部屋に入ってきた亀に、本がない探している本がない亀さんご本探してご本見つけて。と言いながら積み柱を崩し本を上げ下ろしするのは楽しい
『Universal Language』
雪が降りつける北米の凍える都市、ぱっとしないウィニペグにイラン映画(…子どもたち、キアロスタミやマフマルバフのような)の輝く暖かで幸福な息吹を象嵌のようにはめ込んだカナダ-都市映画。一体このカナダ+ペルシャ語世界はSFなのか何なのか明かされないままコミカルでペーソスを手放さないシーンの連続を追ううちに、カナダ国内の言語的な対立(英語・フランス語)の英語部分をまるっとペルシャ語へ置き換え、カナダとイランの市民生活を巧みにを混ぜてビジュアライズすることで、カナダ-ウィニペグという国と都市の成り立ちと抱える分断、共生を映画という言語で説明する映画なのだ。すべての事柄がカナダのことを知らない観客の私に理解される。これがマシュー・ランキンか~
写真家マーティン・パーの2019年の展示「Only Human」で作成されたFotoesculturaが分かりやすい。顔のみが平面に焼き付けられた画像、それ以外の部分は素材の質感を備えて立体的。1辺を欠いて閉じないフレームは何だろう
https://www.doyouspeaklondon.com/martin-parr-national-portrait-gallery/
推しのアクキー、アクスタをDIYする狂おしい時が再び訪れた際はミクストメディアでより立体で触感に訴える方法で作るべきなのだろうか。というか柔らかい無数のぬい達がすでにその場を占めている。つい先日、私はSeria(セリア)ぬい活アイテム売り場「ヲタコレシリーズ」の前、現前の為の各種100円製品の充実に取り乱した…
ジェフリー・バッチェン『時の宙づり』をパラパラやっていて「フォトエスクルトゥーラ」の図版を見た瞬間、「推し」のアクスタ、であり「追悼のキャビネット・カード」は浅い奥行に垂直水平にデコレーションが展開する「推し祭壇」に見える。と思ってしまった
>メキシコのフォトエスクルトゥーラ(=写真彫刻)。木彫りの胸像と写真の顔が組み合わされ、平面の写真に奇妙なリアリティを付与している。1920 年代から 80 年代初頭にかけてメキシコの職人たちの手で制作された。
(IZU PHOTO MUSEUMプレスリリースより)
https://www.buffet-museum.jp/wp-content/uploads/2023/12/cdbb8944c6c5e660da517aaa6157ff63.pdf
冬に靴の靴底がすべて剥がれる壊れ方をまず一番に感覚するのは、足のひんやりとしたすきま風が吹くような感じ、です
映画上映の音ズレの問題って何度も回帰してくるんだなあ。。
私は自分がその中で居心地よく座席に丸まって映画を見ている箱=映画館の仕組みに概ね無関心なので、スクリーンに細かい穴が空いており、その無数の穴から伝わるスクリーン後ろのスピーカーから出る音を聴いている。という基本的な技術的環境をエッセイスタイルの実験映画でつらつらと説明されてやっとあっ…。と言ったまぬけです。フィルムの物質性云々の前にも後ろにも知る事はいっぱいあるみたい
レコードプレーヤー手に入れたから、「紙のレコード」作れるじゃん、とおもったが、カッティングマシンが数万するんだなあ
http://soundstudies.jp/s03/
美術館の図書館と展示をはしごすれば、本を読む+展示をみる。1回で済むのでは?の思いつき、コピー取りたいよ~鼻息荒くしていた資料は土日祝別館閉架請求サービスなしを見落として不完全燃焼に終わる。再トライ
他の場所に行く気があまりありません