「先人たちの底力 知恵泉」柳宗悦の回(24.06.04) 

なんにせよ、民藝の思想を自分なりに咀嚼し、生活と地続きで実践しているたい平さんは素敵だなあと素直に思った(番組出演にあたってこじつけたのかもしれないけど、だとしても自分は先述のように理屈で納得できた)

創作物、とくに古いものを現実・実生活と切り離して、要はある種の現実逃避として楽しみがちな自分にはそのような姿勢はあまりない
何をどのように楽しもうが人の勝手だというのはもちろん前提にあるけど、それでも羨ましく思えるところはあった

正直たい平さんの芸風はちょっと苦手(落語には無知なので、あくまでタレントとして)だったけど、少し見る目が変わるかもしれない

※後編も見たけど、そちらについては特に書き留めたいことはなかった

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2日ぐらい前にトイレで座っていたとき 

、隅の方でほんの少し床から浮いてちょこちょこ動いているごく小さな物体を見つけた
「あ、蜘蛛か、こんなところに巣を作っても獲物なんて来ないだろうに、まあ追い立てるのもかわいそうだからいなくなるまで放っておこう」ぐらいに思ってそのままにしておいた

その後いつ見ても忙しく動いているので「がんばるなあ、どこかから虫でも迷い込んで来ればいいんだけどな」などと思っていたけど、さっきよく見たら換気扇が起こす気流で揺れているただの埃の塊だった
数日間埃を応援していた

アーティスト等の訃報に際して自分が知らなかった故人の周辺情報を知ることがよくあり(すべてに対して半可通なだけになおさら)、寂しいなかにもホクホクしてる自分がいたりして何とも言えない気分に毎度なる

「Y2K新書」S2最終回 

印象に残ったところの雑メモ、記憶や解釈の誤りがあるかも

00年代に一部で共有されてた「大量の映画や文芸作品にふれることで優れた・豊かな人格になれる(からできる限りそれらを摂取すべきだ)」的な価値観が後退した代わりに、推し活の普及によって「推しへの愛を示すために推しが関わるコンテンツには全てふれなきゃ」的な強迫観念をもつ人が増えてるかもという話

でも嫌なものにはふれなくていいし、すべてにふれていなくても推しを語っていいんだよという話

上記に絡み、知識の偏在や知らないものを「知らない」と正直に言うことはコミュニケーションの幅を広げるんじゃないかという話
本ポッドキャストの語り手3名も知ってること・知らないことのばらつきがあるからこそ話題が尽きないということ

以下投稿者の所感
対話において知らないことは正直に言った方がいいというのはほんとそう思う
(ただ利害がからむ局面などではハッタリが必要なこともあると思うから、それ以外で)

ただ「知らない、興味ないし」的な反応や、知ってる側からの知識マウント等が生じるとコミュニケーションの質はむしろ落ちると思うので、一定以上の好奇心と互いへのそれなりの敬意があることが前提だよなとも思った

心の中で勝手に呼んでいた略称が世間一般のそれと全然違ったときの小さな驚き

ル豆(雲)  

「耳の穴かっぽじって聞け!」濱田祐太郎さん出演回 

ル豆  

「バリバラ」ライブ行こうぜ! 

が未だにときおり注目されたり面白がられたりするのって、わざわざ成立要件を定めるところに象徴されるような(表面上の)潔癖さ・融通の利かなさが、一種のゲーム性や分かりやすさにつながってるからなのではと思う
なんでもありじゃないところがいいんだよな

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Fedibird

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