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イマドキの子(つまりZ世代)って、教育レベルは結構高くて、頭は決して悪くないし、デジタルネイティブだし、意識も高い(特に人権問題や環境問題に関して)んだけど、なぜか「教えてもらわないと分からない」傾向が強い気がする。つまり、手軽に情報が得られなかったり、与えられなかったりすると、もう何をどうしたらよいか分からない。どうしたらよいか、自分の頭で論理的に結論づけるために必要な情報は十分もっているはずなのに、自分の脳のそういう自発的な使い方が分からない、みたいな。その位、ちょっと頭を働かせればわかるよね?みたいなことも、言われて初めて「ああそうなんだ」となり勝ちじゃない?

我が家、やはりもう2部屋は必要だよなぁと思うのだが、この家を改装して2部屋作ることは物理スペース的には可能でも、作業にかかる時間とコストは勿論その間の諸々を考えると…うん、今のままでなんとかしよう、という方に皆落ち着いてしまうのよね。後数年もすればもう1部屋空く予定ではあるし(ぇ。

どれだけ素晴らしい人格者でも、どれだけ素晴らしいアイデアでも、どれだけ素晴らしい思想でも、どれだけ素晴らしい宗教でも、この世の中で「すべての人」の賛同や賞賛や支持を得た、という人も思想も政策も信仰もどこにもいないし、どこにも存在した試しがない。一貫して、徹頭徹尾、常に正義の側に立ち続けた人や思想や団体や組織も、ない。少なくとも西暦に関しては、そのポイントゼロ地点でこれを痛いほど思い知らされているはず、なんだけどねぇ人類は 🙄

何というか…どうも世の中、あのトピックに関しては「ゼロかオールか」みたいな極論ばかりで、バランスの取れた言説がどこにも見受けられない。或いは、バランスのとれた言説があったとしても両陣営からアンチ扱いになって攻撃を受け、一方的に決めつけられて「キャンセル」されてしまうと言った方が正確かもしれない🫥 このトピックに関しては、皆があれほど崇めて絶対視してきた「言論の自由」はどこにも無いようで、最近余計にうんざりしてしまうんだな 😮‍💨

毎日大したこと出来てないのに、時間の過ぎるのばかりが早い。1週間があっという間。1ヶ月もあっという間。1年も……(以下自主規制

かく言う私は、実は、いわゆる「テレビ(番組)」ってヤツはもう、日本を出た1993年以降、観ていないのだけどもね。最近は他にいろんなオプションがあるから、オンデマンドやストリーミングのコンテンツを自分で選んで、観たい時に観る、ことはあるけれども。

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当たり前のことを書くようだけも、普段テレビのようなメディアで何を観ているか、で見えてくる世界が全然違ってくるし、ひいては世界観や考え方さえも全く変わってしまう、と改めて思い知らされた。何をどう(何語で観るかも含め)どれだけ観るか、で世界観が全く変異なってしまうから、たかがテレビ、たかがメディア、たかがエンタメなどと決して侮ることはできない。ある意味、毎日の食事と同じ。何をどうどれだけ食べたかが自分の体と健康にそのまま反映されるのと同様、何をどれだけどう観た、接したかが全て、自分の精神と思考と人間性に反映されてしまう。

右でも左でも上でも下でも何でも、ともかく「極端は敵」というのが私のスタンスです。

結局そういう国で、そういう社会なのよね。喉元過ぎれば都合の悪いことはすぐに忘れて、同じ轍をガンガン踏みまくる、みたいな。

今の世の中、あまりにもいろんなことが複雑化?していて、やろうと思えばやらなきゃならないことは腐るほど、いくらでもある。でもあまりに「あり過ぎる」から通常の人間のキャパでは追いつくことができなくて、だからついSNSやストリーミングの世界に逃げてしまうのよね。

どっちにしても極端な言論というは非現実的で、非論理的である意味において同室で、不毛なんだよね

結局人間の社会は、人数が増えれば増えるほど、広がれば広がるほど、「修羅」ってことでFAかな…

肉体的にも精神的にも社会的にも、随分「過敏」な世界になってしまったな、と思わないでもない。神経過敏、感覚過敏、免疫過敏…などなど。何事も、どれほど「良い」ものでも極端なのは決して宜しくないし、ベスト(理想)は「バランス」だと常々考えているので。そのバランスを達成することも、メンテすることも、もの凄く難しい訳だけれども。

といえば、取り敢えず私はAIおよび機械学習の方の勉強がしたいんだなー。老後は考古学畑に戻って、出来ればイギリスの大学にmature studentとして入り直して博士号でも趣味でやるかな、とか考えていたけど、どうせなら全く違う畑も面白そうだし、なんなら考古学研究にも適用できる内容だし。取り敢えず今年から少しずつオンラインで学び始めようかとも思ってる。今やってる仕事にも大いに関係している分野だしね。ある意味 にもなるし、今年から長男もそっち方面を専攻するので、共通の話題が増えるのは悪いことでは無いし。

一方で、言葉とは使い手・聞き手の考え方や解釈でどのようにでも変化する生き物でもあるので、一様に「例えそういう意図や意味がなかったとしても、言われた私が差別だと感じだからそうなのだ」と一方的に断定するだけでは無理があると思う。むしろ、一見何でもない表現や言葉になぜ差別の色を色濃く見てしまうのか、見えてしまうのか、そこをもっと深く掘り下げて理解する必要があるんじゃないかな。根はずっともっと深いところにあるはずだから。

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よし、仕事は一休みして片づけと読書の午後半へ。

言い訳だけじゃない、これは実際自分の現実からの「逃亡」だ。自分自身からの逃亡で、仕事は隠れ場所、避難場所なんだな。

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まだまだ精神的に本調子ではないのだけど、今日もまだいわゆる「三が日」ってことで、ゆっくりしている。とかいいながら、年末年始の休暇は取っていないので、今日が正式な「仕事始め」ということで定刻通りに仕事を始めてる訳だけど。おそらく私にとって「仕事」が、余計な事やあまり考えすぎるべきでないことに頭を悩ませたり心を砕いたりしなくて済む、最もお手軽な人生への「言い訳」なのだと思う。仕事をしていさえすれば良いのだから。その間だけは他のことを忘れても許されるのだから。便利な言い訳だよね。

とりあえず、私の場合は、いつ死んでも正直いいんだけど、まだ死ぬわけにはいかない責任が残っているものだから生きている。そんなもんかな。

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