『ジョン・バージャーと4つの季節』公開きた。4つのうちの「春」だけは「どどどど動物かかかか亀」ぐらい見ている間に動揺しました。
https://johnberger4.babelo.co/#stories
ガッサーン・カナーファーニー著『ガザからの手紙』 、『第七の男』翻訳者の金聖源さんによる日本語字幕付きが去年に公開されてました。
https://youtu.be/V3qlOGSLmb4?si=PMdShhN75EGyGpnd
「New Left Cinema」というカテゴリがあるんだ…(という遊び)
https://www.berlinale.de/en/2025/programme/202506649.html
しかしながらフィルム~ビデオ+エッセイ形式の映像表現が、周縁の領域で大小の抵抗力として使われてきた。という説明はかなり基本的なのでこのはしゃぎは不明だった
ベルリン国際映画祭2025、プログラムを眺めてふんふん楽しむ前のステップ「反ユダヤ主義決議」と映画祭2025の立場はどうなってるの?はかなりFAQでフォローされていた
「反ユダヤ主義の定義」について
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/85477?page=3
FAQ
https://www.berlinale.de/en/programme/faqs-dialogue-exchange.html
犯罪者への恐れが暗闇に明かりを呼びこみ、まず火、それに続く電気の輝く流れに乗ってインフラストラクチャーと権力のネットワークと監視の視線の合体が出現する。それらを作品内に人間サイズに戻して象徴する電球。という配置は、恵比寿映像祭のコミッション・プロジェクト永田康祐《Fire in Water》でも見たし、MAMスクリーン020、ハイグ・アイヴァジアン《あなたの星はすべて、私の靴の塵にすぎない》でも見た。
後者はエキゾチックな鯨油オイルランプの光から始まり、海から地上から監視衛星の星の高さまで飛んで戻り、靴の裏で光を踏みつける騒擾のイメージの繋ぎが優れていました
https://www.yebizo.com/jp/program/613
https://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/mamscreen020/index.html
アルノー・デプレシャン『映画を愛する君へ』、シネ・エッセイに出演しているショシャナ・フェルマン(S.フェルマン)見たいなー。と思うも、映画ショアーの外側及び現在への視線はないようで二の足を踏む踏む
ジルサンダー銀座店、レイチェル・ホワイトリードの作品が内装の部分として展示されてるんだよなあ…と、ぼけっと外から眺めていましたら流れるように店内に導入され、フレグランスコレクションを一通り嗅いで体裁を取り繕う羽目になりました。ヒー
…そうそうこんなテキストだった。マティアス・ピニェイロ『You Burn Me』パヴェーゼの自死を入口ににブリトルマティスとサッフォー(両人とも動機とベクトルは違なるが海にダイブした)の対話、冷静で平穏でありながら苦しみの重いトーンの中に別の在りようの女、不動のヘレネがすっと入ってくる瞬間は海を風が抜けるようで素敵でした
オスカー・アレグリア『エマク・バキアを探して』観た帰りメモ
マン・レイの映画『エマク・バキア』のフッテージをかなりの量取り込ながらシュルレアリスムやダダの引用に流れず、人らがこの世界から去り決定的に失われる(記憶)の不在の瀬戸際、物と土地を介してまだ存在するが生者には見えなくなった(記憶)を詩とジャーナリストの技で野兎のように跳ね追い、脇道に逸れ偶然と出会いバスク地方からロシアまでも含むヨーロッパを周遊しては横っ飛びに道に戻り、老いと同居する若々しい再生(フェリーニの死なない道化師の蘇りで)を映画へ現実の記憶へと豊かに戻してゆく技を観ていると、、、
『占領都市』は4時間の痩せたぺそぺそだったじゃないかスティーブ・マックイーン(1ヶ月前にみた映画への文句を今言う)
『エトセトラVOL.13』読者投稿ページ【テーマ:自分の存在を消されたと感じたことはありますか?】に「特に中高年の性的マイノリティや女性が取り上げられる場面は、まだまだ不足しています。」につられ、うっかりお悩み相談室の分量を投稿してきました
https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSftcPMV5vJuHGjGZnr6pri0TIPTDMvLcDvrwQuVCnxjpU_jEQ/viewform
他の場所に行く気があまりありません