今夜は火鍋、大根の皮のアーリオ・オーリオ。
火鍋は薄切りラム肉たっぷり!!!生姜と大蒜をスライスし、きのこ(えのき、エリンギ、しめじ)と長葱、キャベツと大根、豆腐と火鍋の素(ナツメ、クコの実、花山椒、クミン、ナツメグ、クローブの香味パックと紅白のスープ)を水で煮て、沸いたらラム肉を煮込みます。うわゎ、何じゃこりゃ?!?!ぅ、うんまいっっ!!!ラム肉は臭みがなく、甘い……。あ!辛い!!辛い、旨い!!あぁぁ、最高だな……。大根の皮のアーリオ・オーリオは鍋に使った大根のもの。鍋用は皮を厚く剥く。その皮もシャッキリ美味しいのです。
「〆はラーメンで!」と書いてありましたが、中年二人は満腹なので明日へ。楽しみ!!
お酒はカヴァ。軽い飲み口なのが鍋に合います。
#fedibird
#幻聴と闘う晩御飯
山井教雄『まんが パレスチナ問題』(講談社、2005)、『続 まんが パレスチナ問題 「アラブの春」と「イスラム国」』(講談社、2015)読了。
ユダヤ人でエルサレムに住んでいるニッシムとパレスチナ人でエルサレムの東のアブディス村に住んでいるアリとエルサレムの猫によって、歴史的にパレスチナ問題を見ていく。
話は旧約聖書から始まる。これは良かった点。概略がわかり、取材に基づいた本だと思う。
岡真理の『ガザとは何か』と比べて読むと、「ハマスには否定的」「イスラエルの情報を鵜呑みにしている可能性がある」「両書ともエピローグが微妙」だと思う。ただ、岡が積極的に無視したハマスによる自爆テロ、その勧誘についての欺瞞を本書では指摘している。
私は岡の本の次に読んで良かったと思う。次は臼杵陽 ・鈴木啓之編著『パレスチナを知るための60章 エリア・スタディーズ』(明石書店、2016)を読む予定。
#読書
ラムセロリ餃子だよ!!付け合せにカリフラワーのカレーピクルス。
ぎょぱだよ!!
ラムはジンギスカンのタレ大匙2くらいとでFPでガーッと撹拌して、大蒜1片、生姜1片を炒めて香りが立ったところに合わせて炒めます。さらにセロリ3本を0.6mm角で切ったものを合わせます。火が通ったら、セロリの葉のみじん切りしたのも合わせて、小匙1の片栗粉を水で解いて合わせ、とろみがついたら餡のできあがり!アボカドは0.8mn角で切って、モッツァレラチーズと合わせます。あ!モッツァレラ余った!
それらを全てを餃子の皮で包んで、ホットプレート230℃でカリカリに焼きます。
餃子そのもので鹹味を決めて、辣油酢で頂くと減塩に。少し余っていたかぼすを絞ったら、瑞々しくて最高……!!アボカドチーズにはハバネロソース&「ぽん酢しょうゆ馬路村(通称:赤キャップ)を少し。旨い……。チーズが焦げたものがまた美味しい……。ですが、最後はラムセロリで〆ます。
カリフラワーのカレーピクルスは、ピクルス液でちょっと煮立てると味が染みます。蜂蜜味がほっとする、粒胡椒が香り高い一品。
ワインはカリフォルニアNAPAのピノ・ノワール。ピノ・ノワールはカップリングの難しいワインだと思うけれど、ラムには最高です……。
#幻聴と闘う晩御飯
#fedibird
今晩はセロリ蛸焼き。
セロリはわさっと半束で98円!!これは!!と思い、もうおせちはいいっしょ、とセロリ蛸焼き。
FPにかけたキャベツ150gと生姜1片、7mm四方のピーマンとパプリカとセロリ2本、干し海老、蛸どっさり(蛸は小さく切った方が旨味が行き渡る)。モッツァレラチーズどっさり。
セロリと蛸は相性抜群……!!セロリが瑞々しくて、蛸の旨味と最高……!!セロリとピーマンが違う苦みで、複雑さを与えてくれて深い……!!パプリカは熱が入ると甘い……。また、干し海老の旨味が蛸の旨味と響き合う……!!生姜、フレッシュな辛さ……!!ホットプレートでの蛸焼きは油でギトつかないのも素晴らしい!!
ソースは「おたふく」のソース&ハバネロソースorベトナムグリーンチリ、「ぽん酢しょうゆ馬路村(通称:赤キャップ)の4種。ソースはうま甘辛く、赤キャップは明石焼き風、ベトナムグリーンチリの海老の旨さ……!!本当にどれもセロリ蛸に合う……!!
蛸焼きはご馳走!!!
ワインはカリフォルニアのシャルドネを。蛸にもセロリにも本当に合う……。
朱 喜哲 『〈公正(フェアネス)〉を乗りこなす: 正義の反対は別の正義か』(太郎次郎社エディタス、2023)読了。
ジョン・ロールズとリチャード・ローティを中心に、その議論やことばづかいを「推論主義」「意味の使用説」の立場から検討する。
ロールズが導入する「正義(justice)」と「善/よいこと(then good)」の区別、正義の「概念(concept)」と「構想(conception)」の区別を押さえ、「よい」ことについての考え方(「善の構想」(conception o the good))は個々人の考え方や価値観であり、それ同士は互いに衝突し抗争を招くことがあり得る。対して、「正義」は競合し得る善構想同士を、調停し、合意に至った状態において実現するものであり、そのための一連の手続きであるとする。
個人的には、「正義」とは構造の問題だとし、「合理的配慮」なる言葉が負担感をともなった言葉遣いだと指摘。「しかるべき調節」と訳出すべきだったとする点に強く興味を持った。
#読書
山内志朗『小さな倫理学入門』(慶應義塾大学出版会、2015)読了。
教科書的なものではなく、哲学的なエッセイ。詩的なところもあり、冬の夜に読むのに向いている。
西洋・東洋の哲学を横断する、静かな思索が進んでいく。
〈一枚一枚の棚田に満月が映るように、一つ一つの溜息には名号が宿り、一粒一粒の涙には光が宿っています。泣いて悲しんでいても生きているのはよいこと、理由もなくよいことなのです。〉
#読書
渡辺 一史『なぜ人と人は支え合うのか 「障害」から考える』(筑摩書房、2018)読了。
『こんな夜更けにバナナかよ』の著者による、「ちくまプリマー新書」。
「相模原障害者施設殺傷事件」の植松聖被告は「障害者なんていなくなればいい」という趣旨の供述をした。その考え方を高みから全否定するのではなく、その主張をわが身に照らして、じっくり吟味してみる必要があると著者は書く。
和光大学名誉教授で哲学者・生物学者の最首悟氏にはダウン症で重度の知的障害がある娘と暮らしている。あるとき拘置所にいる植松被告から手紙が送られてきた。「大学で指導する人が、社会の負担になる重度障害者と暮らすなんてありえません」と。最首氏は「八つ裂きにしたい」怒りを堪えて、植松被告と接見を始める。そして、植松被告の人物像が浮かび上がる。
本書にはさまざまな「活動」する重度障害者が描かれる。そして、彼彼女ら「支えられる」だけの客体ではなく、介助者や行政も彼彼女らに「支えられる」様子もつぶさに描かれる。
〈人と人が支え合うこと。それによって人は変わりうるのだということの不思議さに、人が生きていくことの本質もまた凝縮している〉
#読書
今晩は鶏肉のハニーマスタード焼き、出汁漬けの数の子のマヨネーズがけ。
鶏肉のハニーマスタード焼きは小林まさみさんのもの( https://www.ntv.co.jp/3min/recipe/20141002/ )
蜂蜜がどっさり入るのが美味しい。我が家では、たっぷりレタスに、追いマスタード。ぅう、ぅう、ぅ旨いっっ!!薩摩芋も優しい……。
数の子はおせち的な意味はどうでもよく、味が好き。塩抜きして、我家出汁(田中屋醤油、昆布、干椎茸)で漬けて、マヨネーズ!!と、七味!!旨い!!大好き!!
お酒は亀泉 純米吟醸 生原酒 CEL-24。
静かな晩がゆっくりと進んでいきます……。
#幻聴と闘う晩御飯
#fedibird
斎藤環『「自傷的自己愛」の精神分析』(KADOKAWA、2022)読了。
「自傷的自己愛」とは自己否定的な言葉で自分を傷つけ続けながら、自分自身について、あるいは自分が周囲からどう思われるかについて、いつも考え続けている状態。「自分がダメであることに関しては、誰よりも自信がある」という意識、プライドが高く自信がない。
承認依存が「キャラとしての承認」への依存であるのと同様に、自傷的自己愛は「キャラとしての自分」に対する否定。
創造的な営みは、低い自己肯定感からもたらされる場合も多く、無理に上げられた自己肯定感は反作用も大きい。
自己愛とは「自分が好き」という感情ではなく、「自分自身でありたい」という欲望。
自己愛そのものは「人間が生きていくための必須条件」で、自傷的自己愛は治療が必要と断定できないまでも、なんらかのケアや支援が必要であるような問題をもたらす。
自傷的自己愛の緩和にはまず「自覚」が必要。
読んでいて、私自身にもある気質だなと思った。心の脆いところはなかなか成熟しない。緩和策として挙げられている「オープン・ダイアローグ」は有効かもしれないが、安全に参加することへのハードルの高さも感じた。
#読書
俳人・岡田一実。俳句とか考えごととか。美味しかった話とか、読んだ本の記録とか、香水(主に量り売り)とか、旅のこととかいろいろ揺らぎつつ。幻聴があり、人生はだいたい徐行。リブ返しはちょっと苦手。体調によっては返せません。
HAIKU,for its own sake. she/they
句集に『境界ーborderー』(2014)、『新装丁版 小鳥』(2015)、『記憶における沼とその他の在処』(2018) 、『光聴』(2021)、『醒睡』(2024)。単著に『篠原梵の百句』(2024)。