「夏が終わっていく」(鳥山絵葉書野外手帳)
https://toriyamaehagaki.jpn.org/fnb_html/note.html#8j リンク先野鳥・昆虫写真有
ツルボが咲き始めました。夏の終わりを感じさせる花の一つです。
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そこで目にする光景ですが、故人の出発を見送った“同期”の人の姿からは何とも言葉で表せないものが背中から伝わってきます。超高齢(おそらく病身)の身を無理して参列椅子から立ち上がり、杖をつきながら慰霊碑に向かって旧軍隊式の「敬礼」をするのです。弟さんや妹さんも(軍隊敬礼はしませんが)黙とうします。
この人たちの「故人の『死』は何らかの意味があるものだった」と思いたい気持ちは理解してあげなければならないと思います。その場にいて、そのように思います。
先日読んだ、音楽家・林光さんの『音楽の学校』の中に靖国神社にやってくる遺族の人に関してこんな一説がありました。
「ぼくがもし、そういう遺族の一人だったならば、例えば、仮にぼくの親父が戦争で死んだ、一兵卒で死んでいたとしたら、親父の死んだことが無駄ではなかったと思いたい。つまり『おまえの親父のやったことは全部パーだ、何もなかったんだ』というのではとても耐えられなかったと思う。」 ←これに近いです。
私のではなく、ある人(他人様)のプライバシーに少し関わるので詳しくは書けないのですが、この10年ほど、ある場所で開催される予科練戦没者追悼会にほぼ毎年参列しています。これは個人的な動機から。
念のために、私は「特攻」は軍国主義国家による若者に対する自殺強要、許されるべきではないと考えています。また靖国神社は廃止し、国の戦没者の追悼は千鳥ヶ淵のみで行うべきと考えますし、また現在の自衛隊組織も、旧日本軍とは絶対に「別組織である」という一線を引いて運営するべきと考えています。
さてその予科練戦没者の追悼会、私は自由参列席に座り見ているのですが、10年ほど前は関係者席に名札が貼ってあり、そこから、“同期”のご本人、故人の弟さん・妹さん・子供さんなどが参列していることがわかります。この10年で故人の“同期”の人はほんとうに少なくなりました。皆さん高齢でお亡くなりになっていくのですね。故人の弟さんや妹さんも高齢化が進んでいます。
小学校の頃で聞いた戦争に関する加害体験の記憶(私がしていいか分からないが、私も毎年思い出すほど記憶に残ったので)
そのお話に来てくれた方が一番記憶に残ってて今も夢に見ると仰ってたのが、2名の中国人男性を上官に銃剣で刺して殺すように命令されて磔にされた同僚と2人で1人1人ずつ刺して殺した、その人達は民間人だった、という話だった。同僚が刺す方の方は泣いて必死で中国語で「何もしていない」と言っていた、と(話者の方は中国語が分かる人)。自分が刺す方の方はじっとただこちらを見て睨むわけでもなく呆然とするわけでもなく「今から自分を殺す私の顔をしっかり覚えていようとしている」と思った、と仰っていた。その後2人とも簀巻きにして川に流し、その遺体が包まれた簀巻きがぷかぷか流れていく様子が目に焼き付いていると、最後の方は涙を押し殺しているような声でお話されてたのを覚えてる。戦争体験を話す機会には必ずこれを絶対に話す、今もきっと彼は私を見ている、私のする事をじっと見ていると思ったら絶対に話さなければいけない、話さずにはいられない、と仰っていた。
私も戦争の被害体験は教科書や資料集、毎年のニュース等で観ていたが、加害体験を話す人に出会ったのは当時初めてだった。夏に限らずよく思い出す。
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森さんが「”臭い”はド直球の差別」ってギチギチに主張し続けていて、にも関わらず「臭い」がどうしても話題になり続けるのは、たぶん「匂い」というのが非常に他者侵害的な事柄だからだと思う。「見ない」はある程度可能だけれども、「匂い」というのは同じ空間にいたらどうしても、「私」に侵害してくるものだから。
一方で「臭い」がこれだけ「悪」のように語られるのは、それだけ日本において「個人の権利を、別の個人が侵害したら、ぶっ叩いていい」という認識がベースにあるんだよな。
ずっと感じていることだけど、公正性に基づく「常識」が無いんだよね。常に属人的に謎のルールが作られていくから、こんなことになる。
じゃあ自分が「臭い」に直面したらできることって何かって、もうそれはケースバイケースってことなんだろう。近しい人間で、きちんとした関係性ができているなら指摘することもあるだろうし、そうでないなら、自分が距離を空けるしかない。「そのように存在する」権利を誰も阻めないからね…。
BT
リンクがうまくとべなかったので、はりなおしておきますね。
https://weibo.com/tv/show/1034:5067330439282766
フィリピンの元「慰安婦」の女性について、今ぱっと思い出せるのは、「レッドマリア それでも女は生きていく」というドキュメンタリに、当事者の方が出ていらしていたと思います。
これはとてもいい映画なので、見たことがないという方はぜひ。
(レンタルで見られます)。
今日は世界『慰安婦記念日』一部のフィリピンの「慰安婦」被害者家族は抗議活動を行い、日政府に正式に謝罪し、賠償を支払うよう求めました。日本がフィリピンを占領している間、フィリピンの女性1000人以上が「慰安婦」として強要され、現在も生きている被害者はごくわずかで、彼女たちは一生謝罪するのを待っていない。2017年、フィリピンは「慰安婦」の記念像を作ったことがありますが、わずか4ヶ月後、日本政府の圧力で取り壊されました。
http://t.cn/A68khIvwhttp://t.cn/A68khXXz
昨日ジュンク堂で買った本を紹介するぜ(久しぶりにブログを更新するな…)。
まず左から『現代詩手帖8月号 特集:動物と読む現代詩』、これは全体的に面白そうなタイトルの読み物が並んでたのと、立ち読みした青本柚紀『氾濫する反射光 水沢なおにおける身体の攪乱的な表象』がいい感じだったので買った。
真ん中の太田奈名子『占領期ラジオ放送と「マイクの開放」
支配を生む声、人間を生む肉声』はたまたま棚に並んでるのを手に取って立ち読みしたらけっこう温マ案件っぽさを感じたので買った。”ラジオからの声を、GHQによる支配構造を強化するために発信される〈声〉と、占領下を生きる民衆間の共鳴を喚起した〈肉声〉として捉えなおすことで、アメリカの占領政策、天皇の戦争責任、戦後日本の民主化を再考する。”とのこと。
右の岡真理・小山哲・藤原辰史『中学生から知りたいパレスチナのこと』は、話題になった藤原辰史「ドイツ現代史研究の取り返しのつかない過ち—パレスチナ問題軽視の背景」 が掲載されている本で、世界史、とくにヨーロッパの近現代史を学び直すうえでもめちゃくちゃ参考になりそうと思って買った。
本屋の並びを半ば世間だと思っているところがあるので、パレスチナ関連の本が目立つところで面だしされていると少しほっとする。みんなも買った本とかあったら紹介してね~。
映画と読書と漫ろ歩きを愛する氷河期世代