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『成瀬は~』の面白にピンと来なかったので、なぜピンと来なかったのか考えました。オチはないです。まだ読了もしてないです。
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240505 萌えるシチュエーション - 箱庭療法記 yobitz.hatenablog.com/entry/20

『想像のレッスン』(鷲田清一)

2000年代前半の芸術作品を始め、著者が関心を抱いた表現に関するエッセイ集。真髄を読み込むまでは至っていないのだが、表層をなぞるだけでも、表現にひたることの愉しみを感じられる。年に1回くらい読んで「世界にはこんなに自在に比喩を用いて「日常」を言葉にできる人がいるのであるなあ」と感動する。内容は読んだそばから忘れていく。
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『小説の惑星 オーシャンラズベリー篇』(伊坂幸太郎・編)

「恋愛雑用論」(絲山秋子)と「KISS」(島村洋子)が好き。
「恋愛雑用論」は、恋愛を雑用に喩える女性が周囲の男性に惹かれない話。恋愛を雑用に喩える着想は、仮に私が万年生きたとしてもひねり出せないだろう。
「KISS」は、グラビアクイーンになった元・同級生でいじめられっ子だった女性のサイン会に無理矢理連れて行かれる男子大学生の短編。後味の複雑さに驚嘆する。甘い記憶が共有されることで現在が苦くなる。見事の一言。
amazon.co.jp/小説の惑星-オーシャンラズベリー篇

「KISS」(島村洋子)、グラビアクイーンになった元・同級生でいじめられっ子だった女性のサイン会に無理矢理連れて行かれる男子大学生のお話なのだが、後味の複雑さに驚嘆する。凡百の「感傷マゾ」はこの一振りで切って捨てられる。
amazon.co.jp/KISS-Friends-祥伝社文

『小説の惑星 ノーザンブルーベリー篇』(伊坂幸太郎・編)

どれも本当に読み応え十分。その中でも「休憩時間」(井伏鱒二)、「サボテンの花」(宮部みゆき)が屈指。
「休憩時間」は、何か特別なイベントが起きるわけでもない、帝国大学の休憩時間の一幕。客観的には小さなイベントしかない、けれど登場人物たちの主観としては大きな変化が起きているであろう、そういうのが濃密に描かれていた。これまでの人生で読んだ大学生モノでトップに躍り出た。それくらい良かった。
「サボテンの花」は切れ味鮮やかなミステリ。徹底して「いい話」なのよね。編者の伊坂も解説で述べていた通り、いい話をやり切るのは難しい。いいものを読ませて頂きました。
amazon.co.jp/小説の惑星-ノーザンブルーベリー篇

『舞台監督読本 舞台はこうしてつくられる』(舞台監督研究室)

読みました、といった感。物足りなさを覚えた。舞台監督の仕事を膨らませたいなら『ザ・スタッフ』を読めるならそれで事足りるか。

1冊読んで1パラグラフ作れたら御の字やと思ってます。

『ダンスのメンタルトレーニング』(ジム・タイラー、セチ・タイラー)

メンタルコントロールの手法を、特にダンスにフォーカスして適用したところが読みどころ。メンタルコントロールの類書は数あれど、ここまで絞った本はない。
ダンサーに「ポジティブ・チェンジ」を促すための手法を説く。
ポジティブ・チェンジ=アウェアネス(気づき)+コントロール(統制)+レペティション(繰り返し)。
これらの基礎には、ダンスへの執着が求められる。その執着をいかに生み、維持し、更新し続けるかがポイントとなる。
以下、箇条書きで。
・レッスンではそのときのメンタルもノートテイクする。
・緊張感は逆U字(横軸を緊張レベル、縦軸をパフォーマンスレベルとして)が望ましい。
・緊張を生じさせる原因(自己評価)は①場からの期待、②期待に応える能力の有無、③期待に対処した結果、④結果によってもたらされた出来事、⑤自分の身体についての原因、に分類される。
・筋肉が緊張したときには、むしろいったん高負荷な緊張まで上げてから下げるとリラックスされる。
・イメージングコントロールを使う。具体的なイメージで、イメージの時間の流れを変えながら。
・イメージングコントロールを日々の日課に採り入れる。

『Now's The Times!』(Sonny Rollins)

スタンダードナンバーを集めた一枚。表題作「Now's The Time」をきっかけに聴いたが、ソニー・ロリンズと言えばやはり「St. Thomas」か。どのナンバーも浮遊感あるサックスが気持ちいい。サックスがリーダーを務めるいわゆる名盤は久しぶりだが、良いアルバムは良いですね。

『東方爆音ジャズBEST』(東京アクティブNEETs)

聴きました。ビッグバンド的華やかさがあるわね。

私は本来的に意味を中心に感じる感性の持ち主なので、人より少ない意味で気持ち良くなってしまう(=小説を書くときに込める意味の「ビート」が小さくても十分に大きく感じてしまう)のはあるのかもしれない。そういう意味で、意味への感性が高いがために、書くときには意味を薄味で書いてしまう、盲点だった。

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創作論として捉えた場合には、鑑賞者が「センス」をどれくらい有しているかを見積もれるかがポイントになる気がしてて、要するに鑑賞者のニーズに応える力ということなんですが、私は意味の有無のビートよりも構造の大小のうねりで物語を作りがちで、そこはもう少し前者を意識した方がいいのかと感じた。
私はアイドルコンテンツの二次創作小説を長年書いてきたんですが、(失礼な言い方を承知で書くと)「文学クン」にはウケたけど、ウケ続けたけど、終ぞ一度もバズることはなかった。ここにヒントがある気がしていて、バズにはデカいビートが要って、文学クンには繊細なうねりが要る。このバランスですよね。

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『センスの哲学』(千葉雅也)

2024年ブックオブザイヤー(暫定)!
さまざまな読みが可能なように開かれた、エッセイ風の一冊。読むときに切実な問題に引きつけて読むのがいいのではないだろうか。
本書は、生き方論、鑑賞論、創作論、その他「センス」がまつわるものであればどんな読み方でも許される本だと感じた。その上で、私にとっていま一番切実な創作論に引き寄せて感想を書く。
センスとは、対象物から意味を取っ払ってその物をあるがままに捉えるところから始まる。その対象物のあるがままが、存在したり、欠如したりする。その存在/欠如の「リズム」をどう捉えるかがセンスに繋がる。リズムについてより立体的に書けば、意味がある/意味がないという「ビート」、あるがままがどのようにあるかという(=構造)「うねり」に分解できる。
対象からリズムを感じるとき「次にどんなビートが叩かれるだろう?」「どんな風にうねるだろう?」と予測をしている。対象が予測通りなら気持ちいいし、逆に、予測から外れていてもサプライズが気持ちいい。その外れ具合(リズムの遊び)を感じるのが気持ちいい。本書ではそういうのを「いないいないばあ」と呼んでいるが、正鵠を射ている。

amazon.co.jp/センスの哲学-千葉-雅也/dp/4

『青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』(鴨志田一)

再読。ふつうに楽しく読んで、あと、地の文の情報量をどの程度にすべきかとエモをどの程度にすべきかとを確かめるために。
地の文:情景描写は自分のナチュラルの下限にタッチするくらいまで落としてもよいが、その分、心の声を増やす。
エモ:赤面してページをめくる手が早くなるくらい。

『In the Shadows』(Robert de Boron)

ジャズラップ。聴きました、といった感。

ディスコミュニケーションじゃないけど滑らかじゃないコミュニケーション。そういうラインを攻めたい。

先日、平田オリザの演劇を観て、ワイの小説で目指すべきコミュニケーションはこれや!と思い直した次第。

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