●中立的に見える意見
- 表現者はギリギリを攻めなくてはならない場面が多々ある。第三者(視聴者・読者)に「その表現がどうしても必要だ」と、どれだけ説得力を持って伝えられるかが制作者のプライドなのでは。まさに“腕”が試されている
- 放送における倫理や人権が何かを明確にすべき。フィクションの中でも表面的な正しさを表現するのではなく、人としての根源的な正しさを番組を通して打ち出していくことが大切。そうしなければテレビ番組はどんどん委縮し、つまらなくなる
(感想:倫理規範を明文化するのはいいこと。ただし、日本の組織風土ではなかなか真意が伝わりにくいかもしれない
- 大きな地震等でテレビの放送が中断され、必要な情報が届かなくなるようなことがあってはならない。そのために最新の技術を使い必要な人に利用してもらえるような技術を研究してほしい
(続く
●人権を擁護する立場の意見
- テレビは勝ち組の集まりだった。弱者の視点や他者をおもんぱかる力が無意識の内にずれてくる。一人一人が弱者に寄り添う人生観を持つことが港社長の言う“愛”なのでは
- 視聴者、出演者、取材対象者だけでなく、テレビの番組制作に携わる人々の人権にも目を向けてほしい。自身の人権を守られていないスタッフが、テレビの向こうの人の人権に敏感になれるはずがない
(感想:これは正論。現場の人々の人権を守ることから始めるのは正攻法といえる。「ビジネスと人権」の原則に照らすと同じ意見に落ち着く)
- 関東大震災では誤報が人々の思想を先導し、誤った思想に基づいて大勢の命が奪われたという悲惨な過去がある。その過去は絶対忘れてはならない。テレビ報道はSNSがどうであろうと、真実しか放送しないということを固く守ってもらいたい
(感想:これは大事。フェイクニュース、ヘイトスピーチを流さないことはメディアとして最低限のモラル)
こう見ると、いい話とひどい話の両方が含まれていました。「両論併記でアリバイを作ったが、本音はこうだよね」みたいな運用にならないことを願います。