Twitterが当初画期的だったのは、その人の現実の時系列をぶった斬ってそのツイート140文字の価値だけを問題にした事で、その人が何処にでもいる高校生だろうと世界的な研究者であろうと会社経営者であろうと界隈の有名人だろうとその140字においては同じことを書けば等価である、という理念的なラディカルさにあったと思う。
今や個々のツイートの拡散力は発言者のリアルな業績や社会的立場による重し付けに収束していてそういう面白さはなくなった。SNS内でのコンテクストも持ってしまった。ここで戦えているのは一部の成りあがり極右ヘイトアカウントだけという皮肉。彼らだって政党や国からの支援がバックにあったことが明らかになりつつある。
TikTokやYouTubeはそうでもないんじゃ?無名な人も実力でアテンションを得てない?という意見もあるかと思うがわたしからするとあれこそ身体と文化資本という現実への最終回帰でお疲れ様でしたって感じだ。
それでも無いよりはマシなことは言うまでもないし、そういったことにはグラデーションがある。一概に良いとか悪いとかってことではない。なにがどれくらい生き残りなにがどのくらい破壊されたかという話。当然イーロン・マスクの悪口だけ言えば済む話でもない。