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明治時代から立身出世せよと言われ続けて、現代には「お前は何者にもなれずに死ぬのか」という脅迫。これらは仕事を人生の第一事とする事を各個人に迫る資本主義のプロパガンダ。ひろゆきや暇空になるくらいなら一生無名で生きる方がナンボか偉い。それに地の塩という言葉もある。

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「アメリカ先住民が白人に土地を追われて居留地に押し込められ、やむにやまれず反撃にでたら「悪いインディアン」として殺される」そんなのと相似形の事が21世紀になってもまかり通るのはおかしい。

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竹中だけは生きている間に血祭りにあげて、残党狩りまで完遂したいものよ

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多分今回の件ではビジネス側の人間の方が立場や他の事柄への主張に関わらず正しい捉え方をしている。肌感覚でも論理としても。

メディア側の登場人物はほぼ全員が間違えている。加害者側の人間なんだから当たり前と言えばそれまでだが、記者がここに含まれてしまうのがこの国の哀しさ。

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社会が暴力によって復讐されるようになって一番殺されるのは元凶めいた人間よりその辺にいる襲いやすい人間だからな。そこが最悪

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コミュニケーション能力って仲間内の顔色窺う脳力じゃないからね。声がでかいとか笑顔とか一切関係ない。前提も価値観も立場も違う相手と意思疎通して合意を形成する能力のことだから。

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クリティカルな思考は絶対に必要なんだけど、文中に書かれていないことまで想像したりしながら「見抜いてしまう自分」をコンテンツ化して褒められようとする姿勢が一周して行き詰まってるのではないかな、と思う。わたしもやりがちだから気をつける。

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ペドファイルにも人権くらいあるだろうけど…という話。 

ペドファイルにも人権くらいあるだろうけどさ。

ただそれだけだよ。

原理的に言って成就することが許されないばかりか欲望の表明や自分がそうであるという言明まで取り扱いには慎重を要する属性。

LGBTQ +は、
シスヘテロ(=生まれた時に付与された性に違和感、不満がなく男女2つの性しか想定せず、その2つの内の自分とは違う方の性に対して恋愛感情、性愛感情がある事を当然とするマジョリティ)
に対してまとまっているわけで、性愛の対象が成人か否かは当然成人が対象になるとして問題にはしていないと思う。

LGBTQ+としてはそこに対象が成人かどうかという新しい軸を付け足すことに何のメリットもない。話がややこしくなるだけだ。

今わーわー言ってるペドファイルの話は「シスヘテロ側から見たらお前らLGBTQ +の連中なんか自分達からみたら小児性愛者と同じに見えてるぞ」という二重の差別であってなんらまともな議論に値するものではないと考えます。

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世の中から性差別(セクシズム・制度化されたミソジニー)をなくしていくとか、そのための現状認識を共有するとか、そういうことのための道具としてSNSはとても役に立つのに、Twitterの仕様とアルゴリズムは、「セクシスト」や
「ミソジニスト」である個々人を見つけ出して批判的な引用RTを拡散させるという行動を促してきたわけで、そうして濁流のように引き起こされる「怒りのエコノミー(炎上)」に参加することが性差別をなくすことと等価になってしまってそこから抜けられなくなっている人が優先的に残って暴れる場所にTwitterはなってしまった。人間社会の在りようを「オス」とか「メス」とかの概念分類でしか理解できなくなるような人たちが、昂ぶったその怒りを他のマイノリティへの迫害や暴力に転化させていくのも当然と言えば当然だし、わたしにはもはや目的がどこにあるのかすら理解しがたい。

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少なくとも40年前くらいまでは、日本だって、「人が死ぬようなことがあってはならない」ということは、いちいち問われることもない、誰も異論は挟むことができない(もし心の中で思っていたとしても)、社会全体の、当然の大前提だったと思うんだけど。

(ガンボンちゃんのツイート↓)

いわゆる「凡庸な悪」と同じで、「何故そのルールは守るべきなのか? 守るに値するルールなのか?」と言う事を全く考えず、「ルールだから、偉い人が言ったから」と盲従してれば良い、という「処世術」でしか世の中を見れない。

彼らはルールで「○○人をガス室に送ろう」と決まれば、疑わずに従う。

x.com/ganbon_bot/status/169076

(引用されているtakemaruさんのツイート↓)

イギリスで燃料費高騰が問題になった時は「冬に暖房費が払えないお年寄りが出るのはいけない」というのが絶対的なテーマで右派ですらそれは否定できないのに、日本では普通の人が「電気代を払えない高齢者が冷房を使えないのは仕方がない、ルールはルール」というコメントをしているのが背筋が凍る

x.com/takemarutake/status/1690

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身体の痛み、全然慣れない。年々悪くなる。5分かからないスーパーに行けただけで感動する。この気持ちが分かんないの?
『ハンチバッグ』の作者の言う「職業が欲しかった」っていうのマジ分かる、いや身体状況も境遇も違うから本当には分かってないかも。
でもこの島、「経済的に自立してない」障害者を心身ともに削って殺すように出来てるよ。本でも出してお世辞でも「作家先生♪」て言われないと「社会人」とすら思ってくれないんだから(まず社会人って何よ?皆社会にいるんですけど?会社人なら分かるけど?)「スネかじり」で親の世話になってる障害者で、親の方に向かって「お母さんは大変ですね」「苦労しますね」って言う人ばかりの島だよ、ここは......(母は「本人が一番大変で苦労してます」て返してくれる人です)

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「テレビ見るやつ馬鹿」の次には「ネット見るやつ馬鹿」が来るんだよな論理的に言って。馬鹿が大移動してるだけだから。

ネット全体とまではいかなくても大手のポータル、ニュースサイト、SNSはもうかつてのお茶の間だ。

キュレーションがどうとか言った時代もあったけど上質なキュレーションなんてタダでもほんの一握りの人しか見にこないので商売にならず商売にならないものは潰れてしまった。

温暖化も打つ手は無さそうだしもう植物に返しちゃっていいんじゃないかなって気にはなる。

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Twitterが当初画期的だったのは、その人の現実の時系列をぶった斬ってそのツイート140文字の価値だけを問題にした事で、その人が何処にでもいる高校生だろうと世界的な研究者であろうと会社経営者であろうと界隈の有名人だろうとその140字においては同じことを書けば等価である、という理念的なラディカルさにあったと思う。

今や個々のツイートの拡散力は発言者のリアルな業績や社会的立場による重し付けに収束していてそういう面白さはなくなった。SNS内でのコンテクストも持ってしまった。ここで戦えているのは一部の成りあがり極右ヘイトアカウントだけという皮肉。彼らだって政党や国からの支援がバックにあったことが明らかになりつつある。

TikTokやYouTubeはそうでもないんじゃ?無名な人も実力でアテンションを得てない?という意見もあるかと思うがわたしからするとあれこそ身体と文化資本という現実への最終回帰でお疲れ様でしたって感じだ。

それでも無いよりはマシなことは言うまでもないし、そういったことにはグラデーションがある。一概に良いとか悪いとかってことではない。なにがどれくらい生き残りなにがどのくらい破壊されたかという話。当然イーロン・マスクの悪口だけ言えば済む話でもない。

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Twitterに以前書いたけど、「普通の日本人」はマンガや映画の影響で、Covid-19でも「路上に死体がゴロゴロしててカラスが飛び交う町」というビジュアルが無いとパンデミックだと認識できないんですよねー(;´Д`)
連中はそのへんよくわかってるから、そーゆー「わかりやすい絵」に繋がるような事態にだけは対応する。
そりゃ公道でのデモやダイイン、シットインには拒否反応示すでしょう。

fedibird.com/@crowclaw109/1108 [参照]

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はだしのゲンは虹裏とかでおもしろコラージュとしてさんざ切り取られて笑いものになってた時に、賢いやつが本編も面白いから読めと言ってたな。あれはゴボウ神話とかそのまま書いてるぐらいでもちろんドキュメンタリではなく創作の漫画なのだが間違いなく被爆した作者自身の体験をもとに描かれているのであって、あのナマの怒りは何物にも代えがたい。『この世界の片隅に』ぐらいのフワフワした「ひどいことがありましたね」みたいな感性の鈍さと雲泥の差。少年漫画でギャグ漫画であるというジャンル特性には汚いものをダイレクトに描ける強みがある。「きちがい」や肥やし等の描写は、やっぱりあのジャンルであの絵でないと描けない。怒れば汚い。お上品に礼儀正しくやってはいられない。

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「性器を黒塗りする社会はやがて公文書も黒塗りにするようになる。」

というウソ格言を作った。

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戦争で死んだ民間人を「無辜の民」「罪なき人々」って表現するの危険じゃないかなーって思っちゃうんだよなー
じゃあ罪のある人は殺されてもいいのかな?
子どもが巻き込まれてるの見るとそういう気持ちが湧くのは感情としてすごい分かるけどさー

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目に入るすべての話題に対してTwitter上ですぐに明確に発言しなければ無関心(=悪)とみなされ、発言したらしたでいつ誤読曲解をふくむ批判が飛んでくるかわからない、しかも批判の仕方が極めて性急かつ断定的で罵りに近いものも含まれる、みたいな雰囲気にはマジで嫌気がさしている。
そういう意味で「(SNS上での)政治疲れ」はしてるし、どのSNSを使うにしろ絶対に繰り返したくない。🐘で一番気を付けようと思っている点。

これは「バズり」の問題とはちょっと違って、早く明確に対応するか否かで誠意(もっと言えば人権感覚)を問われているような感じが強くあったんだ、私はね。
アウトプットできないけど知る/考える、SNS以外で行動することも当然重要なのに、そういうものがないがしろにされてしまう。
そして、悪く言えば、SNSでコメントしたりタグを拡散していれば何かやってる気になれてしまう部分もある。
なので、Twitterなくなったら政治や社会問題への動きが絶えてしまうという危機感は、少なくとも日本語圏においては、あまりにもSNSを過大評価してないかって気もする。社会はもっと沢山のものでなりたってる。

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ジャニー喜多川の性暴力問題に関して「善人が作った文化した認めないという純粋まっすぐ君は、中国か北朝鮮に行きなさい」とは捨て台詞を吐き捨てる男性漫画家が居たら、ははあ、こいつは自分のアシスタントに性暴力を行使した挙句に、立場で口を封じやがったな、と勘繰るのが人類の叡智というモノではなかろ〜か??

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伝える側が「エアコン使用『できず』」という言葉を選択すれば、その選択によって社会の状況や問題点を(「言外に」であっても)読者に想起させることができるのに、あえてそれをしない。

報道する側のこのような姿勢が、ここ数年目立つようになってきた。問題点を見せないようにするために、例えば「子ども食堂」や「公共冷蔵庫」への取り組みを伝える場合も、「良い取り組みだね」「助け合いって良いね」などという感想しか生みそうにない「ほっこりニュース」扱いになるよう言葉を「選んで」いると感じる。

報道機関が情報の「受け手」に対して、起きている出来事とその背景を結びつけさせないような言葉の選択を(おそらくはそのことに細心の注意を払って)してきたことも、「自分の生活と政治を結びつけて考えられない人たち」を大量に生み出すことにつながっているのだろうと思う。

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