9月に読んだ本。9月は人文書を読む月間にしました。
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◆『ナイス・レイシズム なぜリベラルなあなたが差別するのか?』ロビン・ディアンジェロ/甘糟智子 訳
◆『〈公正(フェアネス)〉を乗りこなす 正義の反対は別の正義か』朱喜哲
◆『誰のためのアクセシビリティ? 障害のある人の経験と文化から考える』田中みゆき
◆『韓国の今を映す、12人の輝く瞬間』イ・ジンスン/伊東順子 訳
◆『目の眩んだ者たちの国家』キム・エラン他/矢島暁子 訳
◆『隣の国の人々と出会う ──韓国語と日本語のあいだ』斎藤真理子
◆『テヘランのすてきな女』金井真紀
◆『白い拷問 自由のために闘うイラン女性の記録』ナルゲス・モハンマディ/星薫子 訳
◆『読書と暴動 プッシー・ライオットのアクティビズム入門』ナージャ・トロコンニコワ/野中モモ 訳
◆『男はクズと言ったら性差別になるのか』アリアン・シャフヴィシ/井上廣美 訳
9月に買った本。
積んでしまっていた『韓国の今を映す、12人の輝く瞬間』が素晴らしかったので、その勢いでいつか読まねばと思っていたセウォル号沈没に対する作家たちのエッセイ集『目の眩んだ者たちの国家』と、発売を楽しみにしていた斎藤真理子さんの『隣の国の人々と出会う』を読んだ。
この順番で読んで良かったです。
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◆『誰のためのアクセシビリティ? 障害のある人の経験と文化から考える』田中みゆき
◆『〈公正(フェアネス)〉を乗りこなす 正義の反対は別の正義か』朱喜哲
◆『隣の国の人々と出会う ──韓国語と日本語のあいだ』斎藤真理子
◆『目の眩んだ者たちの国家』キム・エラン他/矢島暁子 訳
◆『読書と暴動 プッシー・ライオットのアクティビズム入門』ナージャ・トロコンニコワ/野中モモ 訳
◆『男はクズと言ったら性差別になるのか』アリアン・シャフヴィシ/井上廣美 訳
◆『死体と話す NY死体調査官が見た5000の死』バーバラ・ブッチャー/福井久美子 訳
◆『死はすぐそばに』アンソニー・ホロヴィッツ/山田蘭 訳
◆『穢れた聖地巡礼について』背筋
『韓国の今を映す、12人の輝く瞬間』
映画『国際市場で逢いましょう』を観た時に、号泣しつつも朴正熙の軍事独裁政権の暴力と横暴には全く触れずに展開する物語にはモヤモヤしたのだけど、この本でチェ・ヒョンスクさん(韓国の「老害」と言われる人々のオーラル・ヒストリーを書き歴史を振り返る、作家であり老人福祉士として働いている方)のインタビューを読んでそのモヤモヤを思い出した。
私もチェ・ヒョンスクさんと同じく、感動と涙の成功譚として描かれることの弊害のほうをどうしても考えてしまう。
それと同時に、少し前に読んだ『韓国映画から見る、激動の韓国近現代史』で著者の崔盛旭さんが、この映画への「歴史の美化」との批判には頷きながらも、亡き父の姿がドクスに重なり涙が込み上げてきたと書いているのを読んで、私は朴正熙の死に嘆く高齢世代の人々を全然見ていなかったんだなとハッとしたことも改めて思い出した。
『韓国の今を映す、12人の輝く瞬間』イ・ジンスン/伊東順子 訳
ハンギョレ新聞で5年間連載されていた、イ・ジンスンによる122人へのインタビューのうちの12人。
美しい輝石が配置された表紙や、タイトルから感じていた読む前の印象とは全く違う本でした。
韓国社会の中でそれぞれの想いから行動する各人の、偉大な成功ではなく生々しい痛みの声、これまでの日々と続いてゆく人生についてを聴き取った凄まじく濃い内容で、本当に読んで良かった。
「挫折と傷と恥辱にまみれた日常の中で最善を尽くし、自分だけの光を放つ平凡な人々の特別な瞬間を記録したかった」と、著者がまえがきに書いていました。
セウォル号の犠牲者を海から引き揚げ続けた後に亡くなった、ボランディアダイバーの妻。
癒着に目をつぶらなかったために、朴槿恵に更迭され職を追われた公務員。
障害者施設で18年間離れて暮らしていた妹と、同居を始めた姉。
ベトナム戦争における韓国軍の加害を暴き、ベトナムで被害者の聴き取りを続けた女性。
クィアの若者を支える「父母の集い」で活動する、レズビアンの娘さんを持つ母親など、12人の方が紹介されています。
朱喜哲『〈公正(フェアネス)〉を乗りこなす 正義の反対は別の正義か』を読みました。
「正義」や「公正」といった「正しいことば」に対して冷笑的な態度が向けられている現状のなか、そうした言葉の使われ方を丁寧に解きほぐしながら言葉の意義をとらえ直してゆく本で、すごく良かった。
少し前の朝日新聞の「リベラルは正義に依存している」の記事にモヤつき、その後の波及にも暗い気持ちになっていた時に、記事を受けてこの本をオススメしてくれた方たちのおかげで手に取ったが、読んで本当に良かったです。
そしてあの記事では、組織やグループにおける同質性や硬直化によって対話ができなくなっている実感について話しているはずなのに、その問題意識を「正義」という言葉を持ち出して語ることで、その言論が結局、周縁に置かれている人や苦しみながらも行動している人への害になってしまっていると改めて感じる。
そのほかの8月に買った本。
『喉に棲むあるひとりの幽霊』(デーリン・ニグリオファ/吉田育未訳)は、250年前の詩人の姿を捉えようとしてもがく著者の、痛みと切迫感に満ちた破滅的とさえ感じる語りが凄かった。
奈倉有里さんの『文化の脱走兵』も素晴らしいエッセイ。『群像』の連載を読んでいたけれど改めて通して読むと、タイトルに込められた言葉に胸が詰まる。
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◆『ナイルの聖母』スコラスティック・ムカソンガ/大西愛子 訳
◆『喉に棲むあるひとりの幽霊』デーリン・ニグリオファ/吉田育未 訳
◆『スイマーズ』ジュリー・オオツカ/小竹由美子 訳
◆『万両役者の扇』蝉谷めぐ実
◆『テヘランのすてきな女』金井真紀
◆『文化の脱走兵』奈倉有里
◆『マザリング 性別を超えて〈他者〉をケアする』中村佑子
8月に読んだ本。ミステリとホラーばかり読んでいるうちに夏が過ぎてしまった。
◆フランス革命前後のヨーロッパの小国が舞台の、潮谷験『伯爵と三つの棺』が面白かった。最初はすごくくだけた調子に驚いたが、時間と時代の移ろいによって明かされていく真相の描き方が最後まで良かった。
◆オーストラリアミステリの『ぼくの家族はみんな誰かを殺してる』(ベンジャミン・スティーヴンソン/富永和子訳)は、それまでの章立て手法がにわかに活きる最終盤の構成が好きだった。
◆話題のホラー、上條一輝『深淵のテレパス』は、重要なことから些細なことまで全ての会話やシーンにさり気なく仄めかしが盛り込まれていたと分かり、デビュー作なのに上手いなあと。
それと日本の会社員たちが毎朝作り出す葬列、暗澹たる日常の書きっぷりがスゴイ。辛い。
◆松原タニシさんの本を初めて読んだのだが、私がこれまで想像していた「賃貸物件としての事故物件」の様子とは違いすぎたし、相当にエグかった。「怖い話」の意味が違う、妙に迫力のある話もバンバン出てきて、唖然としてしまう。
梯久美子『戦争ミュージアム ──記憶の回路をつなぐ』
戦争の災禍の記録、その時代を生きた人々の記憶、戦争の被害と加害を伝え継承する資料館や記念館など、著者が足を運び取材した日本各地の博物館が紹介されています。
国内各所で起きた様々なことを端的に学べるので、子供たちにも分かりやすくてオススメだと思う。特攻隊をはじめ戦争について歴史認識が歪んでいっているのが恐ろしいが、子供たちには事実を事実のまま知ってほしい。
などと言っている私も沖縄の戦争マラリアの甚大な被害など、知らなかったことも多くあり恥ずかしくなった。
◆沖縄県石垣島「八重島平和祈念館」
マラリアの有病地を避け長年暮らしていた八重島諸島の住民が、軍令により有病地へ強制移住させられ、総人口の53%が罹患し多くの犠牲者が出た
◆広島県大久野島「大久野島毒ガス資料館」
日本軍の毒ガス製造に、学徒動員された子供1,100人を含む 6,700人が従事し、事故や健康被害で多数の死傷者が出た
◆茨城県「予科練平和記念館」
予科練出身者が特攻任務に就くことが多く、戦地へ赴いた8割が戦死
◆山口県大津島「周南市回天記念館」
人間魚雷として製造された特攻兵器「回天」の基地があった
他にも各地に建つ14ヶ所の「戦争ミュージアム」が載っています。
ホラー小説が好きなのだけど、人の営為による願いや祈りを描かずに怪異だけポンと出されたり、その土地の民俗をちゃんと描いていない「土俗ホラー」はすごく苦手。
特に「因習村」系がイヤなのでそう謳っている本は買わないようにしているけど、今読んだ新作ホラーアンソロジーの中にド直球の「因習村」話が入っていて、読んだがやっぱり苦手だった〜。
舞台とするその「田舎」の風習は見えないままに悍ましい因習と怪異だけを創り出して、「外」から来た人間が「田舎」とその村人たちをジャッジする構図、というのは私的には一番嫌いな「土俗/因習村ホラー」だ……。
街の本屋さんの苦境の訴え(新刊本が配本されず客注の申込分すら入荷してもらえない)に向かって、同じ業界で働く書店員さんたちから「客注品が数通り来ないのは常識なんだから/ウチはこうやって先回り対応している/それをしないのは怠慢」という感じのチクチク発言が出るのを今回に限らずこれまで何度も目にしてきたけど、その度にめちゃくちゃ辛くなる。
いち客の私からしたら、そうした工夫と努力で対応せざるを得ない「業界の常識」とやらが何十年も変わらないことのほうが変だとしか思えないのですが……。
書籍の流通における取次の問題や課題には触れず棚上げにしておきながら、問題提起する店主のやり方だけをただ非難するのは、自己責任論に絡め取られてしまっているように見える。
SNSで可視化されるものが最悪すぎて日々気持ちが削られてゆく。
ネットの言説と実際の世界は絶対に違うものだしそう思いたいけど、しかし最近はもうSNSや各媒体に溢れる冷笑的な空気が日本社会そのままを表してるのかなと思うことばかりで、本当〜に気が滅入る……。
とりあえずTwitterはなるべく見ないようにしているけれど、それも罪悪感を覚えてしまう。
アンソロジーと言えば、『MONKEY』の「ニュー・アメリカン・ホラー」特集で柴田元幸さんが書いていたが、ホラー・アンソロジーが次々に出たり文芸誌でもホラー特集が組まれるなど、ホラーはいま「旬」とのこと。
ジョーダン・ピール監督が編者の一人の黒人ホラーアンソロジーや、先住民族作家たちによるホラーアンソロジーとか、絶対読みたい!邦訳が出てほしいなあ。
今号での掲載作品も、ネイティブ・アメリカンやアフリカン・アメリカンである作家のエスニシティから生まれた「ホラーと政治が溶けあったような」物語で、すごく良かった。
ところで今回の『MONKEY』、うちの最寄りの大型書店ではかなり早く売り切れていた。普段はもっとジワジワと減っていくのに。
海外ホラー特集の需要が実はめちゃくちゃあるのか、みんなブライアン・エヴンソンが大好きなのか(私も『ウインドアイ』が好き)、ヒグチユウコさんの表紙に惹かれた人も多くいたのか。
読んだ本のことなど。海外文学を中心に読んでいます。 地方で暮らすクィアです。(Aro/Ace)