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ロビン・F・ウィリアムズの絵画、映画の中の“男性の眼差し”を扱っているのは見てすぐ分かるし。などと構えていたら(ペロタンのガラス張りの前を通り『Undying』後で寄ろうと思いその日はもう閉まってた)、作家がクィア/ノンバイナリーであり、明示的に絵に表れる女性の図像は何重かの折り込みになっている。というのを読んでしまったと思っている

そうだパイプライン爆破の映画見ないと。すでに上映時間が厳しい

一方その頃アメリカでは…
『アートワーカーズ』→3章「ロバート・モリスのアート・ストライキ」、モリスは1971年にテート・ギャラリーで行われた回顧展を、鑑賞者参加型の障害物コースに変容させた。(p.168)
以上の箇所を読み、風雲!たけし城、SASUKE、デイリーポータルZ、のようなTVとネットコンテンツの記憶に心がさまよって行くのだった。ちょっと集中して川村美術館の展示は30日までよ!

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この指摘の元となった投稿の中の赤瀬川源平の使い方、前々からのなんだか…なんだかなあ。を強化した

x.com/nagasek/status/180401568

朝、背の低い梅の木の私の顎の高さの枝で雨を避けていたすずめの巣立ち雛は、帰りの夕方には許可なんかあるわけがないぎっしり置かれたピンクのベゴニアの鉢まで位置を下げていた。この道の先で毎日野鳥に餌付けをしている近所の人がまいたパンくずを親が運んでいる

パレ・ド・トーキョーの「政治的価値観の相違」により後援打ち切りの人と、堀茂樹が熱く引いている芸術社会学の人、wokeについての主張がかなり重なってるっぽい

ファーガス・マカフリー東京のアンゼルム・キーファー「Opus Magnum」、扱っているテーマ(戦後ドイツ)、兵器の形のオブジェクト、からするとぴょんと飛びつきそうででも何か昔からうっすら苦手なんだよな~(プラスして受容にブレが生じる女性のヌードが結構ありますな…)。と家に帰って巨大重石になっている『ART SINCE 1900 図鑑1900年以後の芸術』の当該の部分を読みました。何かはよくわからないままです。

並ぶガラスケースのひとつが、レムのソラリスを読んだ人ならすぐわかる形で引用したもの(裸のハリー)でした。横浜トリエンナーレ、ラファエラ・クリスピーノ《We don’t want other worlds, we want mirrors(われわれは他の世界なんて必要としていない。われわれに必要なのは、鏡なんだ)に続くレム大人気

クローズアップ現代地方を去る女性たち、母の郷里の叔父から母へ「ジェンダーやでおまーの地元が出とるから録画して見」(土地の言葉の不完全な再現)、という電話を受けて再放送の録画予約を操作した。少し前に葬儀で顔を合わせた叔父夫婦は前後の文脈は不明ながらもどちらも空疎ではない何らかの重さがある「多様性は大事」を何回か口に上らせていた。目の前にはっきりと見えているものがあると思われる

この映像が撮影された後、ほとんど時を置かずにみなほとんど戦闘で死んだ。という事実にフォーカスするのは、ソクーロフ『精神(こころ)の声』に必ずつくキャプション“本作に登場する兵士は一人も生還していない”、ピーター・ジャクソンのWW1記録映像の再構成『彼らは生きていた』などと同じ、いや投げ込まれの地点と方向の違いは忘れず、帝国の破砕帯に投げ込まれた人の痕跡を否応なく見ることだと思うのだけど、そこに現在進行形の出来事であるというのが差し込まれて見る私には猶予は与えられない

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山形国際ドキュメンタリー映画祭2017、「パレスティナ革命とミリタント映画」
yidff.jp/2017/cat093/17c095.ht

足立正生インタビュー
>今の消費文化の中ではBDS(イスラエルボイコット運動)のほうが、ミリタントの活動より強力なわけです。つまり「スタンバイせよ」、もう一度組み立てようということです。今回上映されるのは、忘れてはならないパレスティナ解放闘争の記録であるとともに、“古い”闘い方のアーカイヴなのです。
yidff.jp/interviews/2017/17i09

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『ゲバルト展』@東京日仏学院の終わり1時間、薄暗い小部屋のTVモニターで「赤軍ーPFLP・世界戦争宣言」フェダーイーの美しい様子の部分だけ見る。野外の軍事訓練、一人1枚大きいパンをちぎる食事、昼下がりの室内の昼寝…

Popular Front for the Liberation of Palestine (PFLP)のanthemを初めて聴いた。「帰還の大行進」(2018)などの映像にこの歌を付けてここ何か月かにUPされた動画があるようだ

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アケルマンのドキュメンタリー3部作、チケット取り出遅れました。
chantalakermanfilmfes.jp/

この暑さで展示のはしごとか無理なのでは?日陰でぴろぴろ

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500円の超お得講座で、90年代生まれの人が、オルタナティブな映像メディアは80年代の日本でどの様だったんですか?と当時両方のシーンを知る人に聞いて→スパイラルでやっていたようなビデオ・アートの盛り上がりと、いわゆる社会派ドキュメンタリー、例に出たのが
『山谷─やられたらやりかえせ』。などの間に何もつながりとかなかったねえ。と答えていたのを思い出す

イロモノ枠で紹介されB本で売られていたりですが、素敵なんですよ。

体のほかの部位の健康に気をつかうのと同じくらい、アヌスの健康についても真剣に考え、大事に扱う責任を負うのは当然のことだ。これは性的指向の分析を主眼とする本書の目的からは逸れるが、アヌスの健康と安全なセックスのありかたを問うきっかけとして言及しておく。この問題に関心を寄せる性科学者や医療従事者や性生活セラピストに近い位置にいる、わたしのような文化批評家の意見にも耳を傾けるべきだろう。『アナル・アナリシス――お尻の穴から読む』p.20~21

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植民地主義について知る/知らせる。といえば、商業BLのオリエンタルの扱いやばめが多い息抜きで読むエッチな漫画なのに読んでて冷や汗が出るという話題から、男性同士のアナルセックスを扱うジョナサン・A・アラン『アナル・アナリシス――お尻の穴から読む』を激オススメ「第五章 植民地主義の尻を叩く」して、好奇心山盛りの(“本で読んだ”知識の開陳を忌避せずに)友人が買って読んでくれたけど、文芸評論に慣れてないから著者面白エピソード満載の掴みの序章で挫折した。と聞いてそうだった申し訳ない…。となったものです

そういえば、リチャード・セラのインタビューで「ロバート・スミッソンにみられるような、アメリカの風景へロマン派的なアプローチはしないし」みたいな事をさらっと言っていて、あ~そこは気をつけないとな~(「風景の植民地化」という言葉の使い方が端的か)。というのがあるのでその後、フェミニスト・アーティストのアナ・メンディエタや、拾ってきたちっぽけな木の枝や石を扱うイギリスのランドアートの作品の好ましさにつながるのだった

暗い廊下の明かりをつけてくれ。の要求には「夜目が効かない昼行性動物として私たちには共感が発生しているのでは」とやや浮かれた気分になりますが、亀はさっさとなすことを成すために(寝るために)歩き始めています

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人間を介して環境の熱と光を調整しようとする亀、5~6月は夜に本格的に寝る前についさっきまで直下に居て甲羅を温めていたランプとライトのスイッチを、視線と人間で言えば“発話する手前の饒舌な沈黙”で「切って欲しい」と期待を示してくる。視認を欠かさない亀に手元をひたと見られながらスイッチを押し込む人間であるのは妙な気分です

far-rightが担い手の現代のアルタマーネン、みたいな潮流があるんだ。nazi趣味はおべんきょうになるなあ(白眼)

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Fedibird

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