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ポライト・ソサエティを観たー
良かったー

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知られざる関東大震災「中国人」虐殺と「戦後日本のヒーロー」加藤直樹 - アジアプレス・ネットワーク asiapress.org/apn/2017/07/japa

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入管法とか、小池百合子が追悼文を送らないことに抗議するデモに行くと、必ずと言っていいほど当事者の人が「自分の親は自分にミックスルーツのことを隠していた」っていう話が聞けるので、もうこの国の差別に向き合えない弱い姿勢に嫌になっています。「知る」ということは強くなっていくチャンスだし、そういうことを全部手放して排外主義を加速していく。何を怖がってるんだ。

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関東大震災朝鮮人虐殺 とだけ言及されることが多い。
しかし、中華ルーツや沖縄ルーツ、
大杉栄、伊藤乃枝夫妻らアナキストや共産主義者への虐殺も忘れて欲しくない。

今回のPMS及び生理が台風とモロ被りで、頭痛は薬のおかげでなんとかなっているけど目眩・腹痛・腰痛のコンボが普段よりしんどい気がするので午後はゴロゴロして過ごします。明日から頑張るからサンサンどっか行こ?夏もどっか行こ?お願い!

夜間定時制の廃止もベネッセと組んだスピーキングテストの実施もスクールカウンセラーの雇い止めも若い弱者を追い込むばかりでなんにもならない、心底腹が立つ

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 ロックのサブジャンル、エモとエモいはどれくらい関係があるのだろう。ずっとあの名詞のエモが形容詞化したのだと思っていた。もしかして、関係ないのだろうか。

都知事が弱者を切り捨てて金稼ぎしか考えてない上に歴史を捻じ曲げるレイシストであことが恥ずかしい。誰もがアンタみたいに嘘ついて恥じずにいられる性格じゃないんだよ。

りんごが甘酸っぱくて爽やかでシャリシャリしてて美味しい……。当たりだった、良かった。

『三つ星トロワグロ』を観に行こうかなどうしようかなとぶつぶつ言ってたら息子に「三つ星トロマグロ?美味しいの?」と聞かれたので寿司屋の方に行きたくなった。貧乏なのでまわってるやつで充分です。

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〇地震と虐殺1923‐2024/安田浩一さん(中央公論新社)
〇それは丘の上から始まった 1923年 横浜の朝鮮人・中国人虐殺/後藤周さん(ころから)
〇震災下の中国人虐殺 中国人労働者と王起天はなぜ殺されたか/仁木ふみ子さん(青木書店)
〇関東大震災と中国人 王起天事件を追跡する/田原洋さん(岩波書店)
〇関東大震災と中国人虐殺事件/今井清一(朔北社)
〇大原社会問題研究所雑誌668号・横浜における関東大震災時朝鮮人虐殺/山本すみ子さん(法政大学)
〇横浜華僑社会の形成と発展 幕末開港期から関東大震災復興期まで/伊藤泉美さん(山川出版社)
〇18人の遺族とともに 関東大震災91周年 虐殺された中国人労働者を追悼する集い報告集/関東大震災で虐殺された中国人労働者を追悼する集い実行委員会

等々、関連書籍・文献があります。ぜひ読んでみてください。

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関東大震災時朝鮮人虐殺と関東大震災時中国人虐殺には違う性質がある。

当時中国人は大きく2つの属性のようなものがあった。
一つは、商店主や事業者、所謂士業、或いは三把刀(三種の刀、調理・理髪・テーラー)、留学生等の者達。
もう一つは、土木建築・荷役等を担う労働者。

当時の日本では、国策で中国人労働者を導入していた。
商店主や事業者・留学生は上海や広東からの者が多く市街地や中華街などの集住地に住み、労働者は浙江省が多く飯場や木賃宿(簡宿)に住んだ。

関東大震災時中国人虐殺の被害者には上記2種の属性の者が存在するのだが、少なくとも被害者名簿など記録が残っている中では、被害者数の内訳は大きく変わる。
労働者の被害が圧倒的に多い。というか殆どが労働者。

もちろん留学生等の被害は数字には出にくいし、被害者名簿は労働者が主体だった送還船の船内で作成されたという事もあるかもしれないが、いずれにせよ、圧倒的に労働者が多い。

関東大震災時中国人虐殺として、最も凄惨であり、最も組織的であり、最も犠牲者数が多いのは東京大島だが、ここ中国人労働者の集住地だった。

中国人労働者はどのように殺されたか、大島では多くの中国人老奏者が住む木賃宿は大きな被害を免れている。中国人労働者は宿舎に避難している。そこに自警団が、消防団が、日本人同業労働者が主体となった集団が、在郷軍人会が、それぞれ連携して、訪問する。「明日避難するから」「荷物まとめておいて」と。翌日連れ出して殺す。或いは直接宿舎を襲う。という事をやっている。この襲撃には軍も、警察も参加した形跡がある。もちろんこのようなものがすべてではない。三河島などでは、職場なのか宿舎なのか、中国人労働者が汽車に乗ってやって来る。汽車から降りて来る中国人労働者を集団で待ち構えて片っ端から鳶口で襲っていく。みたいな事もやっている。

元々経済状況悪化から外国人労働者たる中国人労働者排斥の声が高まり、また、中国人労働者の待遇改善運動も怒っており、労使ともに中国人労働者に対する敵視が高まっていた。

ここには関東大震災時朝鮮人虐殺とは違う性質がある。

彼らは災害を好機として、災害の混乱に乗じて、外国人労働者を実力をもって排除したのだから。

もちろん、朝鮮人と間違われて殺された者がいた事は間違いないだろう。皆無とは言わない。

だが、大きな割合を占める被害者がそうではない殺されかたをしている以上、そこを無視するわけにはいかないのではないかと思う。

そして、その点には関しては、まったくと言っていいほど振り返えられてはいない。

関東大震災時朝鮮人虐殺が振り返れているかどうかと言えば、それは当然良く言えば不十分だし、ほとんど振り返られていないともいえるだろうが、中国人虐殺はまったく振り返られていない。

これで良いワケがない。

と思うけどね。

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兵隊に行かないでも子供を食わせてやるのは政府の仕事だと思う

雨降る前にちょっと歩いたところにある安売りの八百屋に行ってきた。私歩くの好きなのでちょっとと言っても片道30分くらいかかるんですが、商店街を楽しく歩いていくので体感は「ちょっと」です。安売りのリンゴやしめじなどが買えたのでご満悦です。朝ご飯食べずに行ったのでお腹が減ってしまって帰りにチェーンのうどん屋に寄ろうかと思ったが、スーパーで冷凍うどん買ったほうが安いなと思ってそうした。
帰宅してから冷凍うどんを解凍した上にさっき買ったしめじと生卵載せてまた2分ほどチン、更にキムチと揚げ玉と麺つゆかけて食べました。美味しかった。そして食後に自分で作ったアイスコーヒーを飲んでおり、気の利いた喫茶店のランチセットのようです。しかし変な時間に食べてしまって昼飯どうしよう。

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同窓会で会った旧友たちの口から語られるのは他愛もない思い出話ばかり……奇妙な感を覚えた男は「戦時中は辛かった」と水を向けるも、旧友たちは「覚えがない」と驚き呆れるばかり。
どうやら戦争の記憶が抜け落ちているらしい。
そんなはずは、と家族に聞いても同じ反応で「戦争はなかった」と言われ愕然とする。
図書館の本にも教科書にも戦争の歴史は記述されていない。
妻から「昔のことなどどうでもいい。これからのことを考えて」と言われ、一度は納得しかけるも「数多の犠牲者をなかったことにする歴史は大切なものを取りこぼしている」と激昂する。
プラカードを掲げ、ビラを刷り、街頭で「戦争はあった」と訴えるも、男は何処かへ連行されていく。
小松左京『戦争はなかった』

歴史を省みず、あったことを見ないことの恐ろしさを訴えるこの小説は1974年初版。
それから50年、この小説が現実に近づきつつある。



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ああ、この人が知事だったらなぁ…
千里の馬は常にあれども伯楽は常にはあらず。

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