なろう系小説でよく見るよな
現地では奴隷売買は合法→ためらいなく奴隷を買う
奴隷は野蛮→(なんなら性処理もさせながら)奴隷に文化を教える
奴隷を(自らの胸先三寸でどうにでもなる状況で)「解放」する
奴隷がなついて主人公の三歩後ろに傅いてついてくる
この気持ち悪い「人道的行動」とやらが日本中に渦巻いている人権観なんだと思うと吐き気がする。
“資本家は資本主義を嫌う。では、資本主義を嫌わなかったのは誰かって? カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスだ。『共産党宣言』の第1章は、資本家が恐怖におびえ、したがって生産的になったとき、どれほど素晴らしいものが手に入るかについて、この2人が熱く語っているだけの章だ。”
これいいね。
資本家をビビらせろ | p2ptk[.]org https://p2ptk.org/monopoly/4504
「ボランティアなんか邪魔になるだけだ」と比例して人口に膾炙した「経済を回す」「買って食べて応援」はこの「道徳羨望」と非常に相性がいいんだろうな。
自分の生活は特に変えなくても何かした気になれる上に「冷静な自分は頭いい」と思えるし。
消費こそ社会正義、とする資本主義ともマッチする。
その理屈だと売れるものを持たない人は救済されないことになるけれど、それは丸ごと無視されるグロテスク。
「正義」を語る言葉の凡庸さを蔑むのは危険で、「正義」を語るのは実に当たり前のところから始めないといけないのですよ。「不正義」の方がよほど低俗化・凡庸化しやすいのに、「正義」を語る語法にだけ独創性を求めるのは「不正義」に与します。「面白い/面白くない」という遊興的で消費的なジャッジで「正義」を語るのは危険です(ここで指す「正義」はパフォーマティヴなバランスにおける正義のことで、コンスタンティヴな「善」とは違います)
適材適所より前に「ゴミはゴミ箱に」
就活の身だしなみの話は糞だよな。
そういうのは採用した後教えろよ。教えるからにはそれを賄える給料出せって話。1円も出さないうちに本筋に関係ない投資を要求するなよ。
デジタル技術(者)というのは普通、タッチパネルの前で立ち往生するユーザがいたら、それはアーキテクチャやUIに問題があると考える専門(家)だと思う。それを『(我々のソリューションは間違っていないのだから)ユーザーに勉強(学習)させよう』というのはITやその技術を特権かなんかだと勘違いしてるように思う。デジタル技術というのは誰でもが初めてでも使える様にバリアフリーを目指すものであるべきで、誰でもが使える様になっていないのならそれは技術側の問題だし、IT技術はユーザが行動目的を達成するための合理的サポートなのだから、ユーザがITという道具を手にしたくなるようにどこまでも「使いやすさ、わかりやすさ」を探求しなくてはいけないと思ってる。
ユーザがITに適応するのではなく、多様なユーザを包括していくのが技術やデザインが担うところ。繰り返しになるけどITはバリアフリーを目指し担っていくという基本を忘れて『特権意識』になってはいけないと思う。