この記事を読んで、「表れかたはその時代その時代で移ろってゆくけど、根っこの部分はいっしょだね」という感想を抱く方もいると思う(例、はじめに青背からとかではなくサブカルチャーがきっかけになりやすいとか)。自分なんかも高校の頃それこそ『げんしけん』とか、『菫画法』『イリヤの空、UFOの夏』などの文化部もの(あるいはそういう要素を含む作品)に触れて文芸サークルへの羨望をふくらませていた。ただ、個人的にはパンデミックが不可避的に変えてしまった側面のほうに意識がどうしても向いてしまう。変化にとりわけ恵まれている時代にあっては、自分より年下の世代に関する情報は収集できるならそうしたい。
アニメ映画、「アリスとテレスのまぼろし工場」。独特の色気を湛えたユニークな作品として、わたしは買います。中学生の自分がどういう感情や不安定さを抱えながら生きていたか、いい意味で思い出させられたりもしました。白痴的二次元美少女の嘘くささを逆手に取りつつ、現代日本の地方の過疎化を直接に反映した廃墟美のなかで物語を推進させるのも個人的には興味深いです。学校の教室や廊下に貼られた標語やポスターにみちる純度100パーセントのクリシェや、一部秩父をモデルにしたとおぼしきシャッター街―ついぞ経験したことのない高度経済成長を遥か遠くに望む―を執拗に、風景のように描き込むスタイルにもなにかしら倒錯したものが感じられます。
垂野創一郎さんが、私の好きな雑誌『魔王』2号について記事を書いている…。この号は女性シュルレアリスト、ネリー・カプランの短篇を何篇も収録している上に、各種論考もとても良くて、探す価値があると思います。https://puhipuhi.hatenablog.com/entry/2023/08/27/151717
2017年に行われたハーバード大学のGirl Culture, Media, and Japanという授業では、一年を通しての教科書ではなかったものの、森奈津子の怪笑SF「西城秀樹のおかげです」がレファレンスとして取り上げられたようです。私たちの知らない所で日本SFの花は咲いている?!
https://air-tale.hateblo.jp/entry/2022/07/19/014301
以下は翻訳ではなく、自分による文章: If a writer, an athlete, or a politician is a woman, she tends to be called "female writer" and so forth. Meanwhile, if a person of those occupations is a man, he is almost never called "male writer"etc. I’ve just translated one novelist’s word which discusses this strange yet seemingly universal phenomenon in her own unique way.
In some science fiction stories, women are no different from dolls, only props serving the narrative itself. In a specific sub-genre of science fiction called gender SF, by contrast, writers clearly aim to make the reader reconsider gender bias that people in the modern society have. The genre of science fiction as a whole would be described generous in that sense―precisely opposite attitudes toward femaleness coexist together.
https://forbesjapan.com/articles/detail/28565/page2
アイヌ文化紹介Youtuberの関根摩耶へのインタビューより。
「例えば、子どもが水をこぼした時、日本語では単に叱ったり、「あらあら」と思うだけでしょうが、アイヌ語だと「そこに水が飲みたい神様がいたんだね」と表現するんです。あらゆる事象を人間ではなく神の意思だと考える価値観が表れています。
狩猟にしても、日本語では「動物を矢で射る」と表現しますが、アイヌ語では「正しい人間には動物側から矢に当たる」と表現します。アイヌの考え方では、神と人間は対等かつ取引関係にあると考えられています。神は神の世界では人間と同じ姿をしていて、人間界に来るときに毛皮などのお土産を持ってやってくる。そして正しい人間のもとに(矢に当たる)ことで行き、そこで盛大にもてなされて人間からもらったプレゼントをもって神の世界に帰る。というような物々交換と考えられています。」
https://www.fnsugar.co.jp/essay/nishie/25
言語学・文化人類学者の西江雅之による、「エスニック料理」についての目から鱗が何枚も落ちるようなエッセイ。以前から自分は、「エスニック料理」という言葉がなにを指すのかよくわからなくて、ときには次のような現象と相同なのかも確信が持てずにいた。たとえば、リスナーが少ない、あるいは地理的に小さい国の音楽がときに十把一絡げに「ワールドミュージック」とくくられるとか、大きい書店でフランス文学やアメリカ文学の棚はあっても、東南アジアや東欧の文学はまとめて「その他の国々」でひとつの四角形におさまっていることもあるとか。「エスニック料理」は日本より寒い地域の料理を指すのには一般的に用いられない、と示唆されていてうならされた。
本好き、旅行好き。 海外詩/翻訳文化論/日本文学普及/社会言語学etc.文章のアップはSNSよりも主にブログのほうで行っています。よろしくお願いします。https://air-tale.hateblo.jp/