動物(亀は小屋で寝てます)。と、ダイエッターの金言みたいな『「正しく食べなくてはならない」あるいは主体の計算』を開いたら10行くらい読めるところが増えてました。

家事だるいわと床に伸びた状態だと、私が取り仕切る家庭など持って無くてもオイコスとかオイコノミアなどの言葉が理解されるような気がします。コッチャの『家の哲学』読みました

『ジョン・バージャーと4つの季節』公開きた。4つのうちの「春」だけは「どどどど動物かかかか亀」ぐらい見ている間に動揺しました。
johnberger4.babelo.co/#stories

ガッサーン・カナーファーニー著『ガザからの手紙』 、『第七の男』翻訳者の金聖源さんによる日本語字幕付きが去年に公開されてました。
youtu.be/V3qlOGSLmb4?si=PMdShh

「New Left Cinema」というカテゴリがあるんだ…(という遊び)
berlinale.de/en/2025/programme

しかしながらフィルム~ビデオ+エッセイ形式の映像表現が、周縁の領域で大小の抵抗力として使われてきた。という説明はかなり基本的なのでこのはしゃぎは不明だった

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犯罪者への恐れが暗闇に明かりを呼びこみ、まず火、それに続く電気の輝く流れに乗ってインフラストラクチャーと権力のネットワークと監視の視線の合体が出現する。それらを作品内に人間サイズに戻して象徴する電球。という配置は、恵比寿映像祭のコミッション・プロジェクト永田康祐《Fire in Water》でも見たし、MAMスクリーン020、ハイグ・アイヴァジアン《あなたの星はすべて、私の靴の塵にすぎない》でも見た。

後者はエキゾチックな鯨油オイルランプの光から始まり、海から地上から監視衛星の星の高さまで飛んで戻り、靴の裏で光を踏みつける騒擾のイメージの繋ぎが優れていました

yebizo.com/jp/program/613
mori.art.museum/jp/exhibitions

アレクサンダー・クルーゲが再現した3分割のスプリットスクリーン"トリプル・エクラン"、トランプ/トランプ&メラニア/オラフ・ショルツ+3つに隙間にラフに合成の(シンバルを叩く猿のおもちゃ)。の構成で、こんなのってないよと客席でさめざめと泣き…はしなかった。その後の画面に溢れるゴリラ成分はキングコングへの目くばせといった範疇を超えたゴリラ量だった。猿はかわいらしい前触れであった。

上映前の解説では溢れるイメージの中、象(サーカス、エジソンの象の処刑、電気の流れ、光!)を辿って。との助言があったんだ

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完全に内容を忘れている『声の回帰―映画『ショアー』と「証言」の時代』を読み返す方がいいんだろう(他翻訳の目次を見て目を回したところです)

ところでアベル・ガンス『ナポレオン』の引用はどれくらい分量あるのかしら

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アルノー・デプレシャン『映画を愛する君へ』、シネ・エッセイに出演しているショシャナ・フェルマン(S.フェルマン)見たいなー。と思うも、映画ショアーの外側及び現在への視線はないようで二の足を踏む踏む

恵比寿ガーデンプレイスの端でサンドイッチを食べているとぱかぱかという音が鳴る。一頭立ての馬車が白い花嫁花婿を乗せて現れる。突如として沿道の観客に仕立てられた人間達はマジか馬と言いながら花嫁に手を振ったりスマートフォンを構える。ウェスティンホテルのエントランスに横付けされる馬車を追い、馬と御者が人を運ぶなら近くに馬を運んだ馬運車があるはずだ。にわか仕立ての探偵に変身しホテル通用口に停められた馬運車と馬用毛布を発見する。満足して恵比寿映像祭の観客身分に再び戻る…

秩序を回復するために、ジルサンダー表参道店に入りディーター・ラムスのオーディオセットを見てこようと思います

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割引き弁当入りの穴あきズダ袋を手に下げる我が身の状態に思い至り「一面に敷き詰められたイタリア産トラバーチン」シルバーブルーの上で身を捩る私

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ジルサンダー銀座店、レイチェル・ホワイトリードの作品が内装の部分として展示されてるんだよなあ…と、ぼけっと外から眺めていましたら流れるように店内に導入され、フレグランスコレクションを一通り嗅いで体裁を取り繕う羽目になりました。ヒー

ケリー・リンク「飛行訓練」(1995)、アフロディーテーが語る「世界中を姦淫して回ったヘレネ」ワールドワイド奔放タイプも好きです

同じパヴェーゼでもストローブ=ユイレの原作テクストの徹底使用、とも当然ながら違う訳でここに掛けられているのはアダプテーションか最初からそれはそう

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映画にいくつものラインで埋め込まれたテキスト全てが同時に全方位へ開かれていて、意識的に思い返さないと振り返りが難しいタイプの映画かもしれない。上映後のQ&Aでも翻訳の不可能性に対してリラックスしてフルオープンだったのが新鮮な驚き

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…そうそうこんなテキストだった。マティアス・ピニェイロ『You Burn Me』パヴェーゼの自死を入口ににブリトルマティスとサッフォー(両人とも動機とベクトルは違なるが海にダイブした)の対話、冷静で平穏でありながら苦しみの重いトーンの中に別の在りようの女、不動のヘレネがすっと入ってくる瞬間は海を風が抜けるようで素敵でした

ナボコフと親戚関係でルーマニアの王女さま、という最強クラスの存在が戦前の写真の中から歩いて出てきたように現れました。豚が見る悪夢も。羊飼いが言うには豚は緊密な絆で結ばれた群れを作りその親密さの強度は羊や牛の群れとはまったく違うそうです

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オスカー・アレグリア『エマク・バキアを探して』観た帰りメモ

マン・レイの映画『エマク・バキア』のフッテージをかなりの量取り込ながらシュルレアリスムやダダの引用に流れず、人らがこの世界から去り決定的に失われる(記憶)の不在の瀬戸際、物と土地を介してまだ存在するが生者には見えなくなった(記憶)を詩とジャーナリストの技で野兎のように跳ね追い、脇道に逸れ偶然と出会いバスク地方からロシアまでも含むヨーロッパを周遊しては横っ飛びに道に戻り、老いと同居する若々しい再生(フェリーニの死なない道化師の蘇りで)を映画へ現実の記憶へと豊かに戻してゆく技を観ていると、、、

『占領都市』は4時間の痩せたぺそぺそだったじゃないかスティーブ・マックイーン(1ヶ月前にみた映画への文句を今言う)

「周りの友達はみんな恋をして結婚して行くアロマンティック・アセクシュアル当事者の寂しさ」というフレームでは言語化ができないであろう私ですが、20~30代を通した女性のライフイベントの周囲を吹き荒れる鋼鉄の嵐の中の後に足を踏み入れつつありますので、エピソードは無いが空白地帯にまあ色々イッパイアッテナ…

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『エトセトラVOL.13』読者投稿ページ【テーマ:自分の存在を消されたと感じたことはありますか?】に「特に中高年の性的マイノリティや女性が取り上げられる場面は、まだまだ不足しています。」につられ、うっかりお悩み相談室の分量を投稿してきました

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『エトセトラVOL.13』読者投稿ページ【テーマ:自分の存在を消されたと感じたことはありますか?】

2025年5月発売の弊社フェミマガジン、水上文特集編集『エトセトラVOL.13 特集:クィア・女性・コミュニティ』読者投稿を募集します。 **************** 「LGBTQ」が語られるとき、まだゲイ男性ばかりが取り上げられたり、女性やノンバイナリー/Xジェンダーの人々の声は聴かれなかったりすることがあります。また、映像や文字の表現でも、特に中高年の性的マイノリティや女性が取り上げられる場面は、まだまだ不足しています。 今回の特集では、女性として生きている/社会的に女性として生きた経験を持つセクシュアルマイノリティの人たち――ノンバイナリーやXジェンダーを含む――に焦点を当て、その人たちのこれまでの歩み、コミュニティ形成や運動に尽力してきた人たちやとその軌跡を、アーカイヴしたいと考えました。 読者投稿では、自分の(あるいば誰かの)存在がなかったように扱われた、「末梢」された経験をお尋ねします。ここで共有することで、その誰か/ことを記録したいと思います。どうぞご参加ください。 *ここでは「クィア」を、「セクシャルマイノリティの女性と、Xジェンダー/ノンバイナリーの人々」を包括し、またもともと侮蔑語だった「クィア」を性的マイノリティ当事者たちが運動によって意味づけ直した歴史との接続をこめて、用いています。 (水上文) **************** このフォームでの投稿に加えて、ハガキや手紙での投稿も大歓迎です。 〒155-0033 東京都世田谷区代田4-10-18-1F エトセトラブックス 投稿係  までご送付ください。 投稿受付期間:2025年2月3日(月)〜2025年3月28日(金)当日消印有効 *掲載する場合は、投稿手段にかかわらず一部を抜粋することがあります。あらかじめご了承ください。 みなさんとつくる誌面です。どうぞご参加ください。

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