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「会の終わりごろに男性が参加者にどんぶりを投げつけ、破片で東京都在住の60代男性が左ほほに軽傷を負った。」
関東大震災後の朝鮮人虐殺、101年目の追悼 犠牲者名読み上げ | 毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20240907/k00/00m/040/151000c
20代の頃編集の仕事してた時にとあるムックでどうしてもレイアウト上の調整ができず、原稿の句読点の位置を変更して数文字削除したことをライターさんに物凄く怒られた経験があって、その文字を削ったり移動させたりすることでインタビュイーの話のニュアンスがだいぶ違ってしまうと指摘された。もうそれは私が文章に対して鈍感だったとしか言いようがなくて謝るしかないし後の仕事でも忘れないようにしてる。出版される前でよかった。
別の仕事でそれとは逆に提示した文字数をまっっったく守らなくてこっちで大幅に付け足したり削ったりした原稿もあって、都度都度確認とって「こういう本なのでこう付け足しました、ここを削除してまとめました、この内容で出版しますがよろしいですか」って作業をしたこともある。正直なところあとで何かあっても「確認とりましたよね」って言えるから。幸いこの時は何も言われずそのまま出版できたけど。
実用書や雑誌とは違って小説はほぼ一人でする作業ではあるけれど、文章について他者の手が入ったのならその文章に関してはできる限り繊細に扱うことが礼を尽くすことにもつながるんじゃないかな、と私は思ってしまいます。それととにかく確認を取ること、本当にそればっかやってた気がする。
例えばリチャード・ドーキンスや進化生物学のS.ピンガーなどは堂々と「生命の目的は自らの遺伝子をできるだけ多く残すこと」などと断言します。こうした言説は英語圏ではリベラルにも深く浸透している。
しかし、果たしてみなさんの心に問いかけて「イエス」の答えは出るでしょうか?勿論「ノー」の方が大多数の筈。
というのも、「生きる目的」は、各自の「意識」=「心」によって決定され、また変更されるものだから。まず一般的に言えば科学は「目的」を探し出すための情報システムではありません。
ヒトの特徴は、この「生きる」目的の「意識=心」相関性とその不安定性にあるとも言える。
であるから、生きる「目的」を考えないようにする、あるいは「マジョリティ」に流れに身を任すことで「不安」を紛らわす、という選択も起こります。
かつてパスカルはヒトが最も恐れること、それは「暇」ができることと述べました。その「暇」を埋めるために、貴族は宮廷であれこれ社交を創りだしているのだと。
しかし、最後の最後では生きる目的は自分で決めるしかない。この問題に蓋をすると、「自由からの逃走」ではないが、AIに「目的」を決めてもらおう、という倒錯も起こりかねない。
デジタル・ファシズムの源は私達の「こころ」にもありそうです。
映画と読書と漫ろ歩きを愛する氷河期世代