OpenAI、評価額800億ドル以上の取引を完了とNew York Timesが報道。10カ月で企業価値は3倍に。
「公開買付け(tender offer led)」で既存株式を売却する。通常の事業資金調達とは異なり、従業員が保有する株式の現金化が可能になるという。Thrive Capitalがリード。
昨年にも同様の取引を行い、評価額290億ドルだった。
なお、昨年のアルトマン解任をめぐる混乱については、法律事務所WilmerHaleが調査中である。報告書が出る予定。
https://www.nytimes.com/2024/02/16/technology/openai-artificial-intelligence-deal-valuation.html
小澤征爾氏の追悼文より。小澤が29年間、首席指揮者を務めたボストン交響楽団のWebサイト掲載。
https://www.bso.org/stories/a-tribute-to-seiji-ozawa
"親切で思慮深い人道主義者、指揮台でのバレエのような優雅さと天才的な記憶力を兼ね備えた音楽の天才(1983年、メシアンの大作オペラ『アッシジの聖フランチェスコ』の世界初演を楽譜なしで指揮した)、そしてボストンとそのスポーツチームの熱烈な愛好家:セイジは世界中のファンにとって、これらすべて、そしてそれ以上の存在だった。彼の遺産は、私たちの集団的、個人的な多くの思い出と、彼の忘れがたい録音を通して生き続けています。マエストロ・オザワのご家族、ご友人、そしてクラシック音楽界に深い哀悼の意を表します。"
感想:
「指揮台でのバレエのような優雅さ」という所に、「あなたもそう思いますか!」とうなづいてしまった。
小澤征爾の指揮は見ていて楽しかった。体の動きが芸術。
ウィーンフィル・ニューイヤーコンサートで小澤征爾が指揮した回では、恒例のバレエのシーンより、小澤征爾の指揮の方が見ていて「楽しい! 面白い!」と思ってしまったのでした。
「李沢厚の脳」の件で、South China Morning Postも記事を出した。
"晩年の李氏と親交があり、李氏の著書の編集者でもあった馬群林氏は今月初め、李氏の脳は遺言に従って 米国で凍結されたとメディアに語った。" "この暴露は先週、中国の知識人の間に波紋を呼び、多くの学者が李の型破りな遺志にショックを表明した。"
"「積澱」(Ji Dian)は1960年代に李が提唱した美学理論で、人が歴史や文化に触れることで、脳の物理的構造にその痕跡を残すことができると主張する。"
感想:
将来の脳科学で「哲学者の脳」を調べることは意味があるかもしれませんが、成果が出るかどうかは非常に不確かな話ではあります。ご本人もそこは納得の上だったようです。そしてアルコー財団は、不祥事の報道もありましたが、それでも米国在住の知識人にかなり食い込んでいるようです。
(用語の表記は翻訳ソフトの助けと推定に基づいています。中国語翻訳の専門家からの突っ込みを歓迎します)
数百年後、私の脳内に中国文化の名残が見つかるかどうかで、私の累積理論が証明される。もし(文化が脳に)影響があることが証明されれば、それは私のすべての著書を合わせたよりも大きな貢献だと思う」
「私は復活を望んでいるわけではないので、脳科学が進歩して研究が可能になるまで、できるだけ長く保存してほしいと思っているが、それができるかどうかはわからない。それはもう、空言ではなく、95パーセントは無理だと今は見積もっています」
下記のAlcor財団の公開名簿を見ると、2021年に "Zehou Li | Neuro"(李沢厚, 脳)とある。上記の証言を裏付ける資料だ。
●Complete List of Non-Confidential Cryopreserved Alcor Patients
https://www.alcor.org/complete-list-of-non-confidential-cryopreserved-alcor-patients/
(続く
中国の哲学者、李沢厚は天安門事件の学生らを支持したことで知られる。1992年、米国に移住した。2021年に米国で死去したが、遺言に従いその脳が8万ドルの費用を支払い冷凍保存されていることが分かった。目的は復活のためではなく、自分の理論の検証のためだという。
下記は日本語の記事。Yahooニュースにも転載された。
中国人哲学者の脳、500年間凍結中, BANG Showbiz, 2024/02/15
https://nordot.app/1130934288475783253
この件に関して情報源をメモしておく。初出は下記の記事。翻訳ソフトの助けで読んでみる。
马群林, 李泽厚的“冷冻头颅遗嘱”已执行,人生最后震撼的感叹号, 學人Scholar, 2024-02-03
https://mp.weixin.qq.com/s/V0hgczYFO_KG33iC8JqEVw
"李沢厚と交流があった編集者の马群林(馬群林,)が、北京で李沢厚の夫人と息子に面会。息子から、遺言通り脳が冷凍保存されたことを知らされた。
李沢厚は生前のインタビューで「"私は墓碑銘を持たない。しかし、私の頭を未来に残して凍結し、300年か500年後に再び取り出すつもりだ」と語っていた。「私は、文化が脳に影響を与えるかどうかを証明しようとしている。(続く
日本においてSDGsが"一人一人が生活を工夫しよう"と誤解させようとしていることは、「人権」が個々人の思いやりであるかのように誤解されている状況と似ている。どちらも、本来は「力を持つもの」に向けた概念なのだ。
SDGs(持続的な開発のための2030アジェンダ)の大事なところは、各国の政府、それに世界経済フォーラム(ダボス会議の主催団体)や、その他の経済団体が大筋で合意したこと。金融経済界の合意を作ったことは、大きな前進といえる。
一方、憂慮すべき動きも出てきた。米国の共和党支持の州は、環境に配慮する経済、経営を嫌い、「反ESG(ESGは環境・社会・ガバナンスの略で、企業経営に新たな指針を持ち込む動き)」を掲げる。ESGを市場経済の自由に介入する左派的な動きと決めつける。いまや「脱炭素は左派エリートの陰謀」みたいな言説が力を持ち始めている(トランプもこの立場)。
米国保守派の反ESGはいわば"反動のための反動"だが、斎藤幸平がマルクスを引いて「SDGsは大衆のアヘン」と唱えるとき、トランプら米国保守派と一緒にSDGsを攻撃する形になってしまう。
ここは再考の余地があると思うのです。
斎藤幸平は『人新世の資本論』で「SDGsは大衆のアヘン」と切り捨てた。同書の本題であるマルクスの「宗教は民衆のアヘンである」に倣った言い方。これは本来のSDGsにとっては災難だった。
https://www.moneypost.jp/1112680
マルクスに立ち返り、資本主義や経済成長そのものを疑うスタンスの斎藤幸平氏にとって、資本主義を肯定するSDGsを「敵」認定することは、まあまあ整合性は取れているのかもしれない。ただし私個人は、SDGsを「敵」認定することには賛成できない。むしろ擁護したい。
私の意見では、言葉を足して「"一人一人が生活を工夫しよう"という文脈で流布している"日本のSDGs"は民衆を騙すためのアヘンである」という言い方が正しい。
本来のSDGs、国連が2015年に打ち出した「持続的な開発のための2030アジェンダ」とは、脱炭素、格差是正、水の安全など多数の「2030年までに達成すべき数値目標」を掲げ、国家や企業や投資家らが、その目標を達成できる方向にマネーを選択的に回し、経済を回そう、という取り組みだった。「誰一人取り残さない」というスローガンは、個々人ががんばりましょう、という話ではない。すべての個人を救う方向に経済を回しましょうという意味だ。
(続き
気になっていた記事に目を通すことができた。
山形新聞2/5付けマルクス・ガブリエル談話が写真で読める。
https://fedibird.com/@crowclaw109/111928952980280065
おそらく、下記の1/15付け山陰中央新報と同じ記事。
https://www.sanin-chuo.co.jp/articles/-/513169
今後、マルクス・ガブリエルに言及するときには、「ガザ虐殺問題ではドイツ政府公式見解に沿ったイスラエル支持のコメントを出した」と断り書きを付けないといけない。
もともとマルクス・ガブリエルは「中立のスタンスを保つことで影響力を持ちたい」(大意、出典は『全体主義の克服』, 集英社新書)と述べていた。つまり意図的なノンポリなのだが、今のドイツにおいてノンポリであることは強いイスラエル支持を意味するのだろう。
そういうガブリエルは、ハイデガーを「本物のナチ」、戦時下でナチ党員になっただけでなく「"暗号化されたメッセージ"により、戦後のドイツでナチが力を維持できるように援助していた」と非難しているのだが……
記事を見ると、国連、WHOのジェノサイド非難は、「ドイツ公式」の見方だと「イスラエルの自衛権を妨害するハマスのプロパガンダにはまっている」ということになる。ドイツの知識人の言説はかなり念入りに検討しないといけない。 [参照]
フジテレビの「番組審議会」で感じた懸念を言語化しておきたい。
人権擁護という課題に関して「中立」や「両論併記」を装うことは、倫理に反する。
そもそも日本国憲法は、国が人権を擁護する義務を明記している。そして国際人権法の多くの条約を、日本は批准している。
すなわち、日本の人々は人権を守る義務があるのであり、人権を守る、守らないの立場には、「中立」や「両論併記」はありえない。
すべてを相対化する相対主義は、倫理の崩壊を意味する。
世の中の価値観が多様化し揺らいでいると憂うのであれば、だからこそ世界が共有する倫理規範であり国際法である「人権」を守ることが求められるだろう。
反人権言説は正義に反する。同様に人権に関する「両論併記」も、正義に反する。
https://fedibird.com/@AkioHoshi/111924225125122852 [参照]
●人権を擁護する立場の意見
- テレビは勝ち組の集まりだった。弱者の視点や他者をおもんぱかる力が無意識の内にずれてくる。一人一人が弱者に寄り添う人生観を持つことが港社長の言う“愛”なのでは
- 視聴者、出演者、取材対象者だけでなく、テレビの番組制作に携わる人々の人権にも目を向けてほしい。自身の人権を守られていないスタッフが、テレビの向こうの人の人権に敏感になれるはずがない
(感想:これは正論。現場の人々の人権を守ることから始めるのは正攻法といえる。「ビジネスと人権」の原則に照らすと同じ意見に落ち着く)
- 関東大震災では誤報が人々の思想を先導し、誤った思想に基づいて大勢の命が奪われたという悲惨な過去がある。その過去は絶対忘れてはならない。テレビ報道はSNSがどうであろうと、真実しか放送しないということを固く守ってもらいたい
(感想:これは大事。フェイクニュース、ヘイトスピーチを流さないことはメディアとして最低限のモラル)
こう見ると、いい話とひどい話の両方が含まれていました。「両論併記でアリバイを作ったが、本音はこうだよね」みたいな運用にならないことを願います。
●中立的に見える意見
- 表現者はギリギリを攻めなくてはならない場面が多々ある。第三者(視聴者・読者)に「その表現がどうしても必要だ」と、どれだけ説得力を持って伝えられるかが制作者のプライドなのでは。まさに“腕”が試されている
- 放送における倫理や人権が何かを明確にすべき。フィクションの中でも表面的な正しさを表現するのではなく、人としての根源的な正しさを番組を通して打ち出していくことが大切。そうしなければテレビ番組はどんどん委縮し、つまらなくなる
(感想:倫理規範を明文化するのはいいこと。ただし、日本の組織風土ではなかなか真意が伝わりにくいかもしれない
- 大きな地震等でテレビの放送が中断され、必要な情報が届かなくなるようなことがあってはならない。そのために最新の技術を使い必要な人に利用してもらえるような技術を研究してほしい
(続く
フジテレビの「番組審議会議事録概要」が話題です。
https://www.fujitv.co.jp/company/action/shingikai/shingikai_533.html
内容を整理・紹介し、コメントします。
●明白な反人権の意見
- 人権はもちろん大切だが、人権をうたえばうたう程、テレビだけが宙に浮いてしまって堅苦しい箱になってしまう
(感想:人権をうたいたくない理由はなんだろう?)
- 人権意識が強くなりすぎると良い表現ができなくなり、テレビ局の挑戦も締め付けられ、番組がつまらなくなり、世の中から見捨てられてしまうのではないか
(感想:人権を意識するとできなくなる「良い」表現とは?)
●真意が掴みかねる意見
- テレビが行儀の良いことを目指しすぎる動きの中で、テレビ以外の媒体の方が真実だったり、面白いと思われないか、危険性を感じる
(感想:人権=行儀が良い=真実と反する/面白くない、といった連想による印象操作の疑いが強い)
- 日本人の人権が最も脅かされるのは他国からの侵略を受けたとき。中国におけるウイグルの人権侵害や、ロシアによるウクライナ侵略後、学校の言語をロシア語に変更したことなどをどれだけ「人権」という観点から報道したか。テレビは公の器としての役割を要求されている。報道番組はもっと世界の人権問題を伝えるべきではないか
(感想:論点ずらしか)
(続く
米国で、自動運転タクシーの人身事故が相次ぎました。最近では車両が群衆に襲われる事件が起きました。 自動運転車の人身事故をめぐる状況をまとめました。
記事の結び。
「今までの事故の経緯を見るなら、自動運転車の技術はまだまだ未熟と言わざるを得ない。次の事故は必ず起きるだろう。そんな中、日本でも米国でも、自動運転車の事故に関する「事業者の刑事免責」がうやむやのうちに定着してしまうなら、それは市民感情から乖離していると言わざるをえないだろう」
Waymoの自動運転車が群衆に襲われる。事故が相次ぐ自動運転車への反感か
https://newspicks.com/topics/tech-and-human-rights/posts/3
戸谷洋志先生のツイキャス聴いてました。
https://twitcasting.tv/toyahiroshi/movie/787134091
近刊『親ガチャの哲学』(新潮新書)のお話、
『哲学のはじまり』(NHK出版)のお話(むちゃくちゃやさしい哲学入門書で、とても売れているそうです。星からもオススメ)
そして2月に出る『恋愛の哲学』(晶文社)のお話。
(プラトンを用いて18世紀的「ロマンティック・ラブ」をぶっとばす!)
そして2/13 19:00- からは蔦屋書店で対談企画があるそうです。
https://store.tsite.jp/daikanyama/event/humanities/38346-1637360117.html
補足:富の一部を慈善活動に投じていたテック富豪は、具体的にはサム・バンクマン=フリードを指す。
(ちなみに、楽天の三木谷浩史会長兼社長も、フルブライト・プログラムに9000万円、ウクライナに10億円を寄付)
サム・バンクマン=フリードは、イーロン・マスクに話しかけて慈善活動に協力してもらおうとしいたが、あまり関心をもってもらえなかったそうだ。イーロン・マスクは慈善活動には関心が薄いと思われる。
イーロン・マスクは、自分の資産を慈善活動に振り向けるのではなく、「人類を火星に植民できるようにする」方向に投資することにより「人類絶滅の可能性を減らす」ことが良いことだと考えている。この考え方は「長期主義」と位置づけられる。問題のひとつは、こうした判断がイーロン・マスクという独裁者の気分ひとつで下されること。
税金を払い民主主義に基づき分配する仕組みを軽蔑し、「資本主義の成功者である自分の方が良い判断を下せる」と考えることが、テック富豪らの共通点のひとつ。
ビル・ゲイツが慈善活動にお金を出すのは良いことだが、自分のやり方を押しつけ数字で管理したがり、現地のニーズを聴く姿勢が乏しいと批判されている。 例えば、人口問題への取り組みで女性向けの「皮下に埋め込む避妊用インプラント」にこだわった。解除するには外科手術で取り出す必要があり、自己決定権の観点から避けたい人もいる。
(話は変わるが「慈善団体に就職するより高収入の職について積極敵に寄付しよう」と呼びかける「効果的な利他主義(EA)」コミュニティも危うい)
ビル・ゲイツは、いわば啓蒙専制君主のような存在で、まだマシな方だ。より若い世代のテック富豪はもっと危ない独裁者だ。例えばイーロン・マスク、ピーター・ティール、マーク・ザッカーバーグ、マーク・アンドリーセン。OpenAIのサム・アルトマンや、FTX創業者で金融犯罪で長期刑が予想されるサム・バンクマン=フリードも同類だ。
加速主義、長期主義、アイン・ランド、ニーチェが人気。ピンカーのいう"19世紀ロマン主義的"誇大妄想に取り憑かれた人々だ。
かれらテック富豪に共通する「気分」については記事で触れた。
OpenAI内紛劇の背後に「21世紀の優生思想」、EAコミュニティとe/accの危険性
https://globe.asahi.com/article/15087941
「テック富豪(あるいはテクノ封建領主)たちの思考」について考え中。
彼らの共通点は「社会の理不尽を認識することの苦痛を避けて通る」傾向、という知見に至った(ある種の「故意の無知の誤謬」)。
ビル・ゲイツはスティーブン・ピンカーの著書『21世紀の啓蒙』を絶賛する。この本は、トランプ的な非合理性・反知性主義ではなく、理性の力を信じようと述べる(なので「啓蒙」)。『FACTFULNESS』と同様にデータを挙げて「社会は改善されている、それは理性のおかげだ」と論証する。
トマ・ピケティが指摘する不平等の存在も、「経済規模が底上げされているのだし、不平等そのものは問題ではない」と切り捨てる。 これはテック富豪には気持ちがいい本だ。
ビル・ゲイツとピンカーの共通点は、白人男性エリートの視点であること。理性を称揚するのは良いが、フェミニズムやポストコロニアルからの異議申し立てを過小評価する。弱い者の声に耳を傾ける態度はない。西洋中心の古い価値観のままだ。
ビル・ゲイツは慈善活動に大金を拠出している。だが、最近、その資金の使い方が独善的として批判する本が出た。(続く
ITジャーナリストです。
仕事リスト:https://note.com/akiohoshi/n/nebac412b6c12